同化
残酷な描写注意。
投稿前の初稿ではもっと具体的に書いていたという……。
「やっと、来れた」
第3保管庫内はとてもひんやりとしている。深夜用の青白い照明と、静かに並ぶ光沢の鈍いロッカーが寒々とした印象を覚えさせる。
中央にある端末を操作して、保存されている彼女を検索する。
結果から言えば、後輩は私を行かせてくれた。きっと理解も共感もしてくれないけれど。
これが分かるのはおそらく異能持ちだけ。それも、何人も何人も他殺体を見届けた人だけ。
すなわち、積み重ねられた死に耐えられる人だけ。多くのイタコはそうなる前に引退するか発狂するか、壊れるか。
今のところ人並みに生きていられる私もおそらく、正気ではないと思う。
正気ではないから、理解してもらえないし。
まともではないから、共感してもらえない。
きっと、彼の考え方のほうが多数派で、すなわち常識的なんだろう。事なかれ主義ではないけれど、世界の流れの中をうまく泳いでいく。それがきっと大人の、社会に属する者の生き方だ。、
私は思想家でもないし、革命家でもない。この世の不誠実を声高に叫ぶ力はない。だけど私は理想主義者で、夢見る欲張りだ。自分の目が届く範囲くらいは自分の正義というには烏滸がましい、自己満足の偽善を貫きたい。
低く唸る空調の音だけが聞こえる部屋の中で、ピーっと、電子音が鳴り響く。
電子錠が解除され、ロッカーの収納スペースに比べてあまりにも小さすぎる瓶詰めが引き出される。
「……」
私はそれを手に取り、保管庫内中央の検視台の上に置く。瓶詰のロックを解除する前に、後輩を見る。
黙ったまま私を見ている。何を考えているのか、感情の色は読めない。
嫌われちゃったかな、それとも前任者のように、理解できない存在として恐怖を覚えたかな。
前任者には私の昔話をしたわけではなかったけれど、時々私が錯乱したりする様を見て、耐えれなくなったらしい。
まぁ、その人は今でも元気に別部署で仕事してるけれど。
「何か言わないの?」
気分が少し沈んだのを誤魔化すように、軽い口調で訊ねる。
「いえ、先輩が無事に戻って来て下さってからでいいかな、と」
私のノリに気付いたのか、後輩は無理やりに笑みを浮かべて答える。
……いいヤツだな、コイツ。
「大丈夫。今までもそうだったし、これからもそうよ」
「あ、そうだ。あとで所長に謝罪するとき、僕に押し付けて逃げないでくさいね」
結局、独断専行してるんだよね。私たち。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい、先輩」
潜った先はあの時の現場だ。わたしが殺されるシーン。
「――――」
ノイズが酷くて、採集屋の声が聴き取れない。
現場から離れてたった1日だというのに。
被害者を通して見える視界もところどころピントがあっていなかったり、色彩が失われて白黒の映像のようになっている部分もある。
思っていた以上に難易度が上がってしまっている。それだけ、『魂』と呼ばれるものが薄れているのかもしれない。
きっと、実家以外では魂の存在は否定されているだろうけれど。
「――――」
採集屋がナイフを見せつけて、わたしの眼球に近づけていく。
ここだ。ここからだ。
例えノイズが多くても、同調した心の叫びがぼやけるわけではない
痛覚が遮断されたまま、右目、左目の視覚を奪われる。
痛みはないけれど、触覚などはそのままだ。おぞましい感覚にわたしが狂ったように叫びを上げる。
手足をばたつかせるも、筋力強化の改造はされていないらしく、抵抗らしい抵抗になっていない。
「次は――」
断片的に聞こえる採集屋の声が恨めしい。
右足、右手。左手、右手。聴覚を残しているのはわざとだろうか。
わたしの悲鳴と心の慟哭に耐えながら、私は冷静に見守る。
解体が進むごとに、幼いわたしの心も解体されていく。心が軋んで、歪んで、感情の行き場を失って。最下層に探検に出た頃の無邪気な精神はもうここにはいなくて。
壊れていく。
崩れていく。
そうしていくうちに、少しずつ、ノイズがかった声や知覚が減ってきた。
おそらく記憶が新しくなってきたからだ。すなわち、死期が近い。
「思ったよりスプラッタじゃないのな」
もう1つの男の声。確か自立型機械犬の相手をしていた男だ。
「そちらは終わりましたか?」
わたしを解体する手を止めて採集屋が答える。既に私の胸部は開かれているような感覚がある。
おそらくこのまま内臓を回収するのだろう。
「ああ。装甲はボコボコだけどいいよな?」
悪びれた風もなく、やっちまったぜと言う感じの声が聞こえる。
「……まぁいいでしょう。凄惨に見えないのはお嬢さんの機械化度合いの高さと、完成度が高いからですね。内臓も人工臓器に置換済み、接続する循環器もですね。一部、生体機械が用いられていますが、元の肉体は1%にも満たないでしょう」
「高貴なる青い血ってか」
皮肉げな男の呟き。
「循環液の色の規格を青にしたのはそういう意図もあるのかもしれませんね」
そう答えると、採集屋はわたしへの作業を再開する。
臓器の多くを取り除かれて、腰の位置に配置されていた副脳も取り除かれた。
「ぁー……」
一気に思考能力や外部に対する知覚が低下するのが分かる。呼吸が苦しい。音が遠い。
失われた臓器の機能を残された人工心臓と電脳が代替する。辛うじて残された部位が生存するためだけに稼働する。
もはやわたしの中にあるのは絶望を越えて虚無でしかなく、早くラクになりたいと願う気持ちしか残されていなかった。
「まだ生きてるんの、ソレ」
「質がよい、というのも困りものですね。まだ、意識も保っています」
困ったと言いつつもそう感じさせない口調だ。
「うげぇ。ヘタな拷問よりもタチが悪いじゃねーか」
意識が失われないのは何故だろう。
無駄な思考にリソースを割くくらいなら意識を落としてしまったほうが、生存効率は高そうなのに。
「何があったのかを記憶しておくため。何があったかが分かれば今後の機械化に活かせます。だから、限界まで生存性を高めてあるみたいですね。本人の意思や感情は蔑ろにされていますが」
「それ、分解してるアンタが言うもんじゃねーだろ」
それもそうだ。もちろん彼らは悪人だが、そんな容赦のない機械化を子供に施した2区の思想もおぞましい。後輩が言っていた『替えが効く』という言葉を思い出す。
結局、わたしは上層民の道具でしかなかったのだろう。
「……」
もう、ただ機械的に生かされているだけのわたしもそれに気づいてしまったのか、心が最期の声を届ける。
ころしてほしい。しにたい。もうゆるして。……もう、いいや。
「機能停止しましたか」
それでも、まだ、私の意識はここにある。彼女の記憶がもう少しだけ読み取れる。
「おつかれ。で、全部回収するんだっけか」
「そうですね。……いや、一部だけ残しましょう」
何かを思いついたように、採集屋は告げる。
「大丈夫なのかよ」
「問題ありません。ちょっとした戯れですので」
彼女の記憶はここで途切れた。
「ぅっ――」
第3格納庫に戻ってきた私は倒れ込む。
立っていられない。というか、感覚がおかしい。目の前が真っ暗だ。
「――っ!」
倒れた私を抱きかかえる誰か。きっと後輩だよね。何か言っているのに聞こえない。
普段込み上げる吐き気や頭痛といった苦しみが全て、体の中に渦巻いている。
呼吸が苦しい。まるで、肺がないみたいに。
声が出せない。まるで、舌を抜かれたように。
目が見えない。まるで、眼球を奪われたように。
声が聞こえない。まるで、耳を削がれたように。
手と足の感覚もあやふやだ。
かろうじて触覚だけは機能してて、後輩の硬い腕や体の感触は分かる。
嗅覚もない。
いつもなら後輩からうっすらと香る、火薬と機械油の匂いがしないから。
「――!」
必死に後輩が声をかけているのが分かる。けど聴き取れないんだ。
君の顔も見えないんだ。目が開いているのかいないのか分からないし。
なんつーか、すまん。
混ざっているかもしれない。
やばいなぁ。
わたしでいられるかな。
次回更新は6月8日の午前3時です。