『幸せについて、』
こんばんは!お久しぶりです!やっと一息つけたので生きがいの文章執筆をすることができました。笑 へへっ、久しぶりに書いたら3千文字超えてしまいました。後悔はしていません!反省もしておりません!みてっ、どうぞ!!
注)久しぶりに思いっきり書けてはしゃいでます...すいません。
人が生きるにあたって、どうすれば楽しく生きることができるのか。私はずっと興味を抱いてきたし、実際楽しそうな人を見るにつけて考える。どうしてそんな楽しそうな雰囲気を纏うことができるのか。どうしてそんなに楽しく生きることができるのだろうかって。いつも疑問に思っている。当然その人にも悩みや葛藤はあるだろう。それでも明るく振る舞うその人に対して、私は素直に尊敬しているのだ。多くのお金を稼いで、多くの賞を取って、良い地位について、人からチヤホヤされる人は私から見ると幸せそうに見える。だけれどその人は幸せじゃないかもしれない。一方で貧しくても多くの人との繋がりを持つことによって幸せを感じている人がいるかもしれない。何を幸せと思うかは人によって違う。確かにそうだ。人によっては秘境を開拓するためにジャングルに分け入ることに幸せを感じるかもしれない。一方で人や動物に対して、危害を与えることに幸せを感じる人もこの広い世界にはきっといるだろう。だから人全体の幸せなんて考察するのは私の身に余るし、考察してしまうと独断的になってしまう。これは将来の私の楽しみに取っておくことにする。人なんていうものは、きっととても素敵なものだ。それでいいじゃないか。私はそう思いたい。
この物語の主役は“私”らしい。らしい、というのは私にはちょっと上手く飲み込めないからだ。主役ってなんだ。この世界でお前の人生は1度しかないんだよ、なんて。バカにしてるのか。そんなことわかってる、なんて胸を張って言えたらどんなに気分が良いだろう。当たり前の言葉だ、ごくありふれた文章だ。だけれど私ってなんだ。そこからしてわからないんだ。私は何が好きなんだ、何が嫌いで何が困るんだ。こんなことさえも考えないと出てこない。これは私だけなのだろうか。昔は、学生時代は。所属している規範に照らして良いとされることさえすれば良かった。それでここまで来れた。ただ、これからは違う。自分の頭で考えないと、価値がない。そもそも自分の価値は自分で認められるようにならないといけない。誰も他人を顧みる余裕なんてないし、一度の失敗が大きな命取りになる。しかし失敗なしの成長はない。これも真理でパラドックスだ。大きな矛盾のなかで、自分の居場所を獲得しなければならない。なんて大層に書いているけれど、皆が通る道だ。大したことはない、と思いたい。頑張るしかないけれど、ちょっと楽しみでもある。とか言ってみる。好きな音楽を聴いて、好きに言葉を書き散らして、好きな本を声に出して読む。これさえ出来れば、私は幸せだ。もう少し贅沢を言えば、お金に余裕が出来たら、自分一人で家を出て、ゆったりとした自分だけのスペースを持ちたい。そこでゆっくりと流れていく時間を暖かい飲み物片手に感じたい。あと好きなことについて友人と語り合いたい。それだけできれば私の人生はいつ終わってもいい。家族の面倒も見ないといけないから、本当はダメだけれど。映画や小説やノンフィクション作品の主人公みたいな波瀾万丈の人生はいらない。心にさざ波が立つ頻度が多いほど、人格は成長するかもしれないが、とても疲れるし、傷つく。そんな辛い思いをしたくないから、私はたとえ面白くなくても平穏を望む。多くの大切なものを抱えるほど、心配事が増えるし、多くのことに気を配らないといけなくなる。それに私の手は二つしかない。抱え込もうとしても持てる量には限りがあるし、その力もそれほど大きくはない。だから私の護れる範囲の大切なものをしっかりと護って生きたいと思う。それができれば私の人生は上出来と言える。
批判を恐れずに書けば、この世界は「その時々の力関係で強い者が勝つ」と私は考えている。それは人間関係でも国際関係でも、資本家・労働者の諸問題でもそうだ。その時々の力の強い者が問題を執り仕切る。力の定義は難しいけれど、私は「どれだけのお金・人・物を動かせるか」だと思っている。力の異なる二者間が争った場合、力の強い者が勝つ。この仮説は私にはしっくりとくる。負けたのはその時において相手の方が私よりも力が上回っていたからだ。そう自分に言い聞かせれば、負けた自分の慰めにもなる感じがする。ただ私が言いたいのはそんなことではない。これはもっと重要な問題に繋がる。二人の個人が争った場合、それは法廷に持ち込まれる。法廷は法律に基づいて個人の力関係を考慮せずに裁断する。力の弱い者でも力の強い者に勝ちうる。これは国家というその強い者よりも圧倒的に強い者が後ろについているからである。国家とは国民一人一人の膨大な集まりだ。では国家を裁くことができるか。具体的に言うと中央政府の暴走で無罪の人が有罪にされた時に国民はこれにどう対処すればいいのか。警察組織も中央政府とグルだとすると、なかなかこれは難しい。こんなことを考えても一個人である私にはどうすることもできないので次にいく。言い方は悪いが強者・弱者は人が二人以上いれば相対的に決定されてしまう。これによって強い者が好き勝手すると、今度は中間の者や標的にされた弱者以外の者も集団心理に囚われて、負の影響に巻き込まれてしまう。つまり何が言いたいのかというと、学校で起きるイジメを解決する為には、大人が強くなければならない。イジメられている子に強くなれ、というのは恐らく時間の無駄だし、時間が掛かりすぎる。それよりは罰則をしっかりと定めておくことが有効ではないか。イジメが発覚した場合、改善が図られなかったらイジメをした学生に対して退学処分の措置を採ったり、学校の名誉を貶めたとして親に損害賠償請求をするのも効果があると思う。また被害にあった子が避難できる場所も用意したり、学校に監視の目を張り巡らすのも効果があると思う。通報制度から現場の証拠を押さえ、速やかに問題にして発表して処分する。時間と金が勿体ないので、さっさと処理すればいいのではないか。下手に隠してうやむやにしようとするから後になって問題が大きくなるのが典型的なイジメ問題だ。早々に対処すればお互いに幸せだろう。進学校なら学校の顔に傷がつく、と躊躇するのかもしれない。ただ死んでしまったらもっと顔に傷がつく。それよりは厳しく処分した方が株も上がるし、そういう誠実な態度は好印象を与えるだろう。それと学校での犯罪行為を警察に届けないのにも問題がある。問題を起こした生徒を匿ってあげることが本当にその子の為になると思っているのだろうか。その子はその時は感謝するかもしれないが、結果的に社会を甘くみることになり、不幸になるだろう。愛情があるなら、厳しく接するのも大人の大切な役目ではないだろうか。少なくとも学校でやっていることが悪いことだと教えてあげないのは、それは優しさではない。それはただの無責任というものだ。愛情でもなんでもない。結果的にその子を不幸にするだけだ。そのためには、もっと先生の負担を減らさなければ、このイジメ問題も改善しないのは目に見えている。過労状態で面倒な状況に対処しようという気力が湧いてくるだろうか。私はそれはちょっと無理だと思う。
生きてきたなかで、美味しいものや綺麗なもの、人との交流を通して得た良い経験や様々な感情体験。そんな色々なものが今の私を形づくっているわけで、つまり私がこんなにお喋りなのは仕方がないことだと思う。長々と書いてきたが、私は本当に文章を書くのが好きだ。なんならこのまま1万文字だって書けるぐらい書くことに幸せを感じている。ちょっと前に書くことは生きること、なんて書いた。本当にその通りだと私は感じている。本音を紙の上に表わすととても気分が良い。批判を恐れずに書く、なんて言葉は保険だ。本当は貴方に私の考えを聞いて欲しいだけだ。つまりお喋りしたいわけで、見てくださった貴方に感謝しかない。なんでも良いと私は想っている。生きていれば喋りたいことの一つもあるだろう。近しい人に話すのも良い、兄弟に話すのも良い、友達に話すのも結構だ。けれど私はここで自分の意見を残している。また見返すかもしれない。備忘録みたいなもので、たまに書き込まれる感想を嬉しく拝見している。ただそれだけだ、それだけがこんなにも楽しくて幸せで。私は今日も筆を置こうとしている。次に筆を握るのは明日かもしれないし、一週間後かもしれない。私は私の好きな時に書くだけだから。またその時にも貴方に会えたらな、と思う。なんてことなく過ぎていく一日に、何かを遺したくて。ここで文章を書き始めた時はただそれだけだったのに、今はちょっと違ってる。春の香りが鼻先をくすぐって、桜の淡い色をした花弁が目の前に映っている。冬が目前に迫っているというのに、私は春の予兆を感じている。もうすぐ平成が終わる。新しい時代は私に何を見せてくれるのだろうか。私たちは一体どこに向かっていくのだろうか。楽しみでならない。次の時代は私たちの時代だ。私たちが良い時代にしていこう。まだ20の若造なのに、そんな生意気な野心を胸に抱いている。
今回は流石に全部に目を通してくださった方は居られないと思います。けれど良いんです。自分でも思いました。長すぎたな...って泣。けれど最後まで読んでくださった方が居るなら、感謝しかありません。もちろんのことですが途中まで目を通してくださった方もとても嬉しく思っています。やっぱり私の文章って長いよ!ってなると思うんです。はい。けれどそれでも読んでくださる方が居るから止められないんだよなぁ。まあ、いつも閲覧・御感想ありがとうございます。もうすぐ冬になりますね。クリスマスですね。正月ですね。皆さん、楽しんでくださいね。私ですか、ふうって感じです。では最後に一言だけ。「メリークリスマス!!」(激早)
追記)感想という素敵なプレゼントを置いていってくださった皆様方、返信できてなくて申し訳ないです。ひとえにこの文月優の不徳の致す所です。必ず返信致しますので、もうちょっとだけこの文月優に御時間をください。泣