304:トライアルスノウ-1
2019年8月1日木曜日の夜。
この日、掲示板の邪眼妖精スレにタルの書き込みとライブ配信画面へのリンクがあった。
内容は、これから10分後に、N1 森に飲まれた街のセーフティエリアに行くので、NPCたちの安全を確保して欲しいと言う話と、安全の為に自分の周囲10メートルほどには近づかないで欲しいと言う話だった。
正直に言って、何故こんな通達をわざわざ出したのかは分からない。
だがこれはPKをするチャンスだった。
邪眼妖精タルは『CNP』の全プレイヤーの中でもトップクラスの知名度を有しているが、最近は『ダマーヴァンド』の外へ滅多に出てこない。
出てきても移動スピードが速く、何かを仕掛ける時間などなかった。
それが今回は出てくる場所も分かっていれば、準備をする時間もあった。
だからPKとして悪名を轟かせたい俺は、躊躇わずに高いDCを払うと、森のセーフティエリアに転移をした。
「なんだ、お前も来たのか」
「まあな」
「お前たちもか。野次馬が多いが……まあ、問題はないか」
俺と同じことを考えたPKは多いのだろう。
森のセーフティエリアには、タルの姿を見たいプレイヤーだけでなく、俺と同じPKプレイヤーも十人以上集まっていた。
これだけ居れば、例えセーフティエリア内での戦いであっても、数で押し切る事が可能だろう。
そんなことを考えつつ、俺を含めたPKプレイヤーたちは、個人用のセーフティエリアから出た際に現れる場所へ攻撃を仕掛けられるポイントへと散っていく。
「へへっ、目にもの見せてやる」
「……」
俺たちは互いに挨拶はしても細かい打ち合わせはしない。
同じPKではあるが、仲間ではないからだ。
むしろライバルに近い。
「あ? なんか浮かない顔をしてんな。お前」
「いや、トッププレイヤーたちは姿を現さないんだなと思ってな」
「そりゃあそうだろ。トップ層にこんな野次馬をしている時間があるわけない」
「それもそうか」
ポイントが被ったか。
現れたタルを斜め上から見下ろしつつ、投擲武器で仕掛けられるポイントには俺だけでなく、もう一人のプレイヤーが居た。
まあ、問題はないか。
二人で一緒に仕掛けられるだけのスペースはある。
目の前のコイツも考えは同じようで、俺と争う気はないようだ。
『では、セーフティエリアから出ます』
「お、来るみたいだぜ」
「そうみたいだな」
視界の端に出しているライブ画像に変化が生じた。
タルが森のセーフティエリアに姿を現わすべく、転移をした。
「「!?」」
サイレンとしか称しようのない音が、セーフティエリアの各所に存在する白色の円柱から発せられた。
その音を聞いてか、プレイヤーたちによって遠ざけられていたNPCたちは、一斉に顔を青白くしながら、建物の中へと隠れていく。
普通のプレイヤーたちもどうしたと言う顔をして、周囲を窺っている。
俺たちは……サイレンをいいことに堂々と武器を構えた。
驚きはしたが、やることに変わりはないのだから。
そして、いよいよ結界扉が開かれて、タルが姿を現わす。
「な……!?」
「っ……!?」
その瞬間、俺も、隣のコイツも全身に鳥肌が立ち、一瞬にして冷や汗だらけになった。
一目見ただけで勝てないと理解させられた。
手を出してはいけないと思わされた。
「化け……物……」
セーフティエリアに姿を現わしたタルは超高濃度としか言いようのない呪詛の霧を纏っていた。
俺たちがいる場所からタルが居る場所まで30メートルほどしかないのに、殆どシルエットしか見えない程に霧が濃い。
「なんだ……これは……」
それでも時折、タルの姿が見えてしまった。
目玉の付いた悍ましい帽子が見えただけで俺は恐怖した。
刺々した杖が見えただけで俺は一歩退いてしまった。
手足に填めている輪が見えただけで首に手を掛けられている気分になってしまった。
「ははっ、ははははは、あはははは……」
正に人の皮を被った化け物。
気が付けば俺が握っていた武器は足元に落ちていた。
隣の奴は頭が吹っ飛んでいて、死に戻りしている途中だった。
タルの特徴である虹色の瞳は欠片も見えなかったが、それでも俺たちの方を見ているのが分かってしまった。
「次元が違いすぎる……」
『CNP』と言うゲームの戦闘において最も重要なのはプレイヤースキルだ。
それは間違っていないと、今でも思っている。
レベルも、装備も、よほどの差がなければひっくり返すことが出来る。
異形度も戦いに生かせるかどうかであって、高ければよいと言うものではない。
だがアレは……タルは……なんだ?
「……」
タルと戦って勝てるビジョンが一切浮かばなかった。
この場に集まっているPKどころか、プレイヤー全員でかかっても返り討ちにあう確率のが高いのではないだろうか?
逃げる事も隠れる事も出来ずに、ただただ蹂躙されるだけになるのではないだろうか?
あまりにも、あまりにも実力に差があり過ぎた。
覚えている呪術とか、装備品の差とか、消耗品の有無だとか、そんなものではどうにもならない程の生物としての差を感じてしまった。
「PKをしてる場合じゃない……」
気が付けばタルは北の雪山に向かって移動を始めており、俺の視界から姿を消していた。
見逃されたのか、そもそも興味がなかったのかは分からない。
分からないが、とにかく俺は生きているようだ。
「強くならないと、せめて逃げられる程度には強くならないと駄目だ……このままじゃ駄目だ……PKで返り討ちにあうのは納得するが、アレに殺されるのは駄目だ! あんな、あんな化け物と俺は戦いたくはない!! あんなのと戦うくらいなら……あ、あ、あ……あああぁぁぁ!!」
俺は震える全身をさすりながら、これからどうすればいいかを必死に考えた。
そして、森のセーフティエリアから逃げ出した。