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超弩級の品

 昇降口の窓ガラスから見える外は陰影がはっきりとしていた。夏場特有の底抜けに深い空からさんさんと降りしきる日差し。それを少し暗い昇降口から見る純香。


 昼間で明るく、尚且つすでに一日の日程が終わっている為、重要でない区画は消灯されているのだ。


 純香は下駄箱の前に居た。下駄箱は女子平均身長程度である彼女が立った状態で頭が少しはみ出る高さであり、それの陰に彼女はしゃがんでいる。正確には上履きを持参した袋に押し込んでいる。

 翌日登校する用事があったとしても、夏休み期間中は原則持ち帰るのが規則なのだ。融通が利かないと学園に対する不満の声もあった。


 朱莉は彼女から三歩程度離れた場所に居た。彼女も上履きを手に持っていたが、純香と違うのはそれと鞄を交互に眺めているところだ。

 彼女はそれら二つを少し目を細め、口をすぼめて見つめて思案している。入れようか入れないか悩んでいるのだ。


 真新しい通学用の大き目の白いエナメルのショルダーバッグ。一週間前に転校してきたと言っても、期末試験も終わった時期である。言ってしまえばやること無い。

 故に彼女が生徒として登校したのは今日が二回目。一週間前に顔見せし、以降は家で休んでいるか、部活見学と称して校内をほっつき歩く程度の事しか彼女はやっていない。


 つまり彼女は荷物が無いのである。精々自販機で買った沖縄特産のお茶が入ったペットボトルが中に転がっている程度である。女子特有のなんでも鞄に入れるという習性は彼女には備わっていない様だ。


 故に空間だけならば充分である。ならなぜ彼女が入れようか悩むか。それは何となく不潔な気がした。それ以外に理由はない。

 それにペットボトル。口を付ける物もある。良いの、入れちゃって良いの。といった感覚である。


「むう……ん!」


 朱莉が出した小さな声に反応した純香は彼女の方を見る。苦渋の表情を浮かべ、バッグに上履きをしまう朱莉がそこに居た。

 特に何を言う訳でもなく純香はそのまま視線を手元に戻す。袋の口側、余った布地を底の方に折る。持ち手を反対側に回して結ぶ。そして完成した物を様々な方向から確認し、最後にもう一度結び目を弄る。


 そして純香はもう一度朱莉の方を見る。悲しそうにチャックを閉めているのが見える。彼女は視線を自分の手元に戻す。


 彼女は自身の鞄を開け、小包になったそれを丁寧に収納する。私物を取り出す際に邪魔にならない様に気を付けながら。そして自身の考えた通りに綺麗にぴったり収まったのを確認すると口角を僅かに引き上げ、満足そうに軽く、ふん、と鼻を鳴らした。


「純香ちゃん。終わった?」


 薄暗さが増したのを彼女は感じた。そしてその現象の原因を彼女は知っていた。目の前にすらりと伸びた足の主が立っているせいだ。

 見上げると案の定、朱莉が彼女を見下ろしている。子供の様に楽しそうに体をゆらゆらと揺らしながら微笑んで彼女を見つめている。


「ええ。終わった。行こっか」


 純香はバッグから愛用の帽子を取り出す。昔祖父の友人を訪ねて家族で行ったアメリカ旅行土産の帽子だ。黒地でつばが赤い。前面には内側は白いバスケットバールが刺繍されている。その中には英語でロサンゼルス、そしてチーム名が青文字で描かれている。


 余談であるが、当時小学生だった純香は帽子を買ってから暫くの間は、書かれた文字をロサンゼルスではなく、ロスエンジェルスと勘違いしていた。

 その帽子をこれまた祖父の知り合いの米兵に自慢したところ、にこやかに勘違いを指摘されて赤面したという、間抜けながらも愛らしいオチがある。


 以上余談終わり。




 純香は顔の前に出ていた髪を後ろに払い、帽子をかぶる。そして鞄のチャックを閉め立ち上がる。朱莉の後について歩く。彼女は帽子のつばを左手でつまみ、くいっと下げた。

 前方では朱莉が閉められた扉を開ける。冷房で涼しい空間に外からのまとわりつくような熱気がどろりと流れ込む。さながらに透明なヘドロである。


「うへえ……」


 純香の耳は外に出た朱莉の呻き声を捉えた。彼女はその様子に顔をしかめる。しかしその表情をすぐさま消した。そして元の真面目ながらも楽天的な表情を浮かべなおす。

 純香も追って外に出る。湿気が輝いて見える外へ。


 熱気が彼女を包み反射的に汗が噴き出る。せっかく乾いたシャツが台無しだと彼女は思う。登校中に汗で濡れ、学校で乾いた。そして帰りでまた濡れる。仕方のない事だと分かっているが、嫌なものは嫌だった。

 一つ深呼吸をする。甘い香りのヘドロが鼻腔を重々しく流れ、肺の中のまだ清涼感を残す空気が一切合切汚染され、駆逐される。嘔吐きそうだと彼女は思う。住み慣れた土地でもきついものはきついのだ。


 そんな彼女を微風が撫でる。海からの潮風が校舎に遮られ、瀕死になりながらも彼女の下に辿り着いたのだ。ここはまだましだと彼女は思う。そして自身が向かう都市部に思いを馳せ、小さくため息をついた。


「暑いね」

「亜熱帯だから」


 朱莉は片手を団扇の様にしながら愚痴をこぼす。純香はそれに適当に返答する。


「私、沖縄の夏はもっとこう……カラっとしている物だと思ってた。……現実は非情だね」

「亜熱帯だから」


 お前が現実を語るかと純香は笑う。一見すると友人に冗談を飛ばす年頃の娘だ。しかし実際のところ、その笑顔には悪意が込められていた。


「それしか言わないね」

「……亜熱帯だから」


 関係ないでしょと朱莉は笑う。屈託のない笑顔だった。悪意など感じられない、幼いと称しても良い程に純粋な笑顔である。


 二人は同じような見た目で、それぞれ性質が違う笑みを浮かべながら歩く。脇から見れば仲の良い友人にしか見えなかった。




 二年の棟に歩みを進める純香と朱莉。渚と合流するという意味もあったが、何よりそこを通らなければ高等部用のバス停へ向かえないからだ。


 右手に広がる広い校庭からは活気のある声が響いている。夏と言えば運動部のシーズンだからだ。歴史が浅いこの学園は、部活関連の活動でも実績を出そうと躍起になっていた。

 ふと贅沢だと純香は思う。高等部の敷地面積が特に広く感じたからだ。

 学年で棟が分かれており、尚且つ非運動系の室内部用の棟もすら存在する。当然運動部は別の棟だ。学食も独立した建物があり、かなり広い。


 高等部の生徒数は千人を少し超える程度。基地跡が広大と言っても面積には限りはある。小中高一貫の学園であり、高等部のみに敷地を分配する訳ではないと考えると贅沢な土地の使い方である。

 ゆくゆくはマンモス校を目指したいという創立者の意思が透けて見えるが、それならば何故沖縄という土地を選んだのかという疑問も残る。


 しかしそれはきっと、魔法少女という不条理によってもたらされた産物なのだろう。不条理な存在が呼び出した物によって起こされた矛盾。

 当たり前である。本来あるはずの物を削除、あるいは上書きするのだ。時間を一定期間遡り、その記憶も改ざんし、押し付けた結果の世界。


 断続(ディジタル)ではなく連続(アナログ)で進行する世界に対してそれは暴挙とも呼べるものだ。不都合が起きても仕方がないのだろう。


 考えても答えは出ないと、純香はその疑問を心の棚の中に仕舞い込む。前にある課題に取り組もうと考えたのだ。


『入れ替わった木偶人形』が提供する食品をこれから食べに行くという課題である。


 人類の記憶、認識を書き換えるという厄介極まりない能力を有さないといっても、そもそも存在しない筈の者達。


 魔法少女の手先であると言い換えても良い。これが正気を失った同胞ならば彼女は一切の躊躇いを持たずに食すことが出来ただろう。当然である。同じ人類なのだから。しかし相手は木偶人形。本当に人間なのか疑わしい存在である。


 それの出す物を、吐かずに食べれるだろうか。彼女はそれを心配し、一人気が重くなっていた。




 渚はハイビスカスの壁の陰に座っていた。吹き抜けていく潮風を気持ちよさそうに浴びている。両脇にはち切れんばかりに荷物を詰め込んだ手提げバッグを置き、その間に挟まれるように膝を両手で抱え、俗にいう体育座りで。


「ん……お? 二人とも遅いよ」


 彼女は二人の姿を認めると重そうに立ち上がる。その拍子によろめき、転びかけるが体勢を立て直す。当然である。背中に大量の荷物を満載したリュックを背負っているだから。


「ごめんなさい。色々あったんです……。それより大丈夫ですか? 荷物」

「ええ。少し手間取ったんです」


 朱莉は嘘を吐き、純香はそれに追従する。そして純香は朱莉に視線をやる。その意味はこうだ。


『余計な事を言うな。持たされるぞ』


 純香の視線に気が付いた朱莉は任せろと言わんばかりに頷く。片方の口角を上げたその笑みに彼女は頬をひきつらせる。


「手間取った……ね。うん。荷物重いかな」

「持ちますよ水野先輩。奢ってもらう御礼です」


 朱莉は笑いながら渚に近寄り彼女の両脇の荷物に手を伸ばす。しかしその笑顔は次の瞬間には凍り付く事になる。というのも、怪訝そうに小首を傾げた渚の一言。その一言で彼女の勘違いが打ち砕かれる事となったからである。


「え? 奢るのは純香ちゃんにだけよ? 赤坂さんは自腹」

「はえ?」


 朱莉は動作をしばしの間停止する。一同は沈黙し、風の音と鳥の鳴き声。あるいは遠くから響く喧噪や車の音。つまり環境音だけが響いている。


「自腹?」

「自腹。あ、でもクーポンは好きなのあげる」


 あの赤いの馬鹿だ。純香はそう思いながら二人が繰り広げる茶番劇を聞いていた。そう、聞いていたのだ。彼女の視線は二人の方を向いていなかった。


 彼女は自分の手元を見ていた。そこにあるのは一台のスマホ。周囲が明るいために、画面が見えずらい事に難儀しながら彼女は久しぶりにマックの公式アプリを起動していた。そのアプリに実装されている機能の一つ、メニュー表を見ていたのだ。


「それじゃあ荷物よろしく。悪いわね」

「そんなあ。せめて一つに――」

「持ってくれるって――」


 ノースカロライナ牧場バーガーや、カジノベガスバーガー等、色々な物を馬鹿にしているとしか思えない名前のメニューを流し見していた純香の視線は、とある一つの商品に定まる。


 大パン巨肉主義アイオワバーガー。分厚いベーコンと三段に重ねられたパテ。そして目にも鮮やかなチーズ。ピクルスも外せない。それがブラックホールもかくやと思われるほどの引力で彼女眼を釘付けにした。


 その視覚情報を脳が咀嚼した結果、彼女の体は完全にその商品を胃袋に収める態勢に移行する。脳髄は大量の脳内物質を分泌。舌は視覚情報から得られたその味のシミュレートを開始し、大量の唾液が口に溜まっていった。しかし彼女はそれに気が付かない。


 それは沈黙し、動きを一切合切止めた彼女を不審に思った朱莉と渚が体を揺さぶっても正気に戻らぬ程だった。


「いっつ!?」


 彼女の頭部に突如として訪れる衝撃と痛み。そして小気味の良い音。正気に戻らぬ彼女を心配した渚が頭をはたいたのだ。この時、彼女が涎を零したのに二人は気が付いていたが、それを指摘しなかったのは優しさだろう。

 ともかくその衝撃で彼女は正気に戻り、自らが涎を零した事に気が付く。彼女は口元をさっと拭い、口に溜まった唾を飲み下す。


「純香ちゃん。どうしたの? 携帯なんて凝視して」


 渚は彼女の携帯画面を覗き込む。例の商品を認めるとぱちくりと瞬きをした。そして画面と純香の顔を交互に見る。


「これ、食べたいの?」

「食べたいです。これじゃないと嫌です。これのLセットをお願いします」


 明らかな熱意を持って語られる要望。それに対し渚は及び腰だった。


「いや、でも……。こっちのハワイアンバーガーセットのが美味しそうに見えるけどなあ。こっちにしない?」


 上ずった口調で別のメニューを薦める渚。当然だろう。例のメニューは税抜き価格で千二百円。物事には限度がある。しかし相手は可愛い後輩。その後輩に奢ると言ってしまった手前、強くは言えない。駄目だ、その一言がどうしても言えない渚なのである。


「これじゃないと嫌です! これが良いの!」


 純香は平生の様子とは打って変わっていた。彼女を知る人が居れば驚くだろう。意外と食いしんぼな本能を剥き出しに要求を押し通すその様子。最早相手が憎き仇でもお構いなしである。

 それほどの魔力がカロリーの塊に秘められているのか、それとも別の理由があるのか。この時点では誰にも分らない。


 どうしてこうなった。驚き半笑いで黙り込む朱莉を尻目に渚は良く晴れた空を仰いだ。雲一つない空であった。


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