739:ディープゾーン-1
「これは……」
大量の呪詛に絡め取られた私は壁の向こう側に引きずり込まれた。
だが、壁の向こう側に広がっていたのは、『宝物庫の悪夢-外縁』の別の場所でもなければ、周囲が壁しかないような空間でもない。
ましてや『理法揺凝の呪海』でもなかった。
広がっていたのは何処までも漆黒としか表現の仕様のない空間だった。
「っ!?」
息が詰まる。
指先から感覚が薄れていく。
頭がぼやけていく。
否、全身が霧散し、闇へと溶けていこうとしている。
「『呪憲・瘴熱満ちる宇宙』!」
私は『呪憲・瘴熱満ちる宇宙』の適用範囲を自分の全身に広げる。
周囲の漆黒へと私が散っていくのを防止して、私と言う存在を保つ。
頭がはっきりし、全身の感覚が戻り、呼吸が整っていく。
「ぜぇぜぇ、危ない所だったわね……」
『ギリギリだったでチュね……あ、化身ゴーレムは消滅したでチュよ』
「でしょうね」
自身の存在を保つ事に成功した私は周囲の状況を確認する。
だが改めて確認しても、此処には漆黒の、何もない空間しかないように見える。
「『宝物庫の悪夢-外縁』……ではないでしょうね。『理法揺凝の呪海』でもなさそう。呪いが薄いのではなく濃すぎて、私一人程度では塗り潰されていなかった事にされる領域。下手に死んだら、復活出来ずにそのままロストしかねないわね」
『壁を破ったせいとは言え、とんでもない所に飛ばされたでチュねぇ……』
「ええそうね。でも此処に飛ばされたのは『宝物庫の悪夢-外縁』の壁を破壊したからではなく、空間が歪んでいる場所に呪憲による攻撃を撃ち込んだのが主原因だと思うわ。流石にただ壁を破壊した程度で飛ばされていい場所じゃないもの」
『まあそうでチュね。で、此処どこなんでチュ?』
普通に考えれば詰みの状況。
けれど偽神呪や運営がやってくる気配は現状では感じられない。
まあ、此処に飛ばされたのは自業自得なのだから、自分で何とかしろ、と言う事なのだろう。
うん、訓練も兼ねて自分で何とかするとしよう。
「此処が何処かねぇ。鑑定は……出来ないみたいね。ありがたい情報ね」
『そう……え、全然ありがたくないと思うんでチュけど……』
「ありがたい情報よ。これだけでもだいたいの位置は掴めるから」
まず此処が何処か。
正確な位置は不明だが、呪限無の深層と呼ぶのが正しい領域だとは思う。
「転移は無理。呪詛支配も『呪憲・瘴熱満ちる宇宙』の範囲を同時に弄らないと不可能。じゃあ、まずは私が維持できる範囲で『呪憲・瘴熱満ちる宇宙』を展開ね」
私が『呪憲・瘴熱満ちる宇宙』を広げていくと、少しずつ漆黒かつ虚無としか言いようのない周囲の光景が変化していく。
漆黒が晴れて赤よりの空間になり、空間中が高温の気体で満たされていく。
同時に『呪圏・瘴熱満ちる宇宙』の外側の空間に様々な光が灯っていく。
いや、灯っていくと言う表現は正しくないか、たぶん私の領域が広がるのに合わせて、私の視界も広がり、それによって元からあった物が見え始めているのだろう。
「……。とんでもないのが見えちゃったわね」
『……。ざりちゅはーなにもーみてないでっチュよー』
そして音が聞こえ始めた。
何か重たくて硬いものが同じく硬い物にぶつけるような音だ。
で、その音の方へ注意を向けた私は、まさかのものを見る事になった。
「掘れ! 掘れ! 掘れ! それが世界より我らに与えられし命題である!」
「掘れ! 掘れ! 掘れ! 世界の底に向けて突き進み、力を汲み上げるのだ!」
「掘れ! 掘れ! 掘れ! 大地に根差す我らは世界はまだ救われぬと告げている!」
「「「掘れ! 掘れ! 掘れ! 世界の救済が為に! 尽きぬ力を得るために! 未知なる領域へと至らんがために!!」」」
「……」
そこに居たのは三つ首の竜、と称するのが一番近い見た目ではあるだろう。
その鱗はあらゆる色を混ぜ込んだ事によって出来た濁った黒であり、爪や角は怪しい輝きを放つ金、尾からは絶え間なく虹色の煙を上げている。
そして三つの頭は順に、リズムよく、私が居る場所よりも深い場所に向かって叩きつけられており、先ほどから私の耳には竜の物と思しき声が届き続けている。
「名は呼ばない方が……いいえ、思う事もしない方が正解でしょうね」
『当たり前でチュ。と言うか、干渉は絶対にしちゃ駄目でチュよ。たるうぃ。どう考えても今のざりちゅたちでは対処できないでチュ』
「言われなくても分かってるわよ」
だが、一番注目するべきはその背中から翼の代わりに伸びているコードのような物体。
そのコードは途中で幾万本にも分岐しつつ上空に向かって行っており、その内の幾つかは私が今居る場所の上空に向かってもいるようだ。
それが何かは……まあ、今更考えるまでもないだろう。
「掘……むぐうっ!? 掘れ! 掘れ!」
「……」
とりあえず今はこの場からの脱出を優先するべき。
そう判断した私はゆっくりと上昇していく。
その間も竜は三つの頭を叩きつけているのだが、よく見ていると時折首の動きが悪くなる。
どうやら誰かが何かを仕掛けているらしい。
まあ、今は気にしないでおこう。
「この三番目くらいに太いのにしておきましょうか」
『その心はなんでチュ?』
「一番目と二番目は変なのに繋がってそうな予感がする」
『ありそうでチュねぇ……』
そうしているとやがてイベントの領域……『盗賊恐れる宝物庫の悪夢』に近づいているのが分かった。
竜のコードは何百本も、私の腕くらいに太いのから、髪の毛のように細いのまで、様々な太さのが領域に繋がっている。
私はその中から三本目くらいに太いコードを辿って領域に侵入した。
「侵入者を確認しました」
「罪状確認。宝物庫の破壊、宝物の窃盗、宝物庫への無断侵入」
「判決、死刑。処刑を開始します」
「あ、正規ルートに戻ったわね」
『なんだか安心したでチュねぇ……』
そして私の視界に広がったのは一辺が5メートルほどしかない金属製の檻の中に、私と刃付きの鎧を全身に着けた身長3メートルほどの巨人が三人も居ると言う、明らかにお仕置き部屋としか言いようがない空間だった。