722:タルウィロウ-3
『んー……』
『ざりちゅにはたるうぃがたるうぃの範囲を適当に弄っているようにしか感じ取れないでチュねぇ』
私たちは沈黙の眼宮の奥へと戦闘することなく進んでいく。
なお、移動に際しては、私もザリチュも丈の短い草が生えている場所を少しだけ高度を上げて飛んでいくと言う移動方法を取っているため、此処に至るまで私たちは一切のデバフを受けていない。
で、課題となる呪憲・瘴熱満ちる宇宙を用いて、竜骨塔によって沈黙の眼宮全体に張られている呪いに対抗する試みだが……あまり上手くいっているようには感じない。
『境界を張る、皮膚を硬化する、壁を出す、どれも完全には上手くいかず、浸透されている感じがあるのよねぇ。複数組み合わせても効果が上がる訳じゃないし』
『でチュかー』
うーん、イメージの問題もありそうだが……理論構築が足りてない気もする。
スペック的には多分足りているとは思うのだが。
『おっ、見えてきたでチュよ』
『そうね。見えてきたわ』
そうしている内に私たちの視界に竜骨塔とそれに巻き付く収奪の苔竜呪の姿が見えた。
さて、沈黙の眼宮の収奪の苔竜呪はどういう個体だったろうか?
『確か沈黙の眼宮の個体は盲目なのよね』
『でチュね。えーと、昨日あたりに掲示板に詳細情報が出ていたでチュが……有ったでチュ』
と言う訳で、ザリチュが掲示板で情報を漁りまとめた結果によるとだ。
沈黙の眼宮の収奪の苔竜呪は盲目であり、目は完全に見えない。
代わりに他の個体が手や翼として使っているシダの葉を耳としても使っており、その感知能力は100メートル離れた場所に居るプレイヤーの呼吸音や心臓の拍動をも感知してみせるほど。
現に私たちの視界に居る収奪の苔竜呪は既に私たちの方へと顔を向け、何時でも戦える状態になっている。
『耳が良いと言っても爆音で怯ませるのは無理なのよね』
『一定音量以上に対してはガードが入るらしいでチュね。兎黙の竜呪含めて』
戦闘開始は50メートルまで接近したタイミング。
攻撃は刃物のように鋭いシダの葉による物理攻撃と、攻撃を受けた際のカウンターとして沈黙煙幕、詠唱キーを感知するとシダの葉を喉に向かって飛ばし即死させてくる。
攻撃の内、沈黙煙幕は竜骨塔を中心として半径50メートル圏内全てに広がり、沈黙のスタック値を恐ろしいスピードで溜め、1,000に達すると即死するというものだ。
そして、カウンターを嫌がり50メートル以上離れて攻撃すると、竜骨塔を遠くから破壊しようとしたことに対するカウンターが発動し、無敵状態の兎黙の竜呪が複数体召喚され、酷い事になるようだ。
『つまり、倒すなら一撃必殺か出来る限り少ない手数で。うん、試練の時と変わらないわね』
『でチュね。でも、今日は狩らないんでチュよね』
『ええ、流石に二人だけでと言うのは無理だもの』
さて、沈黙の眼宮の収奪の苔竜呪に関する情報で重要なのは、奴が盲目である代わりに極めて優れた聴覚を有する点。
心臓の拍動に呼吸音まで捉える聴覚に、隙間なく草が生えていて移動の際にはほぼ必ず音が鳴る地形。
この組み合わせによって、奇襲は不可能と断言できる状態だ。
しかし、私は一つ気になったことがあったので、それを……私たちから少し離れた場所、何もない空中に向かって『灼熱の邪眼・3』を放つと言う事を試してみる。
結果は?
「……」
『反応しないんでチュか』
『反応しなかったわねぇ』
収奪の苔竜呪は一切反応しなかった。
呼吸音よりもはるかに大きな燃焼音が生じたはずなのにだ。
これはつまり、奴は心臓の拍動や呼吸音まで聞こえるのではなく、心臓の拍動や呼吸音、草が擦れる音と言った特定の音ならば聞こえている、と言う事だ。
『だったら何とかなりそうね』
『何とかって……呼吸と草の擦れる音はともかくでチュが、心臓の拍動は止められないでチュよ』
『普通の人間ならそうね。でも私は止めた事があるから、出来るわ。あ、これから詠唱キーを唱えるから、跳んできた兎黙の竜呪への対処はお願い』
『……。分かったでチュ』
まあ、呼吸音、心臓の拍動を止めたとしても、翅の羽ばたきを収奪の苔竜呪が感知できる可能性は高いので、もう一工夫は必要だろう。
「『熱波の呪い』」
「ーーー!」
『させないでチュよ!』
と言う訳で、その工夫のためにも『熱波の呪い』を発動。
私の首目掛けて跳んできた兎黙の竜呪についてはザリチュに対処してもらう。
『……』
では呼吸を止め、心臓も止めようと思って……少し思った。
そもそもとして、今の私に呼吸や拍動と言う行為は必要なのだろうかと。
『どうしたでチュか? たるうぃ。何もやらないんだったら、せめてざりちゅの支援をしてもらいたいんでチュけど。ソロでも倒せるはソロでも楽勝ではないでチュよ?』
『悪いけどそれはないわ』
私は『遍在する内臓』と言う呪いを持っている。
この呪いの効果によって、私の全身にはあらゆる臓器が偏在しており、首が飛んだり、腕が切り離されたりした程度ならば、どちらの体も問題なく生きていられる。
しかし、この呪いは不完全であり、心臓が元々あった場所には、まだ心臓の働きを主として行う部分があると私は思っていた。
だがそれが、私の認識によって、それっぽくなっていただけだったとしたら?
『細胞を……いえ、違うわね』
『あ、考察に入ったでチュね。ざりちゅの話を聞く気がないやつでチュよ。これは』
だから少しだけ考えを変える。
細胞と言う区切りも何も考えず、私と私以外で考える。
私の中には私を構成するための要素が遍く存在していて、それこそ髪の毛一本でも呪いの量さえ十分なら私を構築できると考える。
それはDNAに近いが、内容の細分化は不可能であり、何処を読み取っても私である。
そして、私の内から私ではないものを……つまり、この場を満たしている竜骨塔の呪いを弾き出す。
「ふふふ、なるほど。こういう事なのね……」
『うわっ、喋っても大丈夫になってるでチュよ……』
此処に来て、ようやく呪憲・瘴熱満ちる宇宙を正しく把握できたと思う。
同時に、どう改良していくべきなのかも見えた気がする。
まあ、今はまず竜の遺骨を回収する事が優先だ。
「すぅ……はぁ……」
私は大きく息を吸い、虹色の炎のような吐息を吐き出す。
そして、その呼吸を最後の呼吸として、一時的にだが、私は自分を呼吸を必要としないもの……つまり酸素が必要ならば自分の体の中の二酸化炭素を呪いによって変化させるものだとイメージし、定義づけ、その他にも必要なものは全て呪いで代用し、外部とのやり取りを極端に制限した。
で、その状態のままに呪詛を操作する要領で、私の体を羽ばたかせず、一切の音を出さず、収奪の苔竜呪へと近づけていく。
「……」
「?」
竜骨塔を構築する竜の遺骨の一つに触れる。
音もなく、崩さないように注意しつつ引き抜く。
引き抜いた骨をドゴストに入れ、接近した時と同じ要領で収奪の苔竜呪から離れていく。
「ぷはぁ……ああいや、うんこれ、ちょっと無理があるわぁ……」
『訳の分からない事を訳の分からない方法で訳の分からない妄言を吐きつつこなしておいて何を言っているんでチュか。この訳の分からない生命体は』
で、十分に離れたところで、私は自分の定義を元に戻した。
やっておいてなんだが、これは体に悪いなんてものではない。
たぶんだが、色々と重要な物が裏で削られてる。
まあ、収奪の苔竜呪に気づかれず、竜の遺骨が回収出来たので問題はない。
『これでトドメでチュ!』
「ーーー!?」
『やったでチュよ。たるうぃいいいいいぃぃぃ!?』
後、戦闘終了したタイミングで、私の事を訳の分からない存在と言う扱いをしてくれたザリチュの事は抓っておいた。
『ああうん、沈黙の眼宮の呪いを弾き続けているのも疲れたから、そろそろ戻すわ』
『本当に訳の分からない事をしているでチュね。たるうぃは……』
では、竜の遺骨の回収と、呪憲・瘴熱満ちる宇宙の中にある余分な呪いを追い出すと言う行為は出来たので、帰還するとしよう。