月下の攻防
「防空識別圏を突破。スクランブル無し。哨戒に引っ掛かった形跡も無し。……不自然ですね」
アランは頭を傾げた。日本の空自は世界でも有数の練度を誇っている。主に中国、ロシア等の国々から飛来する軍用機への対応を、日夜行っているからだ。
故に混乱していても、ある程度の迎撃が来ることを前提に彼らは動いていた。
味方だと思われているのか。その様な考えも出来る。しかし事前通告無しでの飛行である。無線の一つくらいは入れるべきだろう。
まさしく異常事態であった。
「まもなく領空に侵入しますが……如何なさいますか?」
故にアランはダニエルに判断を仰ぐ。
「スクランブルにステルスだけを上げると言うのも考えにくい。不測の事態ではあるが……それだけ相手が混乱しているのかもしれん。今ここで上に連絡をとって、作戦を失敗させる様な危険を犯す必要はない。予定通り行こう」
機体高度を僅かに降下させつつ直進する。
気象予報士の言葉通り、雲海は完全に姿を消していた。破壊の為に赴く彼らを、美しくも狂気を孕んだ月が照らしている。滑らかな機体の上面は明るく照らされ、下部の腹。誘導弾を満載した所は暗い。
遠目には小さな点が見え始めていた。沖縄本島である。B-52各機は互いの距離を開ける。進めば進むほどに島は大きくなっていった。
彼らの眼には光が見える。街の光。営みの灯りである。その光にはおぞましい寄生虫が巣食っている。人類が衝突を繰り返し、試行錯誤の末、文字通りに血を流して懸命に作り上げた文明。綿々と続いてきた物。より良く発展させ、次世代に繋がなくてはならない物が突如現れた化け物共に、横から簒奪されようとしている。
その事実は彼らに激しい怒りを覚えさせた。そして悲しみも。
「座標は問題ないな?」
その激しい感情は脳には残さない様にしなければ、とダニエルは思う。頭は冷静でいなければと。怒りと憎しみは、存分に弾に込めれば良いと彼は考える。
攻撃開始地点までもう少しの所である。彼は使用する兵器の座標入力は完了したか確認する。答えは是。完了したであった。
「七千六百二十メートルまで降下する」
彼の操縦に機体は素直に従う。混乱し、祖国へ帰ることが出来なくなってから幾月。そしてその前から彼はこの機体に乗り続けてきた。文字通り全て知り尽くした愛機である。
幾度の修羅場も共に潜り抜けてきた。平時の伴侶がアメリカに居るならば、戦時の伴侶はこの機体である。常に共に飛び、おそらく空に散る時も共であろう。
「攻撃高度到達。各機共に異常なし。ああ、二番機が少しふらついていますね。いま安定しましたが。エンジンの不調ですかね? ……攻撃陣形に移行を完了。後は引き金を引くだけ。スイッチ一つです」
機体各部のカメラ。そして無線を確認していたアランは彼に報告する。彼はアランの報告を聞き、小さく嘆息する。
「本当か? 身内のよしみで今回の作戦はあいつに花を持たせてやろうとしてたんだがな」
二番機には彼の甥が乗っていた。余談ではあるが、B-52はその兵器としての寿命の長さから、親子三代にわたって共にB-52乗りという家系も存在する。叔父と甥の関係ではあるが、ダニエルと二番機搭乗員の一人もそのような家系であるらしい。
彼はそう呟いた後、電子戦士官の方を見る。
「電子妨害感知できず。対空火器も対空ミサイルも無し。中東の連中の方が骨がありますな。歓迎が無いのは寂しいところですが……これだけ撃ってくれと言っているんです。可能な限り早く撃たねば逆に非礼ですよ」
彼は肩をすくめて言った。この男は真剣な表情でいつもこのような事を言う。故にダニエルは偶に本気で言っているのか、冗談で言っているのか分からなくなる時があった。そのまま彼は腕に視線をやる。表示された数字は作戦開始時刻を示していた。
「多少外しても問題は無い。奴らの関係者ばかりだ。気楽に行こう。嘉手納の連中の仇を取るぞ。無線を繋げ」
正面に向き直った彼は再度モニタに表示される沖縄を見つめる。その眼に迷いは無かった。
小さなノイズが彼に無線が繋がったことを知らせる。彼は口を開く。攻撃命令を出すために。
「全機へ。予定行動開始時刻だ。全武器使用許可」
そう宣言し、彼はエンジンの出力を上げ、機体を加速する。
「発射」
所定の速度に到達後、兵器のロックを解除。投下スイッチを押す。主翼下部の巨大なパイロンから切り離されたミサイル達は一瞬の間だけ自由落下を行う。
その後、左右に格納されていた小さな一対の翼を展開し、滑空飛行を始める。入力された座標の位置である旧嘉手納基地を目指して一気に殺到する。その数は爆撃機一機につき十発。それが三機で三十発。施設一つ灰燼に帰すには十分な量である。
滑空という飛行方式ではあるがミサイルは高速で飛行する。速やかに目標を破壊できると、ダニエル含む米国解放戦線一同は考えていた。
「全機反転。離脱だ」
ダニエルは着弾を見る前に指示を飛ばす。彼自身は徹底的に叩きたいと思っていたが、攻撃後速やかに帰投せよとの命令が上官から下っていた。
余談ではあるが、このミサイルの弾頭に搭載されているのは、通常の施設攻撃用の物と、俗に言うバンカーバスター。地下施設などの通常弾では攻撃が困難な目標を破壊するための弾頭の二種類である。
機体が大回りな旋回を始めたその瞬間である。突如音楽が鳴り響いた。それは軽快な音楽であった。まるで、そうまるで子供が見るアニメーションの様な。
「回避運動!」
無線から訛った英語が飛び込んでくる。彼は機体のエンジンスロットルを限界まで上げる。機体が甲高い絶叫を上げ、彼らに掛かるGが増す。アランが気休めのフレアを散布する。レーダナビゲータが半ば悲鳴のような声で叫ぶ。
「熱源感知!」
ダニエルの知覚する世界は、奇妙にゆっくりとした物だった。高速で動いている筈のモニタに映るF-35が、ゆっくりと降下する。視界の端にはまばゆい光の柱。まるで月から地上に突き立っている様でもある。そして迫りくる光芒。光にしては遅すぎる。攻撃にしては速過ぎる。そんな一撃が、彼の眼に飛び込む。
音楽も相まって、幼い頃に見たカートゥーンのワンシーンの様だと彼は思う。勉強もほっぽり出して夢中になった、子供のころの思い出。確か母親に良く怒られたっけと、彼はそんなことを思い出していた。それは現実逃避なのかもしれない。あまりにも現実離れした状況を呑み込むことを、脳が拒否しているのだろうか。
しかし現実は非情である。ミサイル全てを薙ぎ払ったその光は、あろうことか彼の機体に追随していた二番機に直撃する。丁度下に向けていた、左の主翼をへし折る形で。
水平飛行であれば、あるいは機体を立て直す機会もあっただろう。しかし急旋回中である。エンジンの出力も上げていた。大量の燃料が送り込まれていたのだ。間が悪い事にその燃料に引火。誘爆する。
「ルーカス!」
ダニエルは思わず甥の名前を叫ぶ。彼の甥を乗せた機体は激しく燃えながら、きりもみしつつ落下する。その動きでは、おそらく搭乗員は機体内部でもみくちゃにされているのだろう。脱出もままならない筈だ。冷静さを保っている脳の一部が。彼の操縦士としての本能と言い換えても良い。そんな推測を立てていた。
気が付けば音楽は勇壮な物に変化していた。戦場に似合っている様で、似合っていない子供らしい音楽。それが彼の耳に届く。脳が理解する。
「第二射は!?」
「反応ありません!」
彼はナビゲーターに怒鳴る様に問う。甥を喪ったことを嘆き悲しむ前に、部下を無事に連れて帰る事を優先しなければならない。軍人としての責任感が彼を突き動かしていた。
「日本軍の援護は!?」
「制空装備の為、攻撃不能との事です」
「くそっ! ……全機最大速力で離脱。警戒を厳にしろ」
運が良い事に、第二射はこなかった。残った機体は再び編隊を組み直す。沖縄は遠ざかり、再び静寂が訪れる。
完全に島が見えなくなった頃、アランが操縦を代わると言い、ダニエルはそれを了承する。行きとは別種の重い沈黙が彼らを包んでいた。
ダニエルは荒れ狂う感情を抑えるのに必死であった。アニメーションの世界からそのまま抜け出してきた様な生物。魔法少女。少女として振る舞うその精神構造。しかし冷静に判断すれば、明らかにかけ離れたその思考。悪びれもせずに殺して見せるその異形。そんなふざけた奴に彼の甥、そしてその他搭乗員たちは殺害されたのだ。
彼は今まで、魔法少女との戦いを駆除と考えてきた。ESP能力保持者との闘争。直視しなければ問題ない。ただ洗脳された同胞があまりにも多すぎただけの。その同胞との衝突を戦争と呼んでいた。
「上層部に報告ですね。新種が出たと」
アランは呟く。
ダニエルのその認識はこの段階で変化する。直接的な、魔法少女単体で行使できる武力を手に入れた。そして初めて人類を直接殺害した。
戦争だと彼は思う。有害生物駆除から、互いの存亡を賭けての戦争に変化したのだと。
彼がもう少し早くその考えにたどり着いて居れば、あるいは別の結果が有ったのかもしれない。
ルビを上手いこと振る事が出来なかったため、一部コールを省略しました。