842:スタグネイション-3
『で、実際のところどう潜っていくんでチュ?』
「そこは色々と活用して、と言うところね」
飢渇の泥呪の海に生じた大波を被る事で、私たちの周囲は既に飢渇の泥呪で埋め尽くされている。
だが、干渉力を三倍近い状態にした上で、殻状に展開した呪詛の壁を撃ち破れるほどの力はないのだろう。
現状では中に居る私には何の影響も出ていない。
「まず下はネツミテで探ります」
『どっちが上かも分からないでチュからねぇ』
ではきちんと潜っていこう。
まずはネツミテを錫杖形態に変えて、打撃部がどちらに向かって垂れるかによって向かう先を決める。
「殻の外側に繊毛のような物を作ります」
『早速訳が分からなくなったでチュね』
続けて呪詛の殻の外側、飢渇の泥呪に触れている部分に細かい突起を幾つも作り出す。
そして、殻の下側から上側に向けて突起を動かしていく。
これによって殻の表面に触れている飢渇の泥呪たちが私の上方に向かって移動すると共に、私たちが今居る高さから沈降する事が可能となる。
「後はまあ、時間が許す限り地道に進めるしかないわねぇ」
『『竜活の呪い』の効果時間は……今だと21分半でチュか。戦闘時間としては十分な長さでチュが、探索時間としてみるとやっぱり少ないでチュねぇ』
「実際にはもう少し短いわ。緊急脱出の準備は既にしてあるけど、余裕やその場の状況次第ではと考えると、20分が限界になると思うもの」
『でチュかぁ』
周囲は黒一色。
だが、呪詛の殻が虹色に燃え盛っているので、光源は十分にある。
なので、方向を誤ることなく順調に潜っていく。
『チュアッ!?』
と、此処で呪詛の殻全体が揺れるような振動が伝わってきた。
また、それに合わせるように、周囲の泥呪たちが一気に上昇していく。
私たちの位置は動いていないはずだが、随分と急だった。
『なんでチュか今のは……』
「んー……複数体の熱拍の樹呪の振動がちょうど重なったのかしらね? 確か振動がいい感じに重なると、大きな波が立ったと思うから」
『ああ、そういう事でチュか』
音が止み、動きが止まる。
そして、これまでと同じ方向にゆっくりと動き始める。
どうやら引き波のような現象は起きないらしい。
まあ、起きないなら起きないで問題はない。
『どこまで潜ったんでチュかねぇ……』
「さあ? もしもまた潜る事があったら、自分が移動した場所を正確に計測してくれるアイテムでも用意しておいた方がいいかもしれないわね」
潜り続ける事早十分。
『転移の呪い』があるので問題はないが、無かったらもう脱出するしかない深度ではあるだろう。
周囲の変化としては……飢渇の泥呪は変わらずだが、空気が乾燥しきっており、気温もかなり上がっている。
前者は強化したザリチュがなければ、後者は私が熱に強くなければ、かなり厳しい事になっただろう。
なんにせよ現状はまだ問題がないので、私は潜り続ける。
「む……」
そしてさらに潜る事五分。
私はそれ以上潜る事を止めた。
『どうしたでチュか? まだいけそうでチュが……』
「そうね。見た目ではまだいけそうに見えるわ。けれど呪詛支配の感覚としては、これ以上は行ってはいけない領域だと感じるわ」
『行ってはいけない。でチュか』
私は体の向きを変え、そこに触れている部分を体の正面に持ってくるようにする。
そこは飢渇の泥呪があるように見えるが、よく見てみれば飢渇の泥呪の層が限りなく薄く、その先が垣間見えるような状況になっているようだった。
どうやら此処が『熱樹渇泥の呪界』の底であるらしい。
『『理法揺凝の呪海』や呪限無の深層ではないと言う事でチュか?』
「ええそうよ。この先は全くの別物の領域よ」
私は翅に付いている目の一つを除き、全ての目を閉じる。
その上で、開いている目で『熱樹渇泥の呪界』の外を見る。
「此処はそうね。まず第一に、行ってはいけないのは確か。見るのも出来るだけ控えた方が良さそうね。つまらないくせに……性質だけはとにかく悪い。正にこの世の淀みね」
見えたのは無数の人の顔であり、目であり口。
私に読唇術の類はないが、それでも彼らが彼女らが何を言いたいか、何を求めているかは分かる。
彼らは……呪い、呪いそのもの。
「……」
『理法揺凝の呪海』は仮称裁定の偽神呪の力が及んでいる領域であり、だからこそ色々とフィルターはかかっていたし、安全策も講じられていたのだろう。
だが此処にはそれらの安全対策が一切存在しない。
それはある意味では真実であると言えるが、本当に見飽きたものでもある。
あれが欲しい、それが欲しい、他人がどうなろうが知った事ではない、私だけが良ければそれでいい。
この世界がこれまでに積み上げ続けてきた欲であり、怨みであり、死であり、呪いである。
制御されず、しようともしていない、世界が滅びに瀕する切欠は別にあったのかもしれないが、それを加速させる原因となっている事は間違いがない。
きっと、これらの思いが呪限無の底の方へと沈んでいけば、個人個人の思いが黒く塗り潰されて、純化していき、もう少し見れるものにはなるのだろう。
しかし、一人一人の顔も見れる状態でこれらのものを見てしまうと、浅ましいと言う感情しか浮かばない。
私も人の事を言えた口ではないと分かっていてもなお言わずにはいられない。
竜たちのように、敗北し、否定されるべき集団だ。
「はぁ、これを少量とは言え回収しないといけないのが本当につらいところね」
『チュアァ……これを使うんでチュかぁ……絶対に体に良くないでチュよ……』
ただ、あまりにも規模が大きく、雑多すぎる。
残念ながらこれを個人でどうにかすることは……まあ、人の範疇である限りは無理があるだろう。
いや、それどころか偽神呪でも厳しいか。
偽神呪たちの性格からして、これをどうにか出来るなら、とっくの昔にどうにかしているはずだし。
つまり、偽と付かない本物の神でもなければ、対応できない案件になるだろう。
「ハイ回収っと。で、『転移の呪い』」
いずれにせよ、今の私に出来る事はない。
私はほんの少し、ほんの一瞬だけ殻に穴を開け、その先の淀みをこちら側に招き入れた。
そして招き入れたそれを別の呪詛の殻で覆い、『石化の邪眼・2』で石化させることによって固形化。
ドゴストに石化させた淀みを入れた上で、私が居なくなった後でも問題がないようにしてから、『ダマーヴァンド』に戻る。
「ふんっ!」
『うわっ、全力でチュねぇ……』
で、即座に呪怨台に石化した淀みを乗せて、素材として安定化させた。
鑑定結果はこんな感じ。
△△△△△
淀み
レベル:1
耐久度:100/100
干渉力:10
浸食率:100/100
異形度:1
淀み。
忌むべきもの、許しがたきもの。
纏わりつくもの、引きずり込もうとするもの。
私はこの者らに軽蔑と言う裁定を下す。
力はないので、使う分には構わないが、可能な限り染め上げて使うべきであろう。
▽▽▽▽▽
「使いたくないわー……使うけど」
『使って大丈夫なんでチュかねぇ……使うのは分かっているでチュが』
うん、『淀縛の邪眼・2』の強化には良さそうだけれど、本音を言えば使いたくはないなぁ、これ……。
他にいい素材がないから使うけど。
「さて、とっとと使って処分しましょうか」
『でチュね』
では、仮称裁定の偽神呪の勧め通りに、可能な限り私のものとして染め上げてから使うとしよう。




