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闇に舞う蛇  作者: 梨乃 二朱
第二章:禁忌の実験
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二話:おぞましき末路

《コラム7》

 オトツグは何故か迷子の動物を見付ける事に、類い希無い才能を見出だしている。

 音嗣は冷静に立ち返り、右手を小刻みに動かしていた。

 あの傲慢でヘビースモーカーの姉御に教えられた縄脱けを、せっせと実行に移していたのだ。


「頼む、たまには役立ってくれ……」


 親指を手の内側に折り、手首から先の太さを均一にする。

 日頃から鍛えている人間なら、誰でも出来る芸当なのだと、豊満な胸を反らしながら語っていた。それは、日頃から嫌でも鍛えさせられている音嗣にも、「よし、抜けた!」出来うる芸当だった。


「たまには役に立ったな。ルル姉の無駄話」


 本人が居れば、ヘッドロックを掛けられ兼ねない発言だ。

 片腕の自由が確保できれば、後は簡単だ。左手と両足の拘束具を手早く外し、手術台の上から降りる。

 コトッ、とブーツが床を踏む硬質な音が、静寂のみが包み込む手術室に響く。


 そう言えば、服装はそのままだ。

 手術の為に脱がされている、なんて事態にはなり得て居ないことから、施術の前だったらしい。

 ただ、ポケットの中身や装備品一式は何処かへ持っていかれたようだ。


 携帯電話があれば外部に助けを呼べたものを、と悔やんだのも束の間のこと。

 直ぐに周囲を見渡し、武器になりそうなものを探した。手術室だけあって、メスなり何なり置いてありそうなものだ。が、その考えは甘かった。


 メスはあった。て言うかを落ちていた。

 しかし、そのほとんどが使用後の手入れが施されておらず、血で錆び付き刃がボロボロな物ばかりだった。


「……丸腰よりはマシか」


 取り敢えずは、そんなメスの中から比較的に錆が少ないものを手に取った。

 この状況下、必ず武器が必要になる。そう直感が告げていた。

 後、使えそうな物は特に無かった。どれも血が付着し、赤茶けて錆びてしまっていた。


 それにしても、この手術室には夥しい量の血液が撒き散らされている。

 一人の人間からなのか、それとも複数の人間からなのかは判別のしようがないが、何れにせよ全うな外科手術が行われていたとは到底思えない。


「腑分け、拷問、カルトの儀式、etc...etc....」


 呟いて、溜め息を吐く。

 また厄介な事に巻き込まれてしまった、と。

 想像しうる限り、どれも平和的解決を望めそうな状況では無かった。


 さて、悔やんでいても仕方がない。

 次は目的だ。

 それは言うまでもなく、あの銀髪の少女を救出する事だ。何も出来ないまま連れ去られ、それを見過ごしたなんて寝覚めが悪い。何としても助け出さなければ。


 そう決意を固めた時だった。


「――――――――!」


 耳をつん裂くような雄叫びが、手術室の外から空気を震撼させ音嗣の鼓膜を震わせた。










 雄叫びは、断続的に続いていた。

 警戒の色を強めながら手術室の外に出た音嗣は、その雄叫びを頼りに何年も清掃を怠り汚れ切った廊下を歩いていた。

 床や壁の塗装は剥がれ、あちらこちらに様々な医療関係とそれ以外の道具が散乱している。電灯も割れて要を為さなくなった廊下は薄暗く、先へ進むほどに闇の深淵へ向かって行くような錯覚に囚われた。


「廃病棟、なのか……。ますますホラー染みているな」


 ホラーは苦手では無い。が、それは娯楽としては、だ。

 現実のホラーは、何処までも理不尽で無慈悲で、正直だから苦手だ。

 早急にここから立ち去りたいものだ、と胸中で呟き歩みを進めていると、異変は天変地異の如く唐突に訪れた。


「――ッ!? 視界が歪む……?」


 何の前触れも無く、闇色の廊下がぐにゃりと歪んだのだ。

 まさか廊下自体が歪む分けもなく、これは眼球が捉えた風景の歪み、つまり視界が歪んでいるのだと即座に理解した。

 廊下の歪みは、体感となって音嗣を襲った。足下が崩れるような感覚に、堪らず膝を着いて床に突っ伏す。


「何だ――これは……ぁぁぁぁッ!?」


 次いで襲ったのは、左目に走る激痛だった。

 まるで眼球を抉り取られるような痛みに呼応するように、血涙がポタポタと滴り落ちる。


 しかし、延々と続くように感じられた痛みは、唐突に鳴りを潜めた。

 まるで何事も無かったかのように、痛みもその残子すらも消え失せていた。ただ赤い涙だけが、先程の激痛が現実であったことを示す。


「何だって……言うんだ……?」


 誰にともなく問い掛ける言葉に、「教えてやろうか?」と応える声があった。


「教えてやろうか?」


 慌てて顔を上げた先、その者は直ぐ眼前に居た。息が吹き掛かる程の近くだった。

 膝と両手を床に着け、這いつくばるようにして音嗣と視線を合わせるその者は、「教えてやろうか?」と言っては爛れた唇を吊り上げる。


 そのおぞましいばかりの容姿よりも、その者が吐き出す吐息の腐敗臭に音嗣は嫌悪感を抱いた。


「オシエテ、ヤロウカ?」


 その者の右腕が動いたと思ったのも束の間、腹部に激痛が走ると共に数メートルも体が吹き飛んだ。












 激痛に噎せかえる音嗣を他所に、その者は「オシエテヤロウカ?」と何度も口ずさんでいた。

 髪の抜け落ちた禿頭に、溶けるように爛れた顔面には個人を特定できる特徴が無くなっていた。瞼が溶けた事で眼球は隠れ、鼻は爛れて無くなっている。口だって動いていなければ、それと分からない。ただ左目の眼球だけは、夜空に浮かぶ紅月のように炯々と紅く輝いており、一層その者を化け物としていた。

 爛れているのは、顔だけに留まってはいない。患者が着るような寝間着から覗く素肌という素肌が、爛れて床に引き摺っている。

 そして何より目を引くのが、その伸長した右腕だ。腰が曲がっているとは言え、床に着くほどまで伸びた右腕は、奴の武装と見て間違いは無い。


 『闇舞蛇の欠片』か?

 いや、違う。それならばもっと、破壊衝動のままに周囲の物を壊して荒らしている筈だ。

 ならばこれは、あの紅い瞳から察するに、まさか……


「闇石の意思に呑まれた、闇石使いか……」


 痛む腹を抱えながら、音嗣は相手の分析に思考を割いていた。

 恐らくこのゾンビのような化け物は、『闇石使い』だったモノだ。あの不気味に輝く紅い瞳が、その証拠だ。

 あの瞳は紛れもなく『闇石』だ。


 それが分かったところで、音嗣にはどうすることも出来ない。

 狂気に呑み込まれ暴走していようと、『闇石使い』に変わりは無い。肉体は強化され、人智を超越した武器や能力を有した奴等に、ただの人間である音嗣が、錆び掛けのメス一本だけという装備で戦ったところで、勝負にすらならない。


 だとすれば、逃げるか?

 逃げられる筈がない。ただの人間が強化し狂化された肉体を持つ『闇石使い』に背を向ける事は、殺して下さいと言っているようなものだ。


「ヤるしか、無いか……」


 メスを右手に、音嗣は覚悟を固めるように呟く。

 対する化け物は、おぞましい程の笑みを浮かべ、体を左右にゆらゆらと揺らす。


 『闇石使い』を確実に戦闘不能に陥れる方法は、意外と簡単だ。

 彼等の力の源である『闇石』を破壊すれば、精神的にも肉体的にも終わる。

 まぁ、それが一番難しくはあるのだが、さっきも言ったがやるしかない。


「―――――――!」


 雄叫びを上げる化け物。

 先程までの叫び声は、こいつが発していたようだ。


 そんなどうでもいいことを頭の端で理解した刹那、眼前に居た筈の化け物が姿を消した。

 けれど、慌てる必要は無い。右目は逃したが、左目はしっかりと捕捉していた。


 化け物は驚異的な身体能力を駆使し、天井近くまで飛び上がっていたのだ。そしてそのまま天井を蹴り付け、脚力と重力を味方に音嗣を襲う。

 しかし――――避けられる?

 伸ばされた右腕の一撃を、紙一重でかわす。そして右手に握ったメスを、引き金を引く潔さで左目の眼球に突き入れる。

 力の源を失った化け物は、音嗣の傍らを通り過ぎると、そのまま床の上を転がって二度と動かなくなった。


「…………出来た、だと?」


 背後で生き絶えた化け物を目の端で納めながら、自身の所業に疑問符を浮かべた。

 今の超反応は何だ? まるで『闇石使い』のような反応速度だった。

 音嗣は『闇石使い』ではない。『闇石使い』ではない筈なのだが……


「ひあぁぁぁぁ――――ッ!」


 思考は何者かの悲鳴に中断された。









 

《解説:ヨグ=ソトース》

 前回に引き続き、今回も解説にございます。

 今回は、『外なる神』の副王と呼ばれる『ヨグ=ソトース』について、本作品での扱いを説明致します。


 一つ一つが太陽のような強烈な光を放つ王虫色の球体の集積物を装った、時空間の底、混沌の只中で永遠に泡立ち続ける触覚を備えた無定形の怪物、それが『外なる神』の副王『ヨグ=ソトース』です。

 彼の邪神こそ宇宙の全情報を細大漏らさず記録しているという、『アカシャ年代記』なのかも知れないと言われています。人によっては『アカシックレコード』と言った方が、分かり良いかも知れませんね。


 さて、そんな副王様は、『案内者』等と呼ばれる『ウムル・アト=タウィル』というヴェールを纏う人間の姿に変化し、『第一の門』を越えた先で人間を『窮極の門』へと案内するそうです。

 本作では、『ウムル・アト=タウィル』を副王の化身とすると同時に、副王の力の片鱗から零れ落ちた欠片としました。


 アスラ・エイプリルは、元々どうやってか『ヨグ=ソトース』と交渉し、この『ウムル・アト=タウィル』を一体だけ使役する事を許されていました。

 ユキの氷魔法により片足を失ったアスラ・エイプリルは、やむ終えず『銀の鍵』を使用し、『第一の門』を越え『ウムル・アト=タウィル』と交代しました。そしてユキを半生半死の状態まで追い込んだのです。

 片鱗の欠片と言えど、全宇宙の情報を記録する程の力を持つ『外なる神』の副王は、人間を遥かに越える存在であることに変わりは無かったのです。


 では、今回の解説はこの辺りとして、まだまだクトゥルフ神話に纏わる邪神の皆様やアイテムも登場しますので、次回もお楽しみ下さい。

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