九話:反撃は潔く
《コラム34》
海猫は巨乳を有り難くは思っていないが、レイが喜んでくれるので妥協している。
翌日も縷々井藍那の監視を続行したが、特にこれといった動きは無く、夕方までは自身の探偵事務所で凄し、雨田音嗣の帰宅後は昨日と同じバーで暇を潰していた。
探偵業は上手く行っているのか等と、いらぬ心配が脳裏を過った。
そう言えば昨夜から怜心と連絡が付かなくなった。
メールを送っても返信が無く、金魚のフンのようにいつもベッタリと着いて離れないシルヴィアとも連絡が取れない。彼の身に何かが起こった事は明らかだが、監視任務を放棄する分けには行かなかった。
彼の命令で、何が起きようとも監視を止める事は許されない。例え彼が瀕死の重症にあろうと、奴隷である以上、主人の命令には背けない。
そう、海猫は彼の恋人でも愛人でもない。奴隷なのだ。
奴隷は主人の命に忠実であり続け、常に主人の利益のみを追求せねばならない。
命令に背く事などもっての他だ。
こうして海猫は怜心の身を安じつつ、監視任務を続けた。
翌日も特に変わった動きも無く、事務所とバーを往復するだけだった。
こう単調に行動してくれると監視が楽で、彼女の仕事が無いことが幸運と呼べた。
三日目も同じだ。
休日というのに仕事も無いらしく、事務所を出たらいつものバーで煙草を何本も吹かして午前中を過ごした。
助手らしい男装の少女は、朝早く何処かへ出掛けた切りだ。
それにしても動きが無い。
他に誰かと接触するわけでも無ければ、隠れ家らしき場所に足を運ぶわけでも無い。
監視がばれているのか、と不穏な考えが頭を過ったその時、監視場所として利用していたビルの廊下に張っていた結界が、人が訪れた事を知らせた。
ここは廃ビルでは無いが、この階は人通りが少ない。人の接近は、すなわち敵の接近と捉えるべきだ。
海猫は『イングラム MAC-10』短機関銃を手に取ると、部屋の唯一の扉の前に設置した仕掛けから身を隠す。
やがて来訪者は部屋の前に立つと、ドアノブを回した。鍵を掛けてある為、当然開くことは無い。
次の手としては、蹴破るかピッキングか。どちらにしても仕掛けが作動し、来訪者は粉微塵となる。
どうやら来訪者はどちらも取らなかったようだ。
鍵が掛けてあると分かると、そのまま立ち去ってしまった。
「敵地侵入には二通りの方法がある」
息を吐いたのも束の間、全く予想だにしない方向から声を掛けられた。
侵入者は窓からあった。
はめ殺しの窓をどうやってか静かに外し、気配を殺してこっそり背後に近付き、海猫の体を抱きすくめながら『MAC-10』を取り上げたのだった。
「正面突破と奇襲。どっちかと言うと、正面突破の方が性にあってるが、シルヴィアもクロエも許しちゃくれない」
「あら? レイだったの?」
「やぁ、連絡取れなくて悪かったね」
八阿木怜心はにっこり微笑んだ。
そして私服の下に見える包帯から、彼が連絡できなかった意味を理解した。
「MAC-10か。悪くない。けど、ドアの所の仕掛けは頂けないな。人殺しは隠蔽が難しい」
怜心は扉に仕掛けた『クレイモア対人地雷』を指差し、注意を促す。
「今度からは指向性スピーカーにしてくれ。敵の戦意を奪うやつ」
「分かったわ。それで、どうしたの? 怪我を圧して来たんだから、それなりの意味があるんでしょ?」
「怒るなよ。怪我は大した事は無い」
「二日間も眠りこけて? それにシルヴィアとクロエは? いつも金魚のフンみたいにベッタリなのに」
「勘繰るな。魔力切れで消滅寸前まで追い詰められたんだ。で、ちょっと休ませてる。――今回は君と俺とでやるぞ」
言いながら監視映像を覗く怜心。
すると彼は、「フム、なるほどね」と呟きくるりと海猫へ体ごと向けた。
「のんびりやるのも良いけど、少し憂さ晴らしがしたい。ちょっと強引だけど、揺さぶってみるか」
意味深な言葉に疑問符を浮かべつつも、怜心の作戦に乗ることとした。
奴の遊び方は星の数程ある。
あの雌犬も伊達に長生きはしていない。
あらゆる知識を、見て、聞き、感じて学んだ。そして何度も実践してきた。
あの銀髪の少女はよく耐えている。異常な程に、精神も肉体も不死身足らしめている。
あんなクソ女に再三玩具にされて、ここまで耐えた不老不死の能力者はいなかった。
「私らとは、ちょっと違うのかねぇ……」
くわえた煙草が根本まで燃え尽きている事に気付き、慌てて灰皿に押し付け火を消した。そしてまた一本、シガレットケースから取り出し火を点ける。
先程から、これの繰り返しだ。
監視カメラの映像に思わず目を奪われ、紫煙を燻らせたまま肺に入れることもそこそこに、無駄に燃やし尽くしていた。
少女が生きたまま解体される様子は吐き気が催す程にムカつくが、あのクソ女が苦戦する様は気持ちが良い。
ここ数十年、あの雌犬があんな焦った表情を見せたことは無い。
「しかし、体が動かない事には反撃できやしないだろう。さて、どうするか――――ッな!?」
次の瞬間、信じられない現象が起こった。
部屋の隅々にまで描かれた魔法円によって体の自由が奪われていた筈の少女が、クソ女の苛立つ程に華美な顔面を殴り付けたのだ。
続いて両足を折り畳むと、勢いに任せてクソ女の腹を痛快なまでに抉るように蹴り、壁際まで吹っ飛ばした。
「何だ? 何が起こってるってんだ?」
見事なまでの反撃に見入っている場合では無かった。
クソ女の髪を掴んで何度も拳を振り下ろす光景から目を逸らすことは惜しまれたが、バーカウンターの上に置いていた『IMI デザートイーグル』を引ったくるように手に取ると、監視室から飛び出した。
散々痛め付けられた恨みを晴らすつもりではあるが、人を殴るのは得意じゃ無い。
それでもまるで劣悪な機械人形のように、左手で魔女の髪を掴んで右手を何度も振り下ろし拳をぶつける。
それを何度繰り返した所でか、魔女が傷を負わないことに気が付いた。
「あんたも不死身なのね……?」
ユキとは違った不死能力。高度な自己再生能力とも言える。
死ぬより前にあらゆる傷が回復し、存命を果たす。
「テメェ、何で動けんだよ!?」
女の顔は驚愕の色に塗り固められ、ユキの問いは聞こえているようでは無かった。
その顔を更に殴り付ける。「あんたより私の方が格上だった。それだけよ」
「私は魔女。意識があればどうとでもなるのよ。複雑な魔法円ほど、ちょっとした綻びに脆いものだ」
「バカな!? 魔法は封じた筈だ!」
「あんたが嬉しそうに血をばらまいてくれたお陰で、魔力への干渉を封じることが出来た。魔女にとって血は、魔法の行使に欠かせない触媒だと学ばなかった?」
部屋に描かれた魔法円は完璧にユキの動きを制限していた。
しかし、意識を奪わなかった事が、この女の失敗だ。どうせ苦しませる事を目的としての事だろうが、意識でも何でも自分の思い通りに動くところがあれば何とでも出来る。
今回はばらまかれた血液に魔力を通わし、簡易的な結界を造り出した。
その結界の中はユキのキングダム。好きに魔法を使えるし、外部からの干渉を妨げながら、こちらから外部への干渉が出来る。
魔法円の解読に思いの外、時間が掛かったが、完璧に破壊することが出来た。
何度も繰り返し殴り続けていると、背後の扉の外で物音が聞こえた。
次の瞬間、扉が蹴破られ一人の女性が飛び込んできた。
その顔を見間違うものか。
ユキを誘拐したオレンジ髪の美女は、「そいつを放せ!」とゴツい拳銃の銃口をこちらへ向けた。
ユキは素早く掴んでいた女を、拳銃を構える美女に投げ付けた。
華奢なユキでも、肉体強化の魔法を使えば、若い女一人を投げるくらいはお手の物だ。
【凍りなさい――!】
詠唱と同時に床を満たす赤黒い血液から冷気が立ち上ぼり、二人の女の体に纏う水分を凍結、拘束した。
「死ななくても動けなきゃ意味無いよね。あんた達の方がよく分かっていると思うけど」
動きを封じた二人に一瞥をくれながら、ユキは拷問部屋を飛び出した。
《備えあれば》
「海猫、何で対物狙撃銃がここに?」
「あら、うっかりしてたわ。危うく忘れて帰るところだった」
「この対戦車ロケットランチャーは何に使うつもりだった?」
「備えあればなんとやら。武器は持ち運べる程度、多い方が良いと思わない?」
海猫の言い分も一理あるが、これではまるで戦争の前準備のようで冷や汗をかく怜心だった。
「極力、穏便にしてくれ。始末が大変だから」
「分かってるわ。私は元暗殺者よ?」
そう言いながらグレネードでジャグリングして見せる彼女に、内心はハラハラだった。