八話:監視任務
《コラム33》
レイは女好きでよく声を掛けるが、ヒット数はそこそこ低めだ。
縷々井藍那という人物は、意外と簡単に見付ける事が出来た。
街の南側にある寂れたバーに、一人で煙草を吹かすオレンジ髪に巨乳の美女を仔細に観察して、何故か苛立ちを覚えた。
恐らく、この感情は嫉妬だろう。気にしているつもりは無いが、容姿にコンプレックスを持つ海猫は、美女を前に妬みを持ってしまったのだろう。
「手に入らざるモノほど、焦がれてしまうものなのかしらね……」
海猫は自嘲するように呟いてから、怜心に状況を報告すべくメールを打った。
返信は直ぐにあり、傍に大きな人が入りそうな大きさの鞄か何かが見えるかと問われたが、特にそういった物は見当たらなかった。
もしかすると車の中かもと思ったが、バーの近くの駐車場には大型バイクが一台停まっているだけだ。そのバイクは恐らく縷々井藍那のもので間違いは無いだろう。
その旨を報告すると、バイクに追跡用の発信器を仕込む事と、引き続き目視での監視も続けるよう指示された。
命令通り、真っ赤な塗装の目立つバイクに発信器を組み込み、ついでにナンバーも控えておく。万が一に見失った場合、怜心の立場を利用して探し出せるように。
この程度なら前職の経験が活かされ、意図も容易くこなせた。見失うようなヘマなどしないし、感知されるような間抜けでもない。
「皮肉なものね。惚れた男に尽くすに、こんな方法しか無いなんて」
こう一人言を呟くのは止めよう、と心に誓い監視を続けた。
縷々井藍那は煙草を何本か吸うと、不意にスマートフォンを取り出して画面を覗くと、見るからに嫌悪感を露にして、吸殻の入った灰皿に唾を吐いた。
画面に何が映ったのか、それは海猫の使う双眼鏡では確認し得なかった。そもそも角度的に見ても、内容を確認する事が出来ない。
監視を始めて暫く、彼女はスマートフォンの画面を唾棄すべきもののように不機嫌に見詰めたまま、紫煙を燻らせて時間を潰していた。
どうやら画面には映像が映っているらしかったが、やはり見ることは出来ない。
多少のリスクを犯してでも内容を確認するべきかと思案している最中だった。不意に海猫のスマートフォンに着信があった。
こんな時に誰が、と毒づきながらディスプレイの表示を見て、慌てて通話のアイコンをタップした。
「M4A1一挺、コルト M4カービンを二挺、それから三人分の防弾ベストとフル装備を学園まで頼む。セーフハウスの物で良いよ」
相手は怜心だった。
彼は前置き無しに、拠点攻略用の軽装備を用意するよう海猫に告げた。
「五分で用意するわ」
「急がなくて良いよ。今はスピードより確実性を重視したい」
「なら、十五分頂戴。ところで、私も武装した方が良いかしら?」
「必要無いけど、呼んだらいつでも動けるように身軽には居て欲しい」
「了解、じゃあ今から準備に取り掛かるわね」
通話を終えると、海猫は縷々井藍那の監視を小型カメラに任せて八阿木怜心のセーフハウスに急いだ。
装備を整えると、彼の通う『オブスクラム学園』まで車を飛ばした。
学園の校門前には、彼とシルヴィア、そして見知らぬ少年と少女が立っていた。
丁度十五分だな、と頭の隅で考えながら、車を路肩に停めた。
「オトツグくんとサクラちゃんはトランクから装備を下ろして、適当に並べて下さい。シルヴィアはヘリの状態を確認して」
指示を出しながら運転席側に近付いて来る怜心に気付き、海猫はパワーウィンドウを下ろす。
彼は身を乗り出すように車内に顔を入れると、海猫の唇に唇をそっと重ねた。
「悪いね、忙しい最中に」
「今のじゃ許してあげないわよ。ちゃんと愛してくれなきゃ……」
海猫は怜心の手を取ると、自分の右胸に押し当てた。彼の指先が、手のひらが淫らに動き、甘い吐息が海猫の口から漏れた。
「何があっても監視は続行。見失った場合は直ぐに俺に連絡を。相手を見くびらないよう、注意して」
耳元で小声で指示を出す怜心は、言葉の切れ間にまた唇を重ねた。
どうやらトランクから積み荷を下ろす二人には、会話の内容を聞かれたく無いらしい。
「後ろの二人の内、少年みたいな格好した少女は対象と同居している。雨田音嗣だ。顔を覚えておいて」
「あら、あの子は女の子なのね? 狙ってるのかしら?」
「検討中かな。面白そうなら口説くし、そうで無ければ利用するだけだ」
それだけ告げると怜心は顔を離した。
「んじゃ、取り敢えず俺達はサクッと仕事してくるから、そっちも仕事頑張ってね」
「えぇ、ご武運を、ご主人様。終わったら、ご褒美をくれるかしら?」
「俺に出来る範囲でなら、ね」
そう言ってもう一度キスを交わすと、怜心は二人の少女のもとへと向かった。
まだ唇の感触が残る自分の唇に人差し指を這わせ、うっとりとした溜め息を吐いた。
その間も、バックミラーで件の少女の顔を確認することを怠りはしなかった。
男装をした少女は、何度見ても少年にしか見えない。実は男の子でしたと言われても、違和感は無いだろう。
「負けたくないわね……。けど、若さには敵わないかしら……」
それより前に、身も心も汚れてしまった海猫に、他の女性に女として対抗することは出来ないだろう。
女としては勝てないから、こうして自分の技術を十二分に発揮し、彼の気を引こうと努力しているのだ。
荷物を届けた海猫は、真っ直ぐ監視任務に戻った。
縷々井藍那は移動して居らず、相変わらず不機嫌にスマートフォンの画面を見詰めながら煙草を吹かしていた。
一体、何が映っているのか、知るためには場所を変える必要があったが、それは止めて置いた。リストは極力避けるべきだと思ったからだ。
結局、この日は大した動きは無かった。
日が落ちた頃にバーを出た彼女は、そのまま赤い大型バイクに跨がり、寄り道することなく自身の運営する探偵事務所に帰宅し、翌日まで外出することは無かった。
雨田音嗣という男装の少女は深夜になるまで帰って来なかったが、帰宅時の服装が血塗れだったことに嫌な胸騒ぎを覚えた。
まさか怜心の身に何か起こったのか。そう言えば連絡は無いし、メールを送っても返事が無い。
胸騒ぎはしだいに海猫の胸に黒い違和感として残ったが、あえて気にしない事とした。
彼の命令だ。
何があっても監視は続けなければ、彼の信頼に答えることは出来ない。
今にもここを離れ、怜心のもとへ向かいたい気持ちを抑え、海猫は監視任務に従事した。
昼間に出掛けていた音嗣が事務所に帰ってきたのは、夜も深夜零時を回ってからだった。
音嗣はいつになく疲れ果てていて、体からは硝煙と爆薬、それから雑草の青臭さと古い埃の臭いが染み着いている。
それよりも目を引いたのは、顔や洋服にこびりついた血痕だった。
「大丈夫、僕の血じゃ無いから」
何を言わんとしたのか察知した音嗣は、「レイくんが瀕死の重傷を負って」と事のあらましを簡単に説明し始めた。
どうやら音嗣が配属となった部隊は、テロ組織と衝突しこれを撃退したらしいのだが、隊長の八阿木怜心が重傷を負ってしまったらしい。その応急手当てを施す役割を担った結果、服が血塗れになってしまったという事だ。
「一命はとりとめたけど、まだ油断なら無い状態なんだ。意識も戻らないし」
「ふぅん。結構、ハードなんだな? お前は? 怪我とかしてないのか?」
「僕もサクラさんも無事だよ。入院したのはレイくんだけだし」
「そうか。って事は、お前は着替えを取りに来たのか?」
「ん? 何で?」
「だって今日は病院に泊まり込むんだろ?」
「いや、泊まり込むのはサクラさんに任せた。あんまり人が居ても仕方無いし、僕は帰ってきたんだ」
何気無い音嗣の言葉に、藍那は「はぁ!? お前、何やってんだよ!?」と思わず声を荒らげた。
「アピールすんなら今だろ! 今を逃して何処で口説くつもりでいんだよ!?」
「ちょっ、口説くって何!? 別に僕は、レイくんの事なんか何とも思ってないし! 第一、レイくんは上司だから、そんな恋愛感情とかは別に……」
もじもじと両手の指を絡ませる音嗣を見て、藍那は意味深ににやけてしまう。
本人は気付いて無いのか、既にゾッコンだということは端から見てもよく分かる。
ここは可愛い妹分の初恋を、名探偵が直々に応援してやるべきだろう。
「いいか、オトツグ? 男ってのは一見複雑そうに見えても単純な生き物だ。ちょっと女に優しくされれば、自分に気があると勘違いしちまうもんさ。看病なんか持ってこいだぜ? 一晩中、付き添ってやったら、どんな野郎でもコロッと行くもんだ」
「勝手な妄想で何言ってんの!? 別にどうこうなりたい分けじゃ無いから!」
「いいか、お前はシャワーを浴びたら女らしい格好して病院に戻れ。その、サクラとか言う女に先越される前に、既成事実の一つや二つこさえてこい」
有無を言わさぬ藍那のアドバイスに、音嗣は「いい加減にしてくれ!」と顔を真っ赤にしながら怒鳴ると、部屋に引っ込んでしまった。
どうやら教育の仕方を間違えてしまったようだ。探偵業に専念させるあまり、色恋沙汰に疎くさせてしまったらしい。
音嗣本人は否定しているが、女らしい格好をすればかなりの美少女になる。
元々、男装をしていても美男子に見えるのだから、そこには何ら不思議は無い。
元の素材が良いのだ。それを十二分に活かそうとしないことが、残念でならない。
「折角の初恋なんだぜ? もっと素直にならなくてどうする……」
音嗣の自室の扉に向けて呟き、煙草に火を点けて紫煙を吐き出した。
そう言えば自分の初恋はいつからだったか、等とぼんやり考えて、「昔話は苦手だ」と自嘲した。
《妥協》
着替えを済ませた音嗣は、まだ煙草を吹かす残念美人に病院に戻る趣旨を伝えた。
すると、見るからに愉快げに笑みを浮かべた。
「おぉ! 遂に心を決めたか! 女らしくスカートなんて履いて」
「ルル姉が煩いから行くんだよ。因みにこれは制服。明日はそのまま学校に行くから」
「はぁ!? ったくお前は……。狙ってる男が入院してるっつうのに学校なんか行ってる場合かよ!」
もう諦めたとは言え、藍那の勘違いにもほとほと呆れ返る。
一体、何処をどう見て、音嗣が怜心に惚れたと思ったのだろうか。それが不思議でならない。
もうツッコミを入れることも面倒になった音嗣は、「朝御飯は適当に済まして」と言い置き事務所を後にしたのだった。
「ちゃんと目覚める時にはキスの一つでもするんだぞ!」なんて妙なアドバイスは、あえて聞こえないふりをして流した。