五話:闘争
《コラムその5》
ユキはネコなら何でも興奮するが、特にサバトラネコはヤバいらしい。
ユキのこの『ウィッカナイトフォーム(魔女騎士形態)』は、紛れもなく『闇石』とか言う霊石の無尽蔵な魔力あってこそのものだった。
これが無ければ、今頃はあの大剣だか薙刀だかよく分からない武器に串刺しにされていた所だろう。
更に運良く、青年が手心を加えていると“理解出来た”事で、知り得る中の構成物質で編んだ鎧で受ける事が出来た。
これも『闇石』の高度な情報処理能力に依るところだ。
とにかく、あの刺突が繰り出された瞬間、青年の姿が眼前に迫り来る刹那よりも短い時間の中で、『闇石』が『魔法』の使用が可能と教えてくれた事によって、九死に一生を得たのだ。
『闇石』様々である。が、その反動は些か以上に大きかった。
人知を超えた時間軸の中で繰り広げられた思考に、脳が悲鳴をあげていた。
常人なら意識を保てない程の激痛を、治癒の魔法と精神力で、何とか表情には出さないでいられている。それでもダメージは大きく、一瞬のブラックアウトと全身の感覚の麻痺に襲われた。
とは言え、『闇石』という霊石の性能には、目を見張る部分が多い。
この『ウィッカナイトフォーム』だが、ユキの居た世界では、『魔法使い』の血を受け継ぐユキであっても変身に際して何章節もある詠唱と半年以上掛けて蓄えた魔力が必要となる。
それがどうだ。先程は無詠唱で、そして大量の魔力供給も一瞬にして行われ、精巧かつ迅速に変身する事が出来た。
レイピアと盾、鎧のそれぞれに刻まれた『ルーン文字』や『ルーン・ガルドゥル』も完璧に再現され、その効力を淀み無く発揮している。
「馬鹿な……。あの僅かな時間で、闇石を使いこなしたというのか……!?」
「予想外の出来事は常に起こりうるのよ、坊や?」
とは言っていても、驚いているのはユキも同じだ。
しかし、どんな幸運であれ出来てしまったからには、こっちのモノだ。
これで何処まで対応出来るかはやってみなければ何とも言えないが、少なくとも無条理に殺されるなんて事にはならない筈だ。
逃げずに、戦うことが出来る。
「余計な傷は付けたくなかったが、こうなってしまっては致し方あるまい……」
青年は腰を低く落とし、大剣の刀身を地面と水平になるように、右側に構える。これで二度目の刺突の構え。
恐らくこれが、彼の得意なフォームなのだろう。これから繰り出されるのは、今度こそ間違いなく一撃必殺の刺突であろう。
対するユキは、左手の盾を胸前に就き出し、右手を顔の横に持ってきてレイピアの切っ先を正面へ向ける。
これがユキの得意とする構えだ。
束の間の睨み合い。
互いの視線は、一度の瞬きもせず絡み合う。
先に行動を起こしたのは、青年の方だった。
常人には青年の姿が、まるで霞の如く消えたように見えただろう。実は神速の速度で踏み込みを行った等と、誰が気付こうか。
しかし、ユキには全てが手に取るように理解出来た。厳密には、ユキの右目に納められた『闇石』には、だ。
一足の内に間を詰める青年の姿が、スローモーションとまではいかないが、一秒が十秒にまで引き延ばされたかのようにスピードダウンしてハッキリと見てとれた。
これならば対応のしようがある。
大剣の刃はまたしても正確に、優季の胸部、二つの乳房の間、心臓を狙って貫いて来る。
まともに喰らえば、間違いなく装甲を破壊し心臓を抉るだろう。今度のは全力の一撃だ。
しかし、だからと言って防ぐ術が無いという事ではない。
先程も言った通り、対応のしようはある。
漆黒の閃光がユキの間合いに入った瞬間、先ずはその切っ先を円形の盾で受ける。
それを見てとった青年の口元が緩む。どんな堅牢な盾であろうと、この刺突を防ぐことは出来ない、と。
そうだろう、とユキは視線を返す。
そんなことは、二度も同じ技を見れば簡単に分かる。
それを分かってない青年は、ユキを過小評価し過ぎている。
次の瞬間、青年の顔付きが変わった。
盾を穿つであろう刺突は、その表面で軌道を反らされ有らぬ方へと誘われたのだ。それに対応しきれない青年の体がぐらつく。
その隙は、ユキにとって好機以外の何物でも無かった。
顔の横に構えていたレイピアを、青年の右膝を目掛けて振り下ろす。
滑らかな軌道を描いて繰り出されたレイピアの刺突は、かわされる事無く青年の膝に致命的な穴を穿った。肉を裂き骨を砕く感覚まで感じ取り、追い打ちの一手まで加えることが出来た。
「ぐぅ、ぁぁぁぁ――――ッ!」
悲痛な叫びを上げると、青年は無事な片足で器用に飛び退き距離を取る。
その傷口からは血は出ておらず、代わりに黒い霧が立ち上がっていた。
技の威力や雰囲気から、ただの人間ではないと思っていたが、どうやら人間ですら無いようだ。
恐らく、『闇者』とかいう古代人か。ならば、弱点の検討が付く。
「まさか、この私が……この私がこんな……!?」
「寸分違わぬ刺突が仇となったわね、坊や? この盾、表面が丸くなってるでしょ? これは敵の攻撃を弾く為のモノではなく、受け流す為のモノなの。坊やの刺突、とっても受け流し易かったわ」
クスクスと笑うユキを、青年は屈辱を堪えた目で睨み付ける。
そう、これがユキの最も得意とするカウンター技。
盾の曲面で攻撃を受け流し、そして怯んだ所をレイピアで急所を突く。
一番最初に教えてもらった一番基本となる戦術を、絶対の切り札まで昇華させた技だ。
「突進の要たる膝を失った今、どう足掻くものか見物ね? さぞや無様なのでしょう」
「甘く見るな。この程度の傷……何?」
青年は貫かれた膝を治癒を施そうとしたのだろうが、だが甘い。
傷口を『氷霧の呪い』で凍らせて貰った。この氷が溶けない限り、傷の治癒は如何なる魔法、魔術であろうと不可能だ。
ユキの本領は、剣術ではなくこっちだ。
仮にも『魔女宗』の『魔女』を名乗る身としては、こと魔法においてしくじる事など先ず有り得ない。この程度の呪い、朝飯前だ。
「チッ、とんだ魔女だよ、君は」
「殺しはしないわ。ただ、死にたくなる程、苦しんで貰うけど。フフ……」
男なら誰もが魅了されるであろう蠱惑的な笑みを浮かべる。
対する青年は、大剣を振り上げたかと思うと、それを力任せに地面へ突き刺した。
降伏、では無いだろう。
その瞬間、大剣を中心に魔法円が地面に描かれて行く。
その特性を見てとったユキは、注意をより一層深める。
魔法円の完成には、数秒と掛からなかった。
複雑怪奇な紋様を象られた円形の陣が完成すると、地面に突き刺さった大剣が、見る見る内に魔法円に吸い込まれて行った。
そして次の瞬間、ユキは思わず「なんと……!?」と声を上げてしまった。
魔法円の中から、有り得ないモノが表れたのだった。
「銀の……鍵……!?」
「ほう、知っていたのか? ユキよ、ならばこれが何処へ繋がる門の鍵か、語るべくも無いな?」
青年は魔法円から出現した全長十二~三センチの幾何学的な模様が描かれた銀製の鍵を振り上げる。
瞬間、『窮極の門』へと繋がる門へと二人を誘った。
二人が『第一の門』の向こうへと旅立ってから戻って来るまでに用した時間は、一秒も無かっただろう。
この地球上とあの場所とでは、時間軸が異なっているからだ。故に、たった一秒の内に、ユキは満身創痍にまで追い詰められたわけではない。
地面を仰向けに転がるユキの体は、火腫れや組織の乾燥、骨の露出した部分まであった。他にも裂傷が多数。
トンガリ帽子は脱げ落ち、マントはズタボロに破け要を為さなくなっていた。鎧も砕け露になった素肌にも、一目で重傷と分かる損傷がある。
レイピアは中腹で折れて無くなり、盾も半分以上が砕け散った。
妖艶で蠱惑的な顔には、大きく傷が入り、『闇石』を込めた右目を残して、左半分は組織が乾燥してボロボロと崩れ落ちていた。
これだけ見るに耐えない姿になってまで、よく生きていたものだ。
『闇石』がもたらす無尽蔵の魔力で、常に治癒魔法を自身に掛け続けていたからであろう。いや、それだけではなく、彼女自身の精神力がもたらした奇跡と言えよう。最も残酷な奇跡だ。
しかし、それも繰り返される蹂躙を前にして、回復が追い付かなくなり、今ではギリギリ生命活動を維持しているに止まっている。意識は、当に無くなったか。
死亡して貰えると尚良かったのだが、意識不明の重体に陥ってくれたことは青年ソルジャーにとって何よりも幸運だった。
どんな形であれ、無抵抗であれば例え負傷していようと殺すことなど容易い。
「『外なる神』の副王との一騎討ち、見事であった」
既に意識は無いが、これだけは言っておきたかった。
「あれは片鱗ですら無い、ほんの一欠片だが、よくぞここまで耐えたものだ」
仰向けに倒れるユキの上に跨がり、そして腰からナイフを取り出し、今度こそ心臓を狙う。
一分の狂いもなく、確実に、一撃で仕留めるよう。
「私は君のように他人を苦しませて楽しむ趣味は無いんだ。この仕打ちは、君の強さを認めての事だと分かってくれ」
そしてゆっくりとナイフを振り上げる。
「慈悲はくれてやる。望まぬ喚び出しに応えてくれたこと、そして君と過ごした僅かながらも賑やかな時間、感謝の言葉を述べよう。…………これで、さよならだ」
その言葉を最後に、青年ソルジャーは一息にナイフを持った右手を振り降ろした。
こうしてユキは、この世界に来て一日も経たない内に殺されたのだった。
それが彼女の運命なのだろう。
《事後》
ユキの体を抱き抱え、石段を登る青年ソルジャーの前に、あの黒い影が姿を現した。
「血迷ったか、アスラよ?」
「あぁ、その様だ」
「見損なったぞ? 貴様はどんな時も、己が理想の為に自己を殺してきたでは無いか? それを……その状態では、使えんでは無いか」
「善処はしたのだがね」
「ふん、まぁ良い。計画は二つ、同時進行している。片方が潰えたところで、何とでもなる」
そして黒い影は、音もなく近寄って来ると青年ソルジャーの傍らに立つ。
「貴様とはこれまでだ。もう会うことも無いだろう、アスラ・エイプリル。せいぜい、我が理想の邪魔だけはするなよ?」
耳元でそう語り掛けると、影はまるで霞のようにスウッと姿を消した。
「さてな。私は貴様の理想に共感を抱いた覚えは無いのだが。――――まぁ、これには流石の私も意外としか言い様が無いのだがな」