祭司長からの依頼
「よくやりました、ルーク」
その言葉に思わず座っていた椅子からルークはずり落ちそうになった。
品のある調度品と紅に染め抜かれた絨毯が敷かれる神殿の祭司長の部屋。ルークはその女性と丸いテーブルを挟んで座っている。
彼はまさに自分の前で座っている人が自分の母の妹だとたしかに理解した。長くて黒い髪や浅黒い肌、つり目がちな怖い瞳は母の面影が色濃く出ているが、それよりも何よりもその考え方が姉妹だと強く表れていた。
「あ、ありがとうございます」
彼女に向けて彼は恐縮したように頭を下げる。
師匠とうり二つの目で射貫かれると条件反射のように背筋が伸び、ルークは借りてきた猫のように大人しい。それもこれも修行に耐え抜いた彼の癖のようなものだ。
真っ白ですらりとした神官服にを包んだマシス神殿祭司長のアーヴィ・アシュラムは自分の甥に満足そうに答える。
「門番四人と素手での喧嘩。一歩も引かず、打ち負かしたルークは我がアシュラム家の誇りです。わたし自らが家名を継ぐにふさわしいか見極める必要はありませんでしたね。あなたが《書片》の導きによって我が一族となったことを認めましょう」
微笑むと、三十半ばと聞いている歳よりもずっと若い精気に満ちた顔が艶やかに彩られ、二十代でも通用しそうだ。
門番との乱闘騒ぎからルークは一時牢屋に入れられた。
四人の門番を拳で黙らせ、ワラワラとあつまる門兵たちのお縄に素直に応じたためだ。彼もべつに都市と喧嘩をしたいわけではないので、高圧的に出ていた門番を倒せればそれで満足なのだ。
牢屋に入ることは初めてだったが、興味深げに同じ檻に入っていた者達と会話をするまでもなく神殿から使いの者が来て、ルークを神殿へと案内した。
神殿からまっさきにマシス神殿の祭司長室に連れて行かれ、彼女の前に座らせられる間、彼もさすがに叱責されるのではと内心思っていたが、逆に褒められるとは考えもしなかった。
ルークは自分が継いだアシュラム家とはどのような一族なのか大いに気になりもするが、聞くと後に退けなくなる気がしてためらう。激情家の彼も怖い物が存在するのだ。主に育ての母に関連することの一切がそうである。
「さて、今後のルークの生活について教えます」
ルークが母の一族に恐怖を抱いている中、妹のアーヴィは平然と続ける。
今後の生活と言われて、彼も気持ちを彼女の言葉に向けた。
自由都市アズマの火の神マシスの祭司長。その役職はこの神殿内部のことだけではない。その権力は元老院の一席を支配するほどの力をもつ。彼女が言い渡すことはほぼこの都市での命令に近い。たった一声でルークを牢屋から出した力とはそれほどの大きさなのだ。
母とアーヴィ祭司長では自分のことが何やらやりとりされているが、ここに来るまで一切なにも知らずにいる。
彼は戦々恐々としていた。あの母の妹だ、どんな難題を言い渡されるかしれたものではない。
「お願いします、えっと・・・叔母さん」
そう返すルークにアーヴィ祭司長は鋭い目を光らせる。
「なるほど・・・甥ができた喜びは確かに素晴らしいものですが、自分自身の歳を意識しますね」
言ってはならない地雷を踏んだと彼は冷や汗をかく。
女性の歳のことは言ってはならないと母から骨身に染みこむまで教えられているルークだが、戸籍上の叔母だからこそそういった呼び方をしてしまった。
「す、すみません」
「いえ、いいのですよ。それぐらいで怒ったりはしませんから」
とは言いつつも眉に皺が寄っているのを見て、ルークは二度と叔母さんとは呼ばないと決意する。
そんなルークの顔色を察したアーヴィ祭司長はひとつ咳払いをして続ける。
「ルークにはしばらくこの神殿の助祭として働いて貰います」
「マシス神殿にですか?」
思わずルークはアーヴィ祭司長に聞き返していた。
自分が神官服を着込んで神に祈りを上げている光景がまったく浮かばなかったからだ。世間知らずのルークでも神官という仕事に多少覚えがある。孤児院でたまにやってくる神官たちを知ってはいるものの、母に育てられた後は祈りなど上げたことがない。母は祈りとは諦めたときにするもので、するなら死んでから祈れというほどの人種だ。生活の中に信仰の文字は全くなかった。
間抜けに自分を見つめ返すルークにくすりとアーヴィ祭司長は笑う。
「その顔を見れば信仰心が欠片もないとよくわかりました。形式上で構いません。助祭の話をしたのも理由があるからです。ルーク、あなたはここに来るまでに世間で《書片使い》がどのように扱われているかを知りましたね?」
彼女は入学したての生徒に教えるように優しく尋ねる。
ルークは自由都市アズマへ辿る旅路を思い出して顔をしかめる。
「・・・あまり歓待はされませんでした」
口に出すとそのときの光景が目の前に広がってくるようで嫌気がさす。
色々騙されはした。しかし、それ以上に自分がぶら下げている《書片束》を見た人々の反応の方が彼にとっては悲しいものだった。《書片使い》という者達は普通の人間からすると恐怖の対象で、一度行商のキャラバンに同行した際は、魔物の襲撃の壁のように扱われた苦い経験がある。その中で一番強かった自負はあるが、助けるのが当たり前のようにされ、しかも感謝の言葉を言われなかったのは彼でも憤りを覚えた。助けることはいい。自分が役に立つというのは喜びでもある。しかし、それを当然だと言われるのは同じ人間として扱われていない。
アーヴィ祭司長はそういった《書片使い》の扱いをどうにかしたいと思う一人だ。彼女も《書片使い》として名の知れた使い手。後輩達を守り、より良い環境で修行に励んでほしいと願っている。
ルークが感じたことを、我が事のように受け止めて小さくため息をつく。
「わたしの努力が至らないせいか、残念ながら我が神殿もいまだそういった感情を払拭できておりません。特に火属性はより恐怖の対象です。火のマナを司るマシス神は軍神であると同時に生命の魂に活力をもたらす豊穣の神なのですが、一般の方にとっては破壊の神と恐れられています」
ルークも火属性の《書片使い》の端くれとして神話については母から聞いている。
火、水、風、地の四属性に創造神の無色を加えた五大属性を司る神々。その中で、火属性はマシス神の使いとして《書片》を操る。マシス神は元々豊穣の神であったが、火は鉄を鍛え武器にし、兵士の士気を上げる戦いの神だ。《混沌の時代》と《剣の時代》を経てきた一般の人間は戦いに忌避感をもっている。極端な者達はマシス神がいるから戦いが絶えぬと言って、火の神殿を取り壊せというものさえいた。
自由都市アズマは大陸でも南よりで、火山地帯や鉱山から鉱物の流通が多く、大きな鍛冶組合を所有しているので、そういった者達も少ないが、無登録や無所属の火の《書片使い》をあまり快くは受け入れない。
「だからこそ、あなたには火の《書片使い》が民の生活になじむ方法を学んでほしいのです。信仰は必要ありません。ただ火の使い手がより民に求められるような生き方や立場をわたしは願っています。そして、ここには火の使い手を求める民が様々な依頼を持ってきます。それをこなしながら民に受け入れられ、自分がふさわしいと思った生き方を探してください」
静かに話すアーヴィ祭司長の言葉を聞きながら、ルークはやはり姉妹でもずいぶんと違うと思っていた。
母ならこのような説得力のある話し方はしない。問答無用で仕事を押しつける。その間になぜそれをするのかという説明はない。
だが、目の前の叔母は元老院の一人。口調にも思わず頷いてしまうほどの迫力がある。
彼も叔母の力になり、人のためになるなら是非もない。
「わかりました。俺でよければ使ってください」
「ありがとう、ルーク。最近は神殿も忙しくなっています。ちょうどご隠居をお願いした祭司の担当に穴があいていたところなので非常に助かります」
にっこりと笑う叔母を見て、ルークはやはり姉妹なのかと思ってしまう。
お願いという含みを持たせた言葉の意味が怖かったからだ。彼はあえてそれに触れないよう注意をした。
「具体的にはなにを?」
「鍛冶組合の炉の管理です。火の《使い魔》を召喚して、炉を管理させるだけですが、怠れば我が神殿の評判が墜ちてしまいます。とても意義のある仕事ですね」
簡単に言うアーヴィ祭司長にルークは思わず言葉を失った。
ルークでもその意味はわかる。鍛冶組合の炉の管理をするということは自由都市アズマの主要産業を支える大事な役割だ。自分のような下っ端の《書片使い》がおいそれと任されるようなことではない。
「俺にそんな重要な役目を・・・?」
「ええ。姉からの手紙であなたの力のことは伺ってますよ。中型クリーチャー程度なら問題ないと」
「それはそうですが・・・」
「習うより慣れろですよ、ルーク。それに組合長は厳しい人です。もしルークが力不足とわかれば即座に変えるつもりです。まあ、我がアシュラム家の者がたかが鉄を溶かすぐらいの火力を出せないとは思ってもいませんからね」
挑戦的に笑う叔母は、たかがといっているが、鉄を溶かすにはそれこそ噴火する溶岩と同じ温度の火力が必要だ。それだけの火力をもつ《書片使い》は一人前の証だろう。
しかし、ルークが言い渡されたのはなんでも燃やし尽くす火力だけを要求されていない。その暴発しそうになる火力を支配して、炉を維持しろと言っているのだ。
その火力をもつのが中型以上に分類される《使い魔》。二三なら問題はないが、神殿へ案内されている途中にみた高い煙突のある建物すべてとなると十体以上は召喚しなければならない。
これは骨が折れるぞとルークは覚悟する。しかし面白いと思ってもいた。
挑戦的に言われたら何が何でも達成したくなるのが彼の癖で、養母に鍛え込まれた根性でもある。
「引き受けましょう」
「いい顔です、ルーク。今日は旅の疲れを癒やし、明日から職場に向かってください。宿舎は街の方に用意しています。若い男の子ですから私生活は堅苦しい神官用の宿舎はなにかと不便でしょう」
「あ、いえ・・・」
理解ある叔母の言葉にルークは先ほどまでから一転して恐縮する。
火のマシス神は豊穣の神ゆえに種族の繁栄についてかなり奔放な教義がある。戦いの高揚の中にある戦士と女性の契りは、炎の魂を宿した子を得られると信じているのだ。
「ふふふ。年頃なのですからしっかりと遊びなさい。ですが、子宝に恵まれて貧困に喘ぐなど許しません。しっかりと責任をもってしてください」
「はい・・・」
なんと答えればいいのかルークに分からず頷いた。
「さて難しい話はここまで。ささやかですが夕食はわたしの家で歓迎会をします。若い男の子といえばお肉ですよね、お肉。牛一頭潰させていますから遠慮なく食べてくださいね」
牛一頭潰す夕食がささやかなものなのか、ルークにはいまひとつ判然としないがそれはちょっと違うと感じている。それに町の人々が豪華だと喜ぶ牛肉をルークはいまひとつ肉を食べている気がしない。肉が油っぽく柔から過ぎるのだ。
しかし、好意を無下にできるほど彼も世間知らずではない。
「ありがとうございます」
「わたしも楽しみです。これからわたしは職務がありますので、宿舎へと街の案内は彼女に任せましょう」
アーヴィ祭司長はそういうと椅子から立ち上がり、職務机のうえのベルを手にとってチリンチリンと鳴らす。すぐにノックが扉を叩き、誰かが入ってきた。
「お呼びですか? 祭司長さま」
「シェリン。この子が前に話していたわたしの甥です。街を案内してあげてください」
「この方が?」
と、値踏みするように自分をみるシェリンという神官をルークは怪訝な顔で見つめ返す。白い肌の生真面目そうなシェリンの顔にはどこか落胆している表情がうかがえたからだ。
美人ではある。自由都市アズマや南の地域には見られない透き通るような白い肌は北の方の出身だと彼にもわかった。手足は長く、あまり鍛えられていないのか腕は細い。アーヴィ祭司長に似た服を着ているが、およそ印象というのは全く違って見えた。
アーヴィ祭司長は精気に満ちあふれた浅黒い肌を強調するように、シェリンとよばれた彼女は理知的な雰囲気である。火の神マシス神殿を奉じるにはその理知さは違和感がある。
それでも紹介された手前、ルークは彼女に名をつげる。
「ルーク・アシュラムです」
「シェリンと申します。ここでは助祭を仰せつかっています」
一瞬、シェリンは睨むようにルークを見る。が、その瞳はすぐさま祭司長へと向けられた。
もうなにも関心はないとでも言うようにだ。
その仕草に口には出さないもののルークもいけ好かないやつだと鼻白む。
「発掘された《書片》はどういたしましょう?」
「シェリン、あなたは少し羽を伸ばしなさい。いくら職務とは言え、たまには太陽の下にでないとダメですよ。鑑定できないのもまた《書片》の意思です」
「ですが・・・鑑定不可だと諦めてしまえば、せっかくの火の《書片》がグリム神殿へ回収されてしまいます」
「それも仕方ありません。使い手がいない《書片》は危険ですから」
二人が仕事の話をし始め置いてけぼりになったルークが興味深げに間に入った。
「何かあったんですか?」
そう尋ねるルークにアーヴィ祭司長が振り返った。シェリンはどうも迷惑げに顔をしかめている。
「ああ、ルークには関係ない話でしたね。すみません」
「いえ、大丈夫です。ただ、未鑑定の《書片》は気になります」
「なるほど、これも良い機会ですね。最近、この街に腕の良い探求者が滞在しているのですが、このまえシェリンとハンターを含めた四人がこの地に眠る《邪神の墓》という遺跡の調査に行ってきたのです。調査は新たな遺跡の入り口を見つけ、そこでとある火の《書片》を見つけたまではいいのですが、神殿内の誰にも鑑定ができていないのです」
アーヴィ祭司長は頬に手を当てて困った顔で言った。
《書片使い》や神殿の信者たちには一つの信仰がある。
それは《書片》には意思があり、使い手を選ぶという。
創造神グリムを奉じるグリム神殿では厳密な分類と等級を分けて使用する者に許可を与えている。低級の《呪文》や《使い魔》、《古代遺産》ならば使用者の魔力や土地のマナを消費すれば暴走の危険性はないが、上級になればなるほど使用するには《書片》が使用者に従う意思という条件あるいは対価が必要になる。
例を挙げるとするなら、とある部族系の《使い魔》で《王》と呼称される上級《書片》は、同じ部族系統の《使い魔》の《書片》を複数《書片束》に所有していなければならないという具合だ。
そう言った《書片》の条件出しのことを《鑑定》と呼んでいる。
《鑑定》による条件出しは様々な知識と《書片》を使いこなす技術が求められ、上級の《書片使い》を抱えている神殿の神官が担当している。
が、ときたま非常に稀少な《書片》は神殿の神官でも《鑑定不可能》なものが存在し、それを放置すれば厄災が降りかかる。
知らず知らずの内に土地のマナを集め、使い手がいないのにもかかわらず召喚され、暴れ回る。使用者不在、あるいは使用者に従わない《書片》の起動を《暴走》と呼び、神殿や一般の者たちにとっても恐るべき事態になるのだ。
その《暴走》を防ぐため、神殿では《鑑定不可能》となった《書片》をグリム神殿へ寄付し、《書片》を完全に封じる《封印》という儀式を行う。
しかしながら、上級の《書片》は強力な力があり、それを従えれば神殿の名声も上がる。逆に《鑑定不可能》とグリム神殿に報告すれば、マシス神殿の神官の質を問われる弱みにもなる。祭司長やシェリンも諦めて簡単に手放すという選択は最後の最後にとっておきたいものだ。
「もしよかったら俺に《鑑定》させてくれませんか?」
そんな二人へ、部外者のルークが声をかける。
彼は彼女たちの政治的な葛藤を余所に、ただ単純に《未鑑定》の《書片》に興味があった。
神殿の《書片使い》が誰も《鑑定》できない《書片》。
彼はそれを自分が《鑑定》できたという優越感を求めているわけではなかった。
純粋に知りたい。
誰もしらない未知の《書片》。それは創世の神話に手を伸ばす行為。
巨万の富を生み出したり、古代竜種を従えたり、山を吹き飛ばすほどの力がそこに眠っているのだ。
未知の《書片》とはいわば浪漫の結晶だ。
ルークはなぜか心に満ちる喜びを感じていた。沸々とわき上がる衝動は好奇心という名の甘美な感情。
ルークは全身に力がみなぎる不思議な感覚を持てあましていた。
そのルークの顔をまじまじと見ていたアーヴィ司祭長はふっと笑みを浮かべる。
「男の子ですね。わかりました、ルーク」
「司祭長さま!」
アーヴィ祭司長をたしなめるようにシェリンが慌てて止めに入った。
シェリンとって、自分がまだ《鑑定》を諦めていない《書片》に横やりを入れられるのはあまり良い気分ではない。それ以上に能力もわからない《書片使い》が未鑑定の《書片》を触るのは危険だと思っている。
魔力という生命力を吸い取られ、《暴走》を起こせばそれこそ神殿の威信が落ちてしまう。
おそらく神殿内の神官達に意見を求めれば十中八九誰もが同じことを言うだろう。
触らせてはいけないと。
だが、アーヴィ祭司長だけは違った。思わず大きな声を上げたシェリンに優しく言い聞かせるように言葉を選ぶ。
「シェリン、話は最後まで聞きなさい。なにもわたしは今すぐ彼に鑑定をお願いするわけではありません。しっかり彼の《書片使い》としての力を見てから依頼するつもりです」
「・・・すみません、祭司長さま・・・」
生真面目そうなシェリンの顔がシュンとうなだれるように下がり、彼女は謝った。
ルークはそれを見ながら二人の関係がかなり深いことに気がつく。
まるで親子のようだ。
シェリンという女性は、アーヴィ祭司長を母親のように慕っていた。
謝るシェリンをほほえましく見ていたアーヴィ祭司長はルークに目を向ける。
それは甥に向ける目線ではない。マシス神殿の長としての顔つきだった。
「ルーク、あなたはまず鍛冶組合の仕事をしっかり全うしなさい。その実力がふさわしいとわたしが判断したとき、発掘された《書片》の鑑定を依頼しましょう」
「・・・」
怒られたのはお前のせいだとばかり無言で睨み付けてくるシェリンを横目に、ルークは自分を試すように見てくる祭司長へ目を向けて頷いた。
「わかりました」
ルークは面白くなりそうだとニヤリと笑った。