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闇に舞う蛇  作者: 梨乃 二朱
第五章:魔女の企て
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十話:賭け

《コラム35》

 レイは基本的に他人の評価は気にしないが、シルヴィアに怒られた時は気の毒なほど落ち込む。

 宛もなく薄暗い通路を駆け巡り、逃げ込んだ部屋は、どうやらリネン室のようだった。

 真新しい真っ白なシーツが何枚も山積みにされ、他にも枕や布団も見受けられた。


 ユキはシーツを一枚を拝借して、魔法でローブを作って一糸纏わぬ裸体を包み込んだ。

 流石に真っ裸で行動するのは、恥じらいを感じずにはいられない。が――――


「……何か、エッチな感じになっちゃった?」


 シーツで作ったローブを着た自らの姿を見下し、白地の下に浮かぶ肌色と胸の膨らみが、やたら淫らに見えてしまっていた。

 しかし、背に腹は変えられない。


 本来ならこんな回りくどいことをしなくとも、魔法で服の一つや二つ作り出せるのだが、どうも本調子に魔法を使うことが出来ずにいた。

 恐らく、あの忌々しい魔法円の後遺症だろう。


「全く、人が大変な時に、あのニャンコは何処で何をしているのやら」


 先程から何度と無く呼び掛けても一向に応じない白ニャンコこと光風空に思いを馳せてみて、その澄まし顔が頭に浮かんで少し苛立った。

 今頃あのニャンコは、どっかで日向ぼっこでもしているのだろう。


「帰ったら絶対ねこ鍋にしてやるのだ」


 グッと拳を固め、静かに殺意を燃やすユキ。

 しかし、帰宅方法が分からないこの状況を再度理解して、虚しく溜め息を吐くのだった。


「とにかく、出口を探さないと」


 ユキはリネン室のドアを少し開け、外の様子を窺い人の気配が無いことを確認すると、思い切って駆け出した。











 縷々井藍那という私立探偵は、怜心と海猫がバーへ堂々と入っていった時には、既に姿を消していた。

 吸殻が山積みとなった灰皿の上に置かれた煙草は、まだ火が点ったままで紫煙が立ち上っていた。

 どうやらタッチの差で入れ違いになってしまったようだ。


「気付かれたのかしら?」


「それは無いと思うよ」


 怜心はバーカウンターの向こう側を覗くと、「何か急用があったみたいだ」と神妙な顔付きで語る。

 海猫も釣られてカウンターを覗き込むと、カウンターの端の床板が外され、その下には地下へ続く階段があった。


「地下室ね?」


「と言うか地下施設だろうな。ここが入り口だ。随分と楽しそうだな」


 まるで遊園地を目前とした子供のように、怜心が心踊らせている事が見て取れた。


「手を上げろ!」


 その怒声が聞こえたのは、そんな時だった。

 反射的に振り返った海猫は、散弾銃の黒い銃口と目を合わせた。咄嗟に腰に下げた『S&W シグマ』自動拳銃に手を伸ばすが、「妙な事を考えるな」と諌められ渋々両手を上げた。


「お前、何者だ? 組織の一員じゃ無いな?」


 その男はここの店主だ。

 歳の頃は四十代半ば、白髪染めした黒髪に無精髭の男は、殺意を孕んだ焦げ茶の瞳を海猫ではなく怜心に向けている。

 怜心は振り向く事無く、地下施設への入り口という暗い階段を見詰めたままだった。


「おい、聞いているのか!? 両手を上げてこっちを向け!」


 今にもトリガーを弾かんとする勢いで怒鳴る店主だが、怜心は反対に冷めた口調で「誰の命に従っている?」と咎めるように口を開いた。

 ゆっくりと海猫の方を振り向くその顔には、いつもの慈悲というものが無かった。その表情に畏怖を覚えたのも束の間、不意に腹部に強烈な痛みが走った。

 あまりの激痛に呼吸が止まり、膝から崩れ落ちる中、朦朧とした意識が怜心の拳がみぞおちにめり込んでいる様子を捉えた。


「海猫、貴様は誰の奴隷だ?」


 四つん這いになった海猫の髪を鷲掴みにし上半身を持ち上げると、いつに無い厳かで恐怖させるような口調をして耳元で囁く。


「いいか、俺は寛大故に貴様に人としての自由を最低限与えている。しかし、自由になったわけではない。貴様は俺の命令にのみ従え。例え命が危険にさらされようと、俺が手を上げろと言うまで上げるな」


「申し訳……ありません……」


 喘ぎながら何とか謝罪の言葉を紡ぐと、髪から手を放してくれた。

 迂闊だった。

 自分がまだ、自由な身にあると勘違いしていた。


 海猫は奴隷だ。

 八阿木怜心の奴隷だ。

 彼の命令に忠実に従い、常に彼の利益のみを追求する下僕だ。

 だから、彼以外の人間の命令等には従ってはならない。それも見ず知らずの男の命令に従う等、もっての外だ。


「いや、失礼。下僕の躾がなっておりませんでして、お見苦しい所をお見せしました」


 怜心は先程とは打って変わり、至極丁寧に店主へ頭を下げた。「海猫、立つんだ」と海猫の腕を乱暴に持ち上げ、無理矢理立たせる。

 店主は何事が起こったのか理解出来ない様子だったが、散弾銃の銃口は淀み無く怜心に向けていた。


「初めまして。私は連合日本軍第16独立特殊部隊『ロイヤル・ロード』所属、八阿木怜心中尉です。こっちは私の奴隷の海猫です。――さてご主人、組織と仰いましたが、その組織とは一体何なのでしょうか?」


「お前、軍人か? いやそれより、自分が質問出来る立場に無いだろ? 先ずは手を上げて降伏しろ」


「貴方の命令を聞かないといけない理由が分かりませんね。第一、貴方が命令出来る立場とも思えませんし」


 怜心の言葉に疑問符を浮かべる店主。

 海猫にも何を言っているのか分からなかったが、ハッタリとは思わなかった。


「俺は銃を持ってお前に突き付けている」


「しかし、その中の銃弾が不発では意味がありません」


 更に疑問の色を強くする店主に、怜心は「試しに撃ってみては?」と挑発する。


「何の冗談だ……?」


「いいえ、冗談ではありません」


 怜心の瞳は鋭い光を孕んでいた。

 絶対の自信、確信があって発言しているのだ。


 店主は明らかに動揺していた。

 トリガーに掛ける指が、目に見えて震えている。

 自身の構える散弾銃に込められた銃弾が不発かどうかは、確かに撃ってみなければ分からない。が、銃弾に何等かの問題も無い事は、実際に装填した店主自身が一番良く分かっている。


「撃つぞ……!」


「どうぞ」


 最早、どちらが脅しているのか分からなくなっていた。

 散弾銃を持つ店主が、丸腰の怜心に気圧されている状況は、異様なものである。


 しかし、怜心にどんな考えがあるにせよ、この距離で散弾を浴びれば大惨事だ。

 海猫はようやく治まりかけた腹部の痛みを圧して、腰の自動拳銃に手を掛ける。静かにセーフティを外し、抜き放った瞬間に撃てるよう準備しておく。

 睨み合う二人の間に流れる空気は、酷く重たく息苦しいものだった。


「…………参った。お前の勝ちだ。肝の据わったガキだ」


 やがて、海猫の心配は杞憂に終わった。

 店主は諦めたように、散弾銃の銃口を下げたのだった。











「何故、撃たないと思った?」


 店主、松原藤一は散弾銃をカウンターの上に置き怜心に問い掛ける。


「貴方は誠実な人間だと思いまして」


 怜心は適当な椅子に腰掛けながら言う。


「撃つつもりなら、最初に背後から撃ったでしょう?」


「だとしても、あのブラフは何だ?」


「ブラフではありませんよ。私は嘘が苦手でして」


 言いながら散弾銃を取り上げると、銃口を海猫に向ける。

 身を強張らせる海猫に「おい!」と止めようとする松原店主を他所に、怜心はトリガーに掛けた指に力を込めた。


「――ッ!?」


「…………!」


 しかし、カチッと乾いた音が鳴るのみで、ショットシェルが撃ち放たれる事は無かった。

 どっと嫌な汗が噴き出す海猫に、「恐がらせたかな?」と問い掛けながら、散弾銃をカウンターに戻して海猫を引き寄せ膝の上に座らせる。

 正直、恐かったのレベルでは無いが、こうして甘える切っ掛けが出来たので、結果的に良しとしよう。


「お前らはどういう関係なんだ……?」


「先程も言った通り、彼女は私の奴隷です」


 困惑気味の店主は、理解が及ばないといった風に首を左右に振り、散弾銃を手に取る。不思議そうに眺め、弾薬を取り出してみる。


「…………! 弾が湿気てる!?」


 取り出したシェルを確認し、松原店主は愕然とした。


「レミントンM870、アメリカンポリスのシンボル的ショットガンですね。それには個人的に大変お世話になりまして、構造は熟知しております」


「構造を知っているからと言って、どうやって弾を濡らした?」


「種も仕掛けもある、単なる魔術ですよ」


 そう言って棚へ手を掲げる。すると、空のコップがかたんと一揺れし、瞬く間に水が溜まって行った。

 唖然とする店主に、そう言うことかと納得した海猫。

 あまり魔術を使う様子を見せない怜心だが、彼は間違いなく『魔術師』であり『闇石使い』だ。ちょっとした機転で、何もない場所から水を出す程度の芸当はお手の物だろう。


「では、本題と行きましょうか。――貴方は先程、組織と仰いましたが、どのような組織に所属しておられるのですか?」


 あくまで下手に出ながら、その眼光は鋭く追求する色を帯びていた。

 店主は怜心より距離を置いて椅子に腰掛け、「その前に聞きたい事がある」と問いを返した。


「お前はここに何の用がある?」


 カウンターの向こう、地下施設へ続く階段を指差し店主は問う。


「行方不明の義妹を捜索したく思いまして」


「何故、ここに居ると分かる?」


「縷々井藍那という美女を追ったところ、ここで見失ったので。――縷々井藍那、ご存知ですよね?」


「あぁ、知っている。あいつが入り口を開けっ放しにしたお陰で、お前とこうして話すことになったんだからな」


 一問一答はまだ続く。

 どちらも淀み無く会話しているように見えて、店主の方は慎重に相手を見極めているようだった。対して怜心は、全く読めない感情で言葉を紡いでいる。

 時折、膝に座る海猫の腰を撫でたり膝に手を置いたり、イタズラをする余裕も見せていた。


「縷々井が関係しているのか?」


「義妹の失踪した現場に、この煙草と五十口径の拳銃弾が落ちていました。思い当たったのが彼女でしたので、ストーキングを敢行した次第です」


 せめて“監視”か“張り込み”と言って欲しい。

 これでは任務をこなしていた当事者たる海猫が、まるで変態のようだ。


「そんな曖昧な物証で、縷々井に目を付けたのか?」


「はい。どうせストーカーするなら美女の方が良いとも思いましたしね」


「違ったら、どうする気で居た?」


「違っても別に構いません。結果的に美女とお近づきになれれば万々歳ですし、義妹なら自分でどうにかするでしょうし」


 何と適当な事か、と店主は思ったろう。

 海猫も呆然としてしまった。


 尾行について明確な説明は受けなかった海猫だが、まさか義妹の捜索を兼ねたナンパをするつもりでいたなんて、なんて身勝手な理屈だろうか。

 しかし、それくらいの気概が無ければ、この異常な世界では生きてこれないだろうし、三人もの女が惚れはしないだろう。


「……そうか、思い出した。確かお前、八阿木怜心とか言ったな?」


「えぇ、私の名は八阿木怜心です」


「“人類史上最低の戦士、アストレイ”ってのは、お前の事か?」


「おやおや、妙な二つ名が付けられたものですね?」


 怜心はさも愉快と言わんばかりに、柏手を打つ。


「やはり、か。他人の幸福より自らの私腹を肥やす事を優先する最低のクズ野郎、か。まさか、こんな子供だったとはな」


 店主はまるで唾棄すべき物のように、怜心を蔑んだ目で見る。

 当の本人は気に止める様子も無く、「自分の欲望に忠実なのですよ」と微笑んでさえいる。


 八阿木怜心の噂については、海猫も知っていた。

 彼を暗殺する際の資料に、如何に最低な『闇石使い』か、子細に書かれていた。

 その幾つかは尾ひれの着いた噂だと本人は否定していたが、真実の情報もあるとも言っていた。


「それで、クズ野郎からお願いがあります。――そこから向こう、案内して貰えると嬉しいです」


 嫌悪を露にする店主に、地下階段を指差しながら怜心は飛び切り人の良い笑顔で申し出た。











 

《交渉術:怜心の場合》


「お前は交渉の才能は無さそうだな?」


「何ですか? 藪から棒に?」


 出発準備をしていた怜心に、松原店主が呆れた風に語り掛けた。


「いや、何と言うか行き当たりばったりというか、計画性が全く無いよな?」


「細かいことはアドリブで何とか出来ますからね。常に堂々と、相手と対する事を心掛けています」


「そうかい。――ところで、もし俺が背後から撃つ気でいたら、どうするつもりだったんだ?」


「散弾銃程度で死んでいたら、今頃地獄で血の海を泳いでますよ」


 怜心は意味深に笑みながら、指鉄砲で自分の頭を撃つ仕草をした。

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