解体
「お嬢様、このアーコロジーには秘密の場所があるのです」
めしつかいのおにーさんがそんなことを言っていた。おにーさんの顔はノイズがかかったかのようにはっきりしない。
「へー、どこどこ?」
「それは最下層と呼ばれる10区の奥にございます。0区と呼ばれているそうです」
「どんなとこだろー、2区よりすごいのかなー?」
ここは何でもあるけど、わたしにはたいくつなの。べんきょう、ならいごと。みんなとあつまっておしゃべりしたり。
わたしは『おかざりのお人形』でいいんだって。よくわかんないけど。
「さぁ、私には分かりかねますが、とても不思議なところだと聞いております」
「でも、10区なんて行ったことないしなー。きっとおこられちゃうよね?」
しかられるのはいやだ。こわいし。
「皆さまには秘密にして抜け出せばよいのですよ。バレない方法はございますので」
「教えてくれる?」
でも、きょうみはある。きっとだいじょうぶだよね?
「ええ、ですが念のため自立型機械犬は連れていくべきでしょう」
「うん! ドーベルマンといっしょに行くねー」
ポチといっしょならだいじょうぶ。
わたしはそんな経緯で教わった通りに最下層まで辿りついた。
おにーさんの指示通りに2区から抜け出し、無線標識を無効化。どうやら下層までは街頭監視カメラの死角を縫うようなルートを採っているような気がする。
この辺りは、後輩に確認してみよう。抜け出した日時程度なら、わたしの記憶から抜き出せる。
護衛のおかげで、最下層の浮浪者たちや不心得者は手を出さないようだ。
「あるくのつかれたー、ポチのせてー」
わたしはそんなことを言いながら、最下層の澱んだ空気の中を彷徨う。
チラリ、チラリと不埒な視線が刺さっていることにわたしは気付いているのかいないのか、私は分かるけど。
その視線はポチのおかげですぐに消え失せた。
ポチは外装は生身の犬とロボットの中間と言ったところである。2区の技術があれば完全な生物としての犬を模倣できそうなものだけど、おそらくそれだと護衛としての示威効果が無いと判断したのだろう。
「ひみつのばしょってどこだろうねー」
「ワフ」
ポチをペチペチと叩きながらわたしはそんなことを呟く。
汚水の水たまりを飛び越えたりしながら、気が付けば、現場に辿りついていた。
儚げな電球がぶらさがった、人気のない路地。
すなわち、わたしの死に場所。
「こんにちはお嬢さん。今日はいい天気ですね」
その声とともに――ポチが反応するよりも早く――わたしは泥だらけの地面にうつ伏せに抑え込まれる。
汚水混じりの土が跳ねる。
「ガルルルルル」
ポチがわたしの危機に反応して対応しようとしたところを、横殴りに蹴り飛ばされ、壁に激突する。
「おっと、お犬様の相手はこの俺だ」
声が聞こえる。何者かは見えない。けれど、少なくとも男だ。
「グゥゥゥゥゥ!」
「廃棄物にはしないでくださいね。犬には犬で使い道がありますので」
「へいへい。そっちもうまくやれよ、採集屋」
「というわけで。貴女は最下層まで遊びに来た悪い子ですので、お仕置きしないといけません」
「え、え?」
頭上で飛び交う会話が理解できなくて戸惑う、わたし。
押さえつけているだろう人物の顔を見ようと、かすかに首を曲げようと足掻く。
「ふむ。まぁ、いいでしょう。人と話すときはちゃんと顔を見て話さないといけませんからね」
わたしの動きに気付いた声の主は、ゆっくりと抑え込んだままわたしを仰向けにする。
人のよさそうな糸目の中年男性。黒の祭服に黒の中折れ帽は、物語に出て来る宗教家のようにも見える。
「たすけて……」
「申し訳ありませんが、そういうわけにはいきません。素材をきっちり回収しないといけませんので。その点、貴女はとてもすばらしい。貴女の全てが素材として一流だ」
そんなことを一方的に言ってのける男の手には、鋭利な小振りのナイフが握られている。
「ひっ」
「大丈夫です。お嬢さんのような止んごとなき御方には、痛覚遮断機能などが搭載されています。何も恐れることはありません」
男の目に彼女は素材にしか見えないのだろう。人を人として見ていないそんな感情を宿した目。
私はそんな男に吐き気と嫌悪感を覚える。
「ちなみにこのナイフ。高調波ナイフと言いまして、超高速で振動して切断するものですね。これなら貴方の生体強化皮膜も容易く溶断することが可能です」
わたしの強化視覚がナイフを分析する。この目、高性能ね。
「……えぅ」
恐怖と混乱のあまり、わたしは言葉にならない声を上げることしかできない。
「どこから切断しましょうか。ああ、その衣装も非常に良いものだ。貴重な天然の生糸ですかね? ああ、妬ましい」
ゆらゆらとわざとらしくナイフを揺らす男。趣味が悪い。
「うぅ……」
「ふむ、それではその美しい、ターコイズのような瞳から」
わたしの返事を期待していないのか、それとも聞く気がないのか。
男は独り言のようにブツブツと呟きながら、ナイフを近づけていく。
ジジジジジジ、と低く震えるナイフの音が聞こえる。
わたしの心が恐怖の悲鳴を上げる。
心臓が軋む。悪寒が走る。涙が止まらない。
心拍数と呼吸数が過度に上がり、わたしの中の副脳が警告メッセージを示し、自動的に鎮静剤を投与する。
そんな鎮静剤は気休めにしかならないし、この状況を打破することもできないのに。
ナイフがわたしの肉体に触れると同時に、警戒モードに入っていた副脳から、痛覚は強制的に遮断される。
痛覚だけなくなっても、このまま意識を失うこともできないまま、ナイフが入り込む感覚だけが《わたし》を苛んで。
それでも、私は最期まで、見届けようとして――。
「先輩っ」
無理やり、彼女の遺骸から引き剥がされる。強制的な切断は私の精神に負荷がかかるから止めてほしいんだけど。
それに、まだ終わってない。
「何よ」
私は苛立ちを隠さずに問いただす。
「だめです。先輩のバイタルが平常値からかけ離れた異常値を示していました。一体、何を見たんです?」
そうだった、後輩が一緒のときは監視されてるんだった。無理できないじゃん。
「何って、彼女の記憶。2区からここにやってきた経緯と、彼女を殺した相手までは見えた。まぁ、確定ではないけど。9割方殺人犯でしょう」
最期までは見ていないとはいえ、ほぼ間違いない。
そして、あのまま、彼女は生きたまま――されて。
ずきずきと頭が痛む。強制的に異能を解除した影響だろうか。それとも、彼女の死の記憶が強すぎた?
「先輩、大丈夫ですか?」
後輩が心配そうに私を覗き込む。いつもの姿じゃなくて機械の姿なのでちょっと怖い。
「大丈夫に見える? ま、ともかく。10区の先に0区があると唆したヤツと、ここで彼女を殺した2人組がいる。唆したヤツについては、死後の時間経過のせいで見えなかったわ」
正直、昨日よりも体調が悪い。体の中を異物が走り回ってるような不快感。薬物中毒の症状じゃあるまいし。
「2人組については見えたのですね。そちらは後程モンタージュで照合をかけましょう。先輩って電脳じゃないから記憶照合できないの欠点ですよね」
「その分、体張ってるから大目に見てよ」
私は極力、生身でありたいんだ。
「ええ。できればあまり無理して欲しくないのですが」
きっと外装付きだったら後輩は困った顔をしているだろうなと幻視する。
「……あ、そうだ。2人組の片割れ。採集屋って呼ばれてたおっさんが高周波ナイフを使ってた。おそらく、2区の製品」
「話を逸らしましたね。っていうか、先輩、ナイフに詳しかったですっけ」
「ううん、被害者の目の分析結果」
「強化視覚持ちですか」
さすが後輩。機械歩兵なだけはある。
「というか、さ。10歳の女の子に行う機械化度合いじゃないと思うわ」
強化視覚・聴覚、副脳、生体強化皮膜、呼吸器ろ過フィルター、強化心肺などなど。
私が感じただけでもこれだけあった。おそらく手が入ってない箇所はないんじゃなかろうか。
「その点については同意します。……体調悪いとは思いますが、先輩」
後輩はトーンを下げながらそう言うと、私を小脇に抱える。
「え、ちょっと」
できればもうちょっとマシな抱え方を。荷物じゃないんだから。
「囲まれてます。隠蔽なしで4人。前と後ろから2人ずつ」
後輩は感知しているみたいだが、私にはさっぱり分からない。
「10区の浮浪者?」
「動きに統率が見られることと、銃器を感知しましたので、違うかと」
「つまり、この案件よね」
「そうなりますね。先輩、このまま脱出することを提案しますが……」
「却下。あの子を置いてはいけない」
まだ、私は被害者を弔えていない。ただ、彼女の記憶を覗いただけだ。それは私の信念に反する。
「ですよね。ですが、回収の際、必ず保護をかけてくださいね。そのまま、異能を暴発でもされたらさすがに困ります」
静かにけれど速やかに後輩は私を地面に下ろす。
「大丈夫」
私は頷く。そんな台無しなことはしたくない。
「では、僕がどうにかしますので」
後輩が戦闘態勢に入る。おそらく内臓していたのだろう、片手に大型拳銃を構えている。
機械剥き出し状態で火器を構えている姿はまんまロボットだなぁなんて思う。言うと凹むだろうから言わないけれど。
「信頼してる」
私が言うが早いか後輩の姿が消える。加速して突撃したようだ。
前方から銃声とくぐもった悲鳴。
その音に反応して、後方から走りだす足音。
が、その足音が私に辿りつく前に、後方にも銃声。もちろん悲鳴付き。
うん、後輩、いつの間に後ろに回り込んだんだ。
私はそんな戦闘音を聞きながら彼女を回収する。危ない、そのまま触るところだった。保護して密閉して、と。専用の保管容器に彼女を入れる。
ごめんね、途中で切り上げてしまって。後でちゃんとまた見届けるからね。
3話更新は6月3日の午前3時です。