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二人のクリスマスプレゼント

 僕は夢を見ていた。

 お母さんが死ぬ夢だ。僕の目の前で車に跳ねらて、一瞬で僕から手の届かない所まで遠ざかってしまう。本当に嫌な夢だ。

 それが夢だと信じ切っていた。……でも、夢じゃなかったと知らされたのは、唐突過ぎた。

 次の日、顔を洗ってから気が付いた。黒い服の人達が家中に蔓延していた。何人かが僕にやりにくそうな顔で話しかけてくる。

「亮輔……お前の母さんはな」「りょうちゃん、これからは新しいお家で」「残念だけど――」

 別に受容出来なかったわけじゃない。でも、お母さんが死んだなんて、夢であっても思わなかった事だったから。

 何を間違えてこうなってしまったのか。お母さんが死んだ日、クリスマスイヴ。僕がちゃんと歯を磨かなかったから、怒ったサンタさんが逆に、僕から大切なものを盗んでいってしまったのかな。

 ……ねぇ、サンタさん。

 僕、これからいい子にしてるから。お願いだから、お母さんを返してよ。これが最後のお願いになってもいい。

 もう一度、僕にクリスマスプレゼントをくれるとしたら、


 サンタさん、僕のお母さんを返して下さい。




 なんて事、二十歳にもなれば社会の渦に洗い落とされてしまう。

 あの日以来、僕はサンタクロースなるものを思考からさっぱりと切り落とした。毎年のように届いたプレゼントも断ち、クリスマスは僕の概念から消え去った。幼い心には辛い一件だったと思うが、過ぎてしまえば結局は過去の遺物だ。残骸につまずかないよう、気を張って生きていけばいいだけの話だ。

「……僕も、随分と都合のいい大人になったな」

 僕は今、閑静なマンションに一人、二年前に借りた部屋で寂寥感を味わっている。今まで一人身だったしな、別に慣れていると言えば何の支障もない。この時期、一人身に焦燥感を感じる年頃でもあるが、うん。それを除けばなんて事ない、ただの学生に成り下がるのだ。

「さて……と」

 一人を満喫する為に必要な要、暴君で幼気なお友達。これを飲まないと僕の夜が唸らない。

 寒冷な空気を夕日が撫でる町を、僕はコンビニ目指していそいそと歩を進めた。


 ホワイトクリスマス。僕には縁のない言語だ。まぁその名の通り、殺風景な道路を彩っている豆電球。いわゆるイルミネーションというやつか。それに加え、体毛が抜けた並木が蒼白な顔をして佇んでいる。誰かコートでもかけてやれよ。もしかしたら「出会いはクリスマスイヴ、見知らぬ男性が何も言わず私にコートをかけてくれたことが――」なんて事にまで発展するかもしれないぞ。ん? 僕はいいんだ、植物には興味がないから。もしいたら、僕が全精力を込めて謳歌してやろう。その先の人生を危惧してね。

 はびこる胴間声に混じって、店の前に立つアルバイト傭兵が普段使い慣れていない鬨の声を放出しているせいか、余計に雑音が散漫する。町に流れるクリスマス限定BGMも真っ青だ。

 そして、借り出しアルバイトの戦闘服は、赤に染められた布。僕から母さんを奪っていった赤、サンタクロース。……そんなの、とっくに理解できる歳になっている。が、トラウマといういうやつなのか、僕はクリスマスが来る毎に、憂鬱になる。母が死んだ次の年、ヒステリーを起こしておじさん宅に迷惑をかけた覚えがある。僕には父がいなかったから、親戚の家に引き取られて精神が不安定になっていたのだろう。

「――っくしゅん!」

 夜も近づいてきて、大分冷え込むようになっていた。マンションからコンビニの距離が忌々しい。

 早くコンビニに行って、少しばかりの暖房を堪能し――

「………………」

 ……あれ、おかしいな。

 急に心臓の動きがが活発になって、目が霞んで……。

 何で、だろ。

 僕は、何をしている? 何故、ここに佇んでいる?

 頭に浮かぶのは、何かがぶつかって潰れた音と、生暖かい感触。そして赤。

「あ……ぁ……」

 そうだ、僕が見たのは、

「どうかしました?」

 ここで僕は我に返った。

 話しかけてきたのは、サンタの服装に身を包んだ女性だった。僕より少し年上くらいだろうか。

「い、いえ……別に」

 まだ心臓が僕の中で打ち据えているが、発狂はしなかった。

「……そうですか? なんか顔色が悪いみたいですけど……」

 まだトラウマは消え去っていないようだった。でも、今まで何も感じなかったのに、どうして今になって。

「……本当に、大丈夫ですから」

「でも……」

「ちょっと急ぎの用があるので、これで失礼します」

 嘘だけど。この空気は苦手だし、何より面倒臭い。実際コンビニに行くという理由もあったし、寒いからという、急ぐ理由も備えてある。万事解決、めでたしめでたし。

 僕はなるべく彼女と目を合わせないようにして踵を返した。このまま一直線に歩けばコンビニがある。だが、

「あの……何か悪いですから、これ」

「はぁ」

 何か紙くずのような物を手渡されたが、もう気にしている余裕はないので、そのまま歩き去ってしまった。今時そこまで気に病む人がいたとは驚愕ものだが、そういう人種も必要なんだろう。逆に僕が悪い事をしてしまったと自虐する他ない。

 しかし、特に気にする事もないだろうと、足早にコンビニに向かったのは僕の性分だ。


 ビール三本、半額のケーキ二個。

 今宵の宴を楽しむ為に必須な代物だ。

 コンビニから早歩きで帰った頃には、既に空は闇と化していた。街灯が少ないマンションに伸びる道も、行く先が闇に飲まれていた。雪を踏みしめる音が更に寂寞な夜を際立たせる。

 だから、宴を早々に打ち切って、暖房器具もないこの部屋からベッドへと逃亡を試みた。今日は別にやる事ないしな。一人でクリスマスにテレビ、という組み合わせほど虚しいものはない。

 ケーキは、まぁおいしかったが、空気を食べてるみたいで何だか食べた気がしない。ビールも知らずになくなっていた。僕のクリスマスはこれだけだ。もう寝よう。

 冬のベッドは冷たかった。暖かくなると脳に先入観を与え、実際に感じる温度の差が非常に際どい。

「明日はいい日でありますように」

 普段こんな台詞言わない僕がこうしてしまうのは、特殊な日の性質なのか。

 目を閉じ、明日への夢を願った。

 

 僕は眠ったのだろうか。いや、こうして思考を巡らせているという事は、睡魔は僕をしとめ損ねたらしい。全く、迷惑は話だ。

「よっと」

 ずれた布団が床に広がる。こうなると足場が悪い。

 僕は一式を蹴り飛ばし足場を確保した。こうして何かをしていないと、眠れない夜は苦しいのだ。

 そして、まだやる事はあった。

 夕時出会った女性に渡された紙くず。あれは何なのか。

 確認すべく、放ってあった上着のポケットに手を突っ込む。あった。これ程の些事にも関わらず、一連の動作を終えると異様な達成感を得るのは何故だろう。

 綴られていた、生真面目そうな文字で携帯電話の番号が記されてあった。

 これはどういう意味で、という前に何故電話番号? とかいう疑問は彼方へ葬り去る事にして。

 暇だ、とにかく電話してみよう。電話番号を教えた意味も知りたいし。

 何の躊躇いもなく、指は軽やかにボタンの上を滑った。もうこのケータイも古いし、そろそろ新しい機種に変えたいんだけど、どこの店がいいかな? でもその前に金がないよ、とか自演していると、唐突でもないがコールがかかり始めた。

 何回か数える事も忘れたくらいに、向こうに繋がった。

「もしもし」

 反応がない。もしかして携帯片手に眠っているのか? 危惧すべき愚問に困惑しながら、向こうにわずかだが音を感じた。まだ聞く、というう形状に至っていない。

「もしもし」

 もう一度、今度は急かす事を呈する形で。

「……りょうちゃん」

 挨拶なし。それはいいとして、

「こんばんは。僕、夕方あなたに赤面ものの行動を一通り見られたものですが。あの、ところで何故僕の名前を?」

 相手が冗談の通じる人であるといいのだが。僕は疑問を投げかけ、少しばかり静寂という概念を堪能した。

 それにしてもおかしな話だ。ただ通りかけに出くわした男に、自ら電話番号を渡すとは。まぁ、自分のせいで僕に何か起こったとしたら、放っておけない気持ちもわからなくはないが。

「あの?」

 今度は本心で急かした。このまま話が成立しないようであれば、一つの経験として思い出に取っておき、いい体験でしたと電話を切ってしまえばいい。

 それを実行に移そうとした直後、

「りょう、ちゃん……」

 泣いている。

 いや、実際に定かではないのだが、声が震えている。結論に至るには、経緯はこれで十分だろう。

「りょうちゃん……あなたが、元気でよかった……」

 いや、元気でよかった。って……。あなた、どこぞの趣味悪いストーカーさんですか? 僕は記憶をいくら掘り返して照らし合わせても、あれは知っている顔ではなかった。

「僕の名前は亮輔ですが、それで合ってますか? 誰かと勘違いしてませんか?」

「ううん……いいの、あなたは亮輔。それで合ってる」

 合ってる、って言われても僕はどうしていいのかわからない。逆に、僕だけが覚えてないというならば体裁が悪い。

「で……あの、何で僕に電話番号を?」

「りょうちゃん、今から言う事をよく聞いて」

 無視ですか。僕の話聞いてますか。

「あの……だから、何で」

「お母さんを奪ったのは、サンタさんじゃないのよ」

 ……おい。

「何故、そのことを」

「私はずっとあなたの事を見てきたから」

 性質の悪い冗談か。いや、冗談だとしても許容範囲を大きく超えている。大体、僕はこの話を自分からした事はないし、知っていたとしても、話の種としてわざわざこの話題を選ぶ確立は限りなく低い。

「何かの、冗談だったとしても、僕、怒りますよ」

 早く電話を切りたい。でも、切れない。神経が肩で詰まっているようだった。どうして、見知らぬ女性が僕の名前や過去を知っているのか。どうにかして聞き出さなくては。

 もし僕の個人情報をいたずらに流している輩がいて、それに関わっている者なら、通話ボタンを押した瞬間にポチッとかかる民間の平和を守る人達へ。

「りょうちゃん……」

 ん、ちょっと待て。

「りょうちゃん……」

 僕を連呼する女性の声。それにさっき見た女性の顔。

 どこか引っかかる節がいくつかある。

「母……さん?」

 自分でも何を言っているんだ、と自分につっこんでしまうような馬鹿を言ったと思う。

 でも実際、よく考えてみれば蒼茫たる記憶を一瞥すると、聞き覚えのある声に思えてくる。容姿も然り。僕は、この人を知っているかもしれない、というのは事実だ。

「ねぇ、りょうちゃん。今でもサンタさん、怖い?」

 いや、ありえない。

「……どうでしょう」

 だって、母さんは死んだ。

「うふふ、でもね。りょうちゃん」

 絶対にそんなはずはない。

「……なんですか」

「サンタさんは、りょうちゃんにちゃんとプレゼントしてくれたじゃない」

「そんなはずは……」

 そうだ、誰か僕の事を知ってる人が悪ふざけでもしているのだろう。親戚ぐるみとかで。

「確かにお母さんが死んでしまったのはクリスマスイヴで、それからサンタさんが来なくなったのは事実だけど」

 後で問い詰めてやろう。人の心を踏みにじるような輩は僕が成敗してくれるわ!

「お母さんが、こうしてりょうちゃんとお話できるのは、サンタさんのクリスマスプレゼントなのよ」

「………………」

「お母さん、死ぬまで毎年りょうちゃんが寝てる間、枕元にプレゼントを置いてたのよ。知ってた?」

「………………」

「お母さんが死んでプレゼントが届かなくなったのは、サンタさんのせいじゃないのよ」

「………………」

「だから、りょうちゃんが怖がる理由なんて、何一つないの」

 ……あぁ、そうか。僕はただ、

「りょうちゃんは、お母さんサンタを怖がっていたの。うふふ、面白い話よね」

 これを誰かに言ってもらいたくて、

「……お母さん、なんだよね」

 今度は、夢であって欲しくなかった。

「りょうちゃん」

「……何?」

「あなたの母親であった事を、本当に嬉しく思うわ」

 溜まっていたものが、一気に噴き出した。それと共に、頬に暖かいものが流れてゆくを感じる。自然に声が出たと思ったら、僕は泣いていた。

「母さん……母さんなんだよね」

「うふふ、何度も言わせないでよ、もう」

「母さん、母さん、母さん――」

 僕は感情の赴くままに身を預けた。もう自ら枷をはめる必要はない。

「本当に……りょうちゃんは泣き虫さんねぇ」

 不意に、涙で霞む目の前に、人影を見た。幻影じゃない。確かに、そこにいるのだ。

「これで、もうお別れになっちゃうから」

「母さん……」

 目を擦って涙を拭う。

 はやりそこには、僕の母がいた。

「なんで先にいっちゃったのさ」

「これってね、一種の運命だと思うの。誰にも抗う事の出来ない運命」

 今、この距離だからはっきりわかる。母さんの死んだ時そのままの若い顔と、嬉しそうな、悲しそうな顔。

「でも、だからこそね。人って強くなれると思うのよ」

「それじゃあ、僕はどうすれば……」

「強くなって、お母さんがいなくても。大丈夫、一人でやっていけるから。――いいえ、りょうちゃんは一人じゃないわ。ちゃんと、傍に大切な人が出来るから」

「……それって誰?」

「それを言っちゃ面白くないじゃない」

 この場面にきて茶化す性格はまさしく。

「でも、ヒントくらいはあげる。――今日、町で女の子と会ったでしょ? はい、これだけ」

「それってヒントになってないんじゃ……」

 この時間が何より有意義と感じたのは、普段僕がどれ程現実に目を向けていないのかがわかる。

「りょうちゃん」

 気づけば、母さんは僕を真っ直ぐ見つめ、一言。

「元気でね」

 そう言った母さんが薄れていって、背景が透けてきて……消えてしまう。

「ま、待ってよ……母さん!」

 僕は手を伸ばし、なんとか制止しようとするが、透明化の進行は止まらない。

「クリスマスはもっと楽しまなくっちゃ!」

「母さん――」


 そこには、いつもと変わらぬ殺風景な部屋が広がっていた。

 いつの間に寝てしまっていたらしい僕は、床に這い蹲っていた。携帯は手に握ったままだ。どうやら、夢で説明が収まる出来事ではなかったらしい。

 まずは洗面所に向かった。鏡を見て、目が充血している事に気づく。頬には、何かが辿った軌跡。

「僕は……」

 冷水のままを顔にぶちまけた。

「しっかりしなきゃ」

 僕は部屋に戻り、携帯片手に昨日の電話番号をもう一度押した。

「………………」

 コールが鳴り始める。どうも、昨日より長く感じるのは気のせいだろう。

 繋がった。

「はい、もしもし?」

「あの、母さんですか?」

「はい?」

 やはり、昨日とは違う所へ繋がっている。声質は似ているが、母さんじゃない。

「あぁ、すみません。僕、昨日恥ずかしい所を見られた若き青年ですが」

 電話の向こうで噴き出すのが分かった。どうやらジョークは通じるらしい。

「あぁ、昨日はどうも。私、なんか戸惑っちゃって」

「いえいえ、僕も変な心配をおかけさせてしまったみたいで。……あの、今日そのお詫びと言ってはなんですが、何かおごらせていただけませんか? 勿論、暇だったらいいんですが……」

 僕の予想が正しければ。

「いえ、アルバイトも休みですし、いいですよ」

 あぁ、そういう事か。

「ありがとうございます。僕、クリスマスって大好きなんですよ」

「そうなんですか〜。私も好きですね。なんかロマンティックな感じがして」

 たわいもない話が、こんなに楽しいなんて。しかも今日はクリスマス。

「では、また後程」

 僕は場所と時間を指定して、一度通話を終了した。

 これまで苦痛でしかなかったクリスマスが、こんなにも楽しく感じるなんて。

 母さんは、僕にクリスマスプレゼントをくれた。それはクリスマスを楽しむものだけど、僕にとっては世界が変わったような壮大なものだった。そして何より、僕は気づいた。今日、僕は二人にプレゼントを貰っている。

 僕は窓の外、冴え渡る空を見上げる。雪は降っていない。

 そして、どこにも繋がっていない携帯に向かって、

「サンタさん、クリスマスプレゼントありがとう」

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― 新着の感想 ―
[一言]  唐突過ぎる展開のような気もしますが、最後は綺麗に纏まっておりよい作品だったと思います。  ただ、最初に挙げたように突然電話番号を書いた紙を渡されたりと、そこが唐突だったのではないかなぁと思…
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