十二話:邂逅
《コラム37》
魔法使いと魔術師の間に位置する。それが『闇石使い』である。
飛び掛かる魔犬を、海猫と松原店主が蹴散らす中、怜心は退屈そうに欠伸を一つ吐く。
最初の『ガルム』とかいう魔獣を滅してからというもの、犬に魔術を施した簡易的な魔獣が次々と投入されて来るが、それらは通常の銃器で対処出来る雑魚ばかりだった。
魔犬に対する過大評価か、怜心達に対する過小評価か。
どちらにせよ、こんな程度の妨害でプロ三人を足止め出来ると決め込んだ施設の長に、期待外れの落胆を感じていた。
「切りが無いわね……」
『MAC-10』短機関銃のマガジンを交換しながら、海猫は焦燥気味に呟いた。
如何に雑魚とは言え、銃弾には限りがある。それは松原店主も同じらしく、額にうっすらと汗が滲んでいる。
「こちらの消耗を誘っているらしいな」
「店主さん貴方、ここのメンバーなのですよね? それがどうして私達と共に命を狙われているのですか?」
「それは、この施設に部外者を連れ込むことはご法度だからだ。重大な規則違反。この窮地を乗り越えなければ、死あるのみ」
「それはまた、良心的な組織ですね?」
「だから言ったろ? 案内しても良いが、二度と地上には戻れないぞ、って。こいつらは無限に来るぞ」
それは困ったな、と怜心は頬を掻く。
今、ここで足止めを食らうことは、些か面白く無い。
仕方がないか、と吐息を一つ。周囲を見渡し、何処か入れるドアがあるか探す。
「このままでは埒が開きませんので、一つ私に提案があります」
「何だよ? このくそったれな状況を打開できるなら、何だって良い」
松原店主の了承を得たところで、怜心は『コルト・パイソン カスタム』の撃鉄を起こし、通路に群がる魔犬に狙いを定める。
その様子を見た二人が、慌てて怜心の背後へ退避した。
【風神撃】
厳かな詠唱と共に放たれる風属性の魔力弾。
それは旋風を纏い、まるで回転刃のように通路を埋め尽くさんばかりの魔犬を、細切れ肉へと変貌させた。
「流石はレイ、一網打尽ね」
「油断するなよ。まだ来るぞ」
賞賛の声を上げる海猫に、ショットガンを構え直す松原店主。
今の一撃で全てを殺し尽くしたわけでは無いことは、怜心が一番良く分かっている。故に取るべき行動も既に分かっている。
怜心は海猫の手を取ると、音もなく松原店主の後方へ離れていく。あまりに突飛な行動に松原店主は「おい、何処行くんだ!?」と声を張り上げるが、前方を注意しなければならずその場から動けずに居た。
その隙に怜心は通路の壁に片手を当て、魔力を全身に回す。
「ぁ……んぁ――――ッ!」
手のひらを通じて海猫へ魔力が回され、それにより彼女の口から喘ぎ声が漏れた。奴隷である彼女に主人の魔力が与えられると、性的快感を感じるようになっているのが怜心の『アビリティ』だ。
これで準備は完了した。
「じゃあ、私達は先へ進みますので、後の事はよろしくお願いします」
「あぁ――――はぁ!? どういう事だ!?」
「生きていれば、また会いましょうね」
次の瞬間、壁にめり込んで行く怜心と海猫。
流石は魔術師の拠点だけあって壁にも隙間無く魔術刻印が施されているが、それは『闇石』の高度な情報処理能力に掛かれば何の問題も無い。
こうして怜心は、松原店主に魔犬の相手を丸投げして逃げおうせたのだった。
壁を越えた先は、刑務所のような牢獄だった。
簡素なベッドにトイレのみの個室は、床や壁、天井までもが赤黒い血で汚れており、鼻もひん曲がり息も出来ない程の悪臭に満ち溢れていた。それは決して血液の臭いばかりでなく、糞尿の汚臭までも混ざりあっていた。
あまりの悪臭に気絶寸前にまで追いやられた海猫を、怜心が引っ張り牢獄の外へ出してくれた。
「大丈夫か? 酷い臭いだったな」
白熱電灯のみが照らすコンクリートに囲まれた薄暗い廊下に出た海猫達だったが、まだ臭いに意識をヤられた状態で、立っているのも儘ならなかった。
それを怜心が優しく抱き締めてくれた。
彼の逞しい胸板に頭を埋めるだけで、言い様の無い幸福感に包まれる。
「すみません、レイ。魔術で嗅覚を遮断する事が間に合わず…………」
「あぁ、気にするな。この位は失敗に入らないさ」
優しく頭を撫でてくれる怜心。しかし、主人である彼に気を使わせた事に、何より海猫自身が憤りを覚えていた。
そんな海猫の内心に感付いた彼は、「それにしても」と別の話題を切り出した。
「今の部屋は一体何だったんだ? 設備からして人間を監禁する部屋のようだったが……」
「えぇ、けど、肝心の人が居なかったわ。それどころか、まるで人の住める場所とは思えなかった。既に惨殺されたのかしら?」
「その可能性が高いな。あのホラー映画のような血塗れな部屋を見る限りでは。――全く、この施設は些か以上に世間には公表出来ない事をやってるようだ。海猫、俺達はどうやらとんだ魔窟に足を踏み入れたようだぞ?」
「シルヴィアも居ないのに」とさも面倒臭そうにぼやく怜心だが、やはり曲がりなりにも連合軍の士官のようだ。
戦争犯罪の臭いがするこの施設を、無視することは出来ないようだった。
「ありがとう、もう大丈夫よ…………ッ!?」
ようやく落ち着きを取り戻した海猫は、彼から体を離した。
そして彼の顔を見上げた瞬間、信じられない光景に言葉を失った。
「レイ、どうしたの…………?」
やっとの思いで紡ぎ出せた言葉がそれだった。
驚くことに今の怜心は、とても生ある人間の顔色をしていなかった。いつも血色の良い肌は土色に変化し、日本人らしい焦げ茶色の瞳は淀んでいる。
例えるならば死人。いや、生きる屍も良いところだ。
彼は特に辛そうな様子など微塵も見せないが、それが強がりであることは海猫には分かる。
状況が状況だけに、弱音を吐く事が出来ないのだ。
「気にするな。ただ魔力切れで生命が危機に瀕してるってだけだ」
「魔力切れって…………貴方には闇石がある筈では!?」
「残念ながら闇石は体の一部だからね。魔力を生成すれば、相応に体力を削られる。引いては生命力までも削られるというわけさ」
無尽蔵の魔力を使用者へ提供する『闇石』に、そんな副作用があるとは海猫は思いもしなかった。
そう言えば、確かに前回、過度な魔力解放により気を失った姿を目にした事はある。が、その時に比べれば、今の彼はそこまで大規模な魔術を使用していない筈だ。
あの回転式拳銃から放たれる一撃も強力だが、二振りの『闇具』を使用した時に比べれば雀の涙程。そんな生命が危機に瀕する程の魔力消費があったとは思えない。
そんな海猫の疑問に気付いた怜心は、顔色悪く朗らかに言葉を紡ぐ。
「先日の戦闘と体の修復で魔力を使いすぎたんだよ。その皺寄せが来たって所だな。――外部から魔力を調達すれば、万事丸く収まる」
「それなら、この私の魔力を――――!」
彼の命を救うためなら喜んで命を投げ出す覚悟を持つ海猫は、ここぞとばかりに名乗りを上げる。しかし、「それは駄目だ」と断られた。
「君の微々たる魔力では焼け石に水だろうし、何より君の精神が崩壊する様は見るに忍びない。俺の遣り方は、ちょっと異端でね。いつもはシルヴィアかクロエにして貰うんだが、無いものをねだっても仕方無いし」
「それでも構わないわ! 貴方の為なら――――」
「まぁ最後まで聞け。――別に宛が無いわけじゃ無い。丁度この施設には、殺しても殺せない女が居る。そいつから戴こうと思っている」
怜心の心当たりというのに、海猫は直ぐに思い至った。
殺しても殺せない、ということはつまり“不老不死”。そんな異能を持つ女と言えば、陸瀬優季以外に無い。
義理とは言え妹にそんなことをするつもりなのか、と問い詰めようとした時だった。
「弱っているなら好都合だ。この施設を知られたからには帰すわけには行かない。悪いがその首、置いていって貰う」
不意に通路に木霊する女の声。
ずっと監視していた海猫には、それが誰の声か直ぐに分かった。
「やぁ、縷々井さん。貴女を捜していたのですが、わざわざ貴女から来てくれるとは」
通路の先の暗闇から現れた女性は、縷々井藍那に相違無かった。
彼女は端正な面持ちは険しく、『IMI デザートイーグル』という大口径自動拳銃を片手に持っていた。銃口は下を向いていた。
海猫は咄嗟に『MAC-10』を構え、相手を威嚇するが怯む気配はまるで無かった。
「ほう、てっきり義理の妹を救いに来たのかと思ったが? その部屋、あの少女が監禁されていた部屋だしな」
「それはついでです。暇があれば助けるつもりでいます」
「随分と薄情な兄貴だな?」
「まぁ、今の彼女なら、大抵の事は自分で何とか出来るでしょうし、実際にやっているようですし」
怜心の発言に縷々井の表情が僅かに動いた。
「…………何処まで把握している?」
「今、ご自分でユキが監禁されていた部屋と仰有ったではありませんか。それはつまり、既に彼女は何等かの形で逃亡しているという事を意味しています」
「別の部屋に移動したとは思わないのか?」
「それなら施設全体が厳戒体制に入っている理由の説明が付きません。私達のみを廃除するにしては、些か騒がしすぎます」
「フンッ、思いの外、頭は切れるようだな? 流石は人類史上最低と謳われる戦士だ」
「それは関係無いのでは?」
「それで、彼女の救出が目的で無いなら何故ここに居る? それに私に何の用がある?」
海猫は照準を合わせる眼差しはそのままで、怜心を横目で見た。
何が目的でこの女に用があるか、それは海猫も気になった。
「私が女だから、か?」
「ははッ、面白い事を仰有る。まるでご自分が魅力的であるかのような言い方だ」
この発言に女性としてのプライドを踏みにじられたような気分となったであろう縷々井は、「私は魅力的では無いって言うのか?」と嫌悪感を剥き出しに問い質す。
すると怜心は海猫の傍へ近付くと、優しく腰を抱き寄せた。思わぬ幸運に、一瞬照準の事を忘れてしまった。
「確かに貴女の外見は目々麗しいでしょう。娼婦ならば確実に高官辺りを物に出来る程の美貌をお持ちだ。しかし、中身が伴っていない」
「中身、だと?」
「えぇ、中身が空っぽなのですよ。まるで空虚だ。人としての重味を感じない。アンドロイドといっても過言ではない」
「どういう意味だ?」
「年老いる事を恐れ不老不死に手を出した貴女は、死ぬことも老いる事も無くなったのでしょう。しかし、目眩く時の流れを目の当たりにし、いつまでも変わることの無い人間に嫌気が差し、人生を謳歌することを出来なくなった。年老いる事を楽しめなくなった為に、何の目的も持つことが出来ずにただ生きるだけの人形となってしまった。そんな貴女を空虚と言わず、何と言いましょうか?」
「ッ! 分かったような口を利くな!」
怒声と共に持ち上がる銃口。瞬間、通路に轟く一発の銃声。
しかし、銃弾が放たれたのは別の銃器であった。
「素晴らしい腕前だ、海猫」
発砲の反動をまだ持つ短機関銃を下ろし、海猫は怜心を見上げた。彼の顔色は、先程に比べれば幾分か良くなっていた。
恐らく、空気中の魔力を取り込んだのだろう。
『MAC-10』から放たれた一発の『9mmパラベラム弾』は、縷々井の眉間を見事に撃ち抜いた。彼女は引き金に掛けた指をピクリとも動かすこと無く仰向けに倒れ、そのまま動かなくなった。
脳幹を貫かれたのだ。即死は免れないだろう。
「…………なるほど、確かに良い腕をしている」
しかし、彼女は声を発した。
驚愕にトリガーを弾き掛けた海猫を、怜心がそっと諌める。
その間に、殺した筈の海猫がゆっくりと立ち上がった。
「確実に一度、死んでしまったな。しかし、お陰で血の気が引いた」
縷々井は額から流れる血を袖で拭うと、「お前は私より、その傷だらけの女の方が美しいというのか?」と会話の続きを促した。
《不老不死》
年老いる事を止める事は、人生を楽しむ事を放棄することと同じだ。
人は年を取ることで、より美しく強くなる生き物だ。年老いる事を楽しめない者は、人生をの大半を損する事となる。
それを分からずに、死にたくない、年老いたくないという安易な発想で“不老不死”になる奴を、俺は嫌う。
そんな奴に生きる資格など無い。
例え永遠の命を持っていようと、完璧に殺してやろう。
――――ある日シルヴィアが聞いた愛する者の言葉