俺と彼女の話
王子視点
彼は特殊な能力を持たない普通の人間です
目覚めると大切ななにかが足りない気ががした。
それがなにか分からない。
分からないが、なにか足りない。
視界に見知らぬ女が写る。
一瞬心がざわついた。
原因がわからなくて思わず問いかけた。
「お前は誰だ」
何故当たり前のようにそばにいる。
部屋にいるのは何故だ。
俺に関わるような貴族の令嬢は全員知っているはずだ。
しかしこの女は知らない。
何故王宮の中にいる。
いや、違う、そうではないのだ。
このような問いかけはおかしい。
王宮の中に、俺の隣にいるのが正しい。
待て、見知らぬ女に何を思っているのだ、俺は。
いつまでも終わらない思考に囚われかけたとき、部屋に人が増えていることに気がつく。
周りから体調が回復したことの祝いの言葉を紡がれる。
俺は笑顔をつくり対応する。
どのような身体、精神状態でも笑顔を作れるように教育されてきた。
僅かに使用人たちの態度が違う気がした。
まるで腫れ物を触るかのような。
俺が心臓の病から回復したばかりだからだろうか。
いや、違う気がする。
ふと先程の女を見てみると、 呆然とした様子で立っていた。
その姿を見ると無償に慰めたくなり、そんな自分に戸惑う。
彼女とは初対面のはずなのに、自分の側にいることが当たり前に感じてしまう。
心を乱されることが嫌で、出ていけ、という視線を向けてしまう。
ダメだ、そのような視線を向けては、彼女を引き留めなくては。
良いのだ、見知らぬ女だ、そのまま追い払え。
矛盾する気持ちがせめぎあう。
彼女は出ていこうとするが、不自然にその動きが止まった。
それもそのはずだ。
無意識に、俺は彼女の腕を掴んでいた。
自分の行動が理解できない。
思わず手を離す。
困惑した表情を浮かべながら、彼女は退室した。
当然のことであるはずなのに胸のどこかが痛んだ気がした。
数日後、医者から完治した、という診断が下された。
ようやく動けるようになった。
やらなければいけないことが山のようにある。
だが、それより彼女のことを優先しなければいけない、と思った。
このままではダメだ、なにか手を打たねば。
そう思う自分に対して特に疑問に思わなかった。
後から考えるとそれはおかしいのだが、彼女の身元を確認しなければと思ったのだ。
父である王の前に通された。
挨拶もそこそこに彼女は誰なのか、と問いかけた。
婚約者だと言われたときの衝撃は大きかった。
婚約者ならば幼い頃から関わりがあるはずだが、何故それがないのか。
身分はそれほど高くないはずなのに何故婚約者なのか、身分だけで言えば他にもふさわしい相手がいたのではないか。
王はそう問いかけた俺に遠回しに婚約を解消しても良いのか、と確認してきた。
なぜか胸が痛んだが頷く。
「1年間、猶予を与える」
父は彼女を連れ戻すことができたら婚約は継続、疑問に思う気持ちが変わらなければ婚約は解消する、と告げた。
1年間とは何故なのか、連れ戻すとは一体どういう意味か。
沸き上がる疑問はあるが、面会に許された時間が過ぎてしまった。
だが時間があったとしても、これ以上話すつもりがない事が王の表情から分かった。
あとは俺一人で判断しろ、ということだ。
もやもやした気持ちを抱えながら退室した。
王と面会した日から執務を進めているが、全く減る気配がない。
寝込んでいた分、執務が溜まっている。
忙殺、という言葉が相応しいだろう。
その忙しい日々の中でも俺は頭の片隅で常に彼女のことを考えていた。
全く記憶にないが、婚約者だという。
今思い出せば彼女は俺が目覚めたとき、とても嬉しそうな顔をしていた。
そしてその表情はすぐに何かを失ってしまったような、そんな表情に変わった。
俺が、何かを無くしてしまったのか。
たとえば、彼女との記憶。
そう仮定すると、あの場での使用人たちの態度や王の対応などの説明ができるのではないか。
婚約者なのだ、少なくとも手紙のやり取りはしているだろう。
彼女と自分がどのようなやり取りをしていたか知りたい。
そう思った俺は、使用人たちを呼び出し、手紙の場所を確認した。
俺は手紙のやりとりがあったかどうかすらわからない。
しかし彼らならば知っているのではないかと。
彼らは気まずそうな顔をした後、もうありませんと消えるような声で呟いた。
俺は失望した顔をしたのだろう。
彼らは最後に彼女を調べる手伝いはできかねます、と言うと申し訳なさそうに下がっていった。
一筋の光すらなくなった気がした。
無意識に彼女との繋がりを期待をしていたのだと知る。
だが考えてみろ、もうありません、ということは俺と彼女は婚約者として交流があったということだ。
やはり俺は忘れてしまったのだ、大切な記憶を。
世界はこんなにもつまらなかっただろうか。
使用人たちが彼女を調べることは王によって禁止されているらしく、俺は一人で調べるしかない。
しかし、王子という立場から城から出ることも難しく、全く調べることができていない。
毎日、ひたすら執務に明け暮れる日々。
そんな中、花の商人が来た。
何故俺のもとへ来るのか分からなったが、毎月来ていると聞き通した。
俺は毎月彼女に花をプレゼントしていたらしい。
彼女はいなくなっても、存在を感じさせる。
そう思いながら花を送る相手はいないのに、花束を作った。
商人から聞いた俺がよく買っていた花、彼女が好きだったという花をメインにして。
花束が机の上で枯れた。
花はあっけなく枯れるものだな、と花束を見つめる。
押し花にでもすれば良かったか、と思いそんな自分に疑問を覚える。
押し花、という発想はどこから来たのか。
商人が来なければ花を買うという機会すらなかった。
彼女が関係しているのではないか、と思う。
ふと本棚をみる。
部屋の片隅にひっそりとある本棚。
執務に必要なものしかない、そのはずだが今見てみると。
彼女の好きな花を知った上で見てみると。
一冊だけ彼女の好きな花の色をした本がある。
まるで大切な物を他人に触れさせないように目立ちにくいところに、けれど自分の取りやすい位置に。
なぜ今まで気がつかなかったのだろう、そう逸る気持ちをそのままに、厚みがある本を手に取る。
ずっしりした本を開こうとすると、ページの途中になにかが挟まっていることに気がついた。
そのページを開くと、挟まっていたものの正体が分かる。
それは、彼女が好きな花の押し花を使ったしおりだった。
本の内容は日記らしく、日記の一番新しいページにしおりが挟んである。
全く書いた覚えがないが、自分の字だ。
改めて最初から開いてみる。
俺が探していたものだ、と確信する。
日記の出だしは“忘れてしまわないように、忘れてしまっても良いように、日記を残しておく”、まるで現状を見越しているようだった。
日記の1日分の文章は短く、日々のさりげないことが書かれていた。
彼女にあげる花を悩んでいる、彼女は何が好きだ、このような話で盛り上がった、など。
彼女は俺の中心だったのだ。
彼女のことが中心にかかれてあり、彼女とあった時の文章だけやけに長い。
その中でやけに気になる文章があった。
“彼女は俺とはじめてあったときまるで人形のようだった。彼女の力を見る度に、彼女が以前のようになってしまわないか不安になる”
その後、彼女が俺に微笑んでくれて安心した、など書かれていたが、異様な不安を消せない。
彼女の力、というのはどういうものなのか。
日記の中に答えはない、が。
答えは出ている気がする。
俺は心臓の病を持っていた。
それは成長すればするほど悪くなるもので手の打ちようがない、と言われていた。
そして彼女のことだけを忘れており、まるでその対策というかのようにあった日記。
彼女の力は彼女に関する記憶と引き換えに、病気を治癒するといったものではないだろうか。
怪我などは含まれるか分からないが、俺の病気が治っているのだ、力は大きいものだろう。
そこで気がつく。
以前言われた、1年間の猶予。
なぜ1年間なのか疑問に思っていた。
だが、修道院にいくとしたら。
修道院には1年間の見習い期間があるのだ。
1年、人々に奉仕し神の力を徐々に受け入れていく。
神の力を受け入れれば受け入れるほど、感情が薄くなっていくと聞く。
そして、不思議な力を持つ人ほど、他の人より感情が希薄になる速度ははやくなるとも。
修道院に入ったものは誰であれ保護される。
彼女のことを調べることはできないのだ。
俺が直接赴かなければ。
彼女は不思議な力を持っている。
それは感情が希薄になる速度は他の人より速いとうことを示している。
そして彼女は俺と出会う前、修道院に入っていないにも関わらず人形のような、感情が希薄な状態になっていた。
今から行って間に合うのか、遅くはないか、そんなことを考えながら体は正直だった。
執務をすべて放りだして駆け出す。
使用人たちが驚いた顔をしていた。
それを横目に外へ向かう。
後ろで護衛たちが慌てているのが目に入ったが、俺は止まるとこができなかった。
忘れていて、思い出すまでに時間がかかってしまった。
また、正確には思い出しているわけではない。
今さら遅いかもしれない。
間に合え、心からそう思った。
修道院まで長いようで短い道のりだった。
バザーをやっているらしく、優しい日差しのもと修道院の皆が働いてる。
彼女はいるだろうか、と働いてる者の顔を見ながら歩く。
何も考えずに出てきてしまった。
見習いの間は地方に行っていることもあるのだ。
端まで歩いたが、働いてるいる中に彼女はいなかった。
落胆を隠せず裏手に回る。
修道院の裏には緑が豊かな庭がある、という知識があった。
なんとなくそちらに向かう。
裏手から誰かがやって来る。
バザーに持っていくのだろう、小物が入ったかごを持っている。
俺はその場から動けなくなる。
彼女が、そこにいたのだ。
喜びが押し寄せ、なにを話せば良いのか、と言葉につまる。
探しているものをようやく見つけたのだ、というように心が震える。
自然に涙が出てきた。
思わず彼女に手を伸ばす。
彼女も俺に気がついたようだ。
にこやかに笑う。
にこやかに。
「お久しぶりです」
明るい日差しの中で見る彼女は、あのとき部屋で見た彼女より美しかった。
だが、あとときの部屋に戻りたいと心から思った。
彼女を傷つけてしまったであろう、あの空間に。
にこやかに笑った彼女の表情は、まるで人形のようだった。