源流
修正していたら遅刻しました。すみません。
「はぁ……」
4区へ向かう間、会話らしい会話をしなかった。
後輩は何度か声をかけようとして止めてはため息をつくといった動きをしていたのは見て取れたけど。
文句があるなら言えばいいのに。きっと君のほうが正しいから。
「……」
私は心の中に渦巻く感情や思考を誤魔化すように、黙って中層の夜景を眺めていた。
中層にしては高層のビルを中心にして広がる煌々とした明かりは深夜になっても消えることはない。
4区は中層の行政区画である。
そして、上層には行けない、行かないことを選択した企業の本社が立ち並ぶ場所でもある。
そんな不夜城の片隅にある、我が社に着いた頃には夜勤組しかいなかった。
もちろん、所長もいなくて好都合だ。
識別票をかざして、ゲートをくぐる。日中のように顔パスではないので、記録に残るのは諦める。偽装や欺瞞工作とかできないし。
地下の保管庫へと足早に歩く。
背後から後輩も付いてきていた。別に帰ってもいいのに。
やってきたのは第3保管庫。主に、うちの会社が担当した事件の生もの置き場。
ちなみに第1保管庫は記憶媒体関連。フロッピーとかいう歴史遺物まで存在する。第2保管庫は武装や機材といった機械関連。重火器を見たことあるんだけど、どこと戦争する気なんだろう。
第4、第5は物置き代わりらしい。本来は別の用途があったとか。
「先輩」
やっと後輩が声をかけてきた。
「ん、なに?」
私はそっけなく返す。説得しようとしても無駄だよ。
「どうして、先輩はそこまでするんですか?」
予想に反した質問が飛んできた。おそらく、6区からここまでの間にずっと悩んだ末に辿りついた問いなんだろう。
外装は不安そうな表情を浮かべているのに、声はどこかしっかりとした響きを持っている。
「あー。そっちか」
「説得は諦めました。だから、どうしてかな、と。そこまでする必要はないと思って。6区の老人は僕たちには関係がないことなのに先輩は怒っていて。2区の子の事件については異能を使って必要な情報は得られています」
「うん、そうだね」
私は頷く。きっと分かってもらえるように説明するのは難しい。
これは異能持ちにしか理解できないことだ
「先輩は十分に事件解決への協力をしています。もしくは、先輩にとっての正義の味方の責務を果たしています」
正義、正義ねぇ。違うんだよ。私は自分の中にあるものが正義だとは思っていない。
「できればとっとと異能したいんだけど、たぶんこのまま行かせてくれないよね?」
被害者の記憶が薄れる前に、情報にノイズが混じる前に、と思う。
「はい。納得できないかもしれませんが説明を下さい」
案外、コイツもけっこうな頑固者なんじゃなかろうか。
「私の異能っていうのはね――」
イタコとはかつて存在した東洋の血統に由来する遺伝的な異能だ。
思春期に入った血統内の女性に発現しやすく、少数だが男性にも発現する。
主な能力は、死体に触れることでその死者の記憶を読み取ること。
記憶は新しいものほど鮮明になる。また、その人物が強く覚えていることや強く感情を揺さぶった出来事などは古くても読み取りやすかったりする。
イタコを使用している間は明晰夢を見ている状態に似ている。
とはいえ、感覚を死者と同期するため、リアリティのある追体験を行っているようなものだ。
「そんな能力だから、私たちの家系って思春期に入ると、老衰した血縁に触れるのが習わしなのよね」
死体に触れることに慣らさせるためと、能力を発現したかの確認のため。
コントロールできないまま、何かしらの事故死体なんかに触れてしまえばロクなことにならない。
よくて、嘔吐と気絶と精神外傷。悪くて廃人、もしくはそのままショック死すらある。
老衰した死体ならば穏やかな死だ。その死の光景に苦しみや強い感情の発露はない。
「まぁ、そうやって異能を発現して、ある程度コントロールを学ぶんだけど。その後の進路って2パターンくらいしかなかったりするんだ」
実家に残って、時々やってくる遺産相続などのトラブルへのイタコを行い、慎ましく暮らす。ほとんどが厄介なのは依頼主なだけで死体そのものは無難な死亡理由が多い。時々、暗殺絡み(毒殺とか)の死体があって本家で引退するイタコが出たりするけど。
もしくは市井に出て、フリーランスとして殺人事件の調査をする生き方。私のように企業契約するのは珍しいらしい。企業契約の場合、ほとんど拒否れない死体があるせいだろうけど。
まー、今、外に出てるのって私ともう1人くらいじゃないかな。
イタコ能力が弱ければ役に立たないし、強ければそのうち壊れるから。
「私が実家から出て、初めて担当したのって知人だったんだ。その子はウチと違う警備会社に勤めていて。当時の私はフリーだったんだけど。まぁ、色々あって依頼が回って来たんだ」
優しくて、頼りがいがあって、前向きで、年上の女性。
最初、知人だとは思わなかった。残っていたのは機械混じりの肉片だけだったから。
それに、それは事件そのものが問題で依頼されたわけではなかった。事件は解決してたんだよね。
ただ、企業に対する工作員と警備会社との間に大規模な戦闘があって、その際に何が起こったのかというのを確認したかっただけらしい。
何があって、貴重な機械歩兵は失われたのか。というのが依頼主からの要求だった。
「まぁ、異能した瞬間気付くんだ。あ、これ知人じゃないかって」
気付いた瞬間の衝撃は忘れられない。知っている人物がこれから死ぬのだ。決まり切った死に抗うことができないもどかしさ、己の力の無さを味わうはめになった。
「んで、死ぬまでの彼女の苦しみとか悩みとか、どうしようもない怒りだとか。そして、頑丈な機械歩兵がなんで死ぬまで撤退しなかったのか、とか」
単に彼女は不運にも巻き込まれた民間人を守りたかっただけらしい。その民間人を守るために、身を挺して、まぁ文字通りなんだけどさ。
バラバラになるまで銃弾や爆発の中に身を投げ出したというわけで。
不運だったのは民間人だったのか、彼女だったのか。
吐き気と頭痛の中、知人の死に対する嗚咽も交えながらその顛末を報告したときの依頼主の第一声は今でも再現できる。
『まったく、中層民と機械歩兵ではコストが違いすぎるというのに』
民間人の死者1名に対する賠償金と、機械歩兵1人を仕上げるのにかかる価格差は計り知れない。
イタコにとっては失われた同じ命なのに、企業や上層の人々にはそこに軽重があるのだと思い知った。
「そんなわけでさー、私の源流ってそこなんだと思う。……それにね。さっきも言ったけどイタコって追体験なんだ。その人の感じたこと、思ったこと、綺麗なものも汚いものの、その人の在り方をイタコは写し取るんだ」
それは強い感情移入。そして、私は才能ある異能だった。
私の中に、イタコした数だけの人格が少しずつ積もっていく。大事な物や好きな物、好きな歌や好きな色、嫌いな物やその人の人生哲学。
「だから私は最期まで見届ける。おかげで吐くことにもなれちゃったし。体験したことがない死に方のほうが少ないくらいかもしれないわ」
拷問も、凌辱も経験した。
焼死、溺死、轢死、圧死、薬物中毒も。自殺も他殺も、事故死も。
「恨まれるような人もいた。ただ巻き込まれただけの人もいた」
でも、末期の心の叫びはほとんどみんな同じだった。こんなところで死にたくなかった、と。
例え死ぬんだとしても納得のいく死に方をしたかったのだ、と。
「死者は蘇らない。けれど、私は彼らの気持ちを知ることができる。彼らに寄り添うことができる」
それが私の異能だから。
きっと、他人の死に様を見ることができる私は、機械歩兵だった彼女のように、悲劇を防ぐ存在になりたかったんだと思う。
けれど、私の異能はそれを為すことができない。私ができるのは誰かの悲劇を知ることだけ。
だから――。
「お願い、異能しに行かせて?」
7話更新は7日午前3時です。