六話:状況開始
《コラム31》
光風空はテンパると弱い。
大小二つの血溜まりはまだ渇ききっておらず、生々しくコンクリートの敷かれた地面を赤黒く濡らして、間違いなくこの場において残虐な殺人が行われたことを物語っていた。
血溜まりはどちらにも何かが置かれたような跡があり、そしてどちらも踏み荒らされてもいた。
「ここにユキが倒れていた事は確かなようですね?」
「あぁ、ここで殺されたからな」
「そして遺体は消えた、か……」
血溜まりはいまだに渇ききっていない。が、死体は跡形も無く消えてしまっていた。
「彼女の事だ。蘇生した後に君のもとへ向かったものと思ったのだが……」
「私の所へは来ていませんよ」
「そうか、制服が血に汚れたものだから、君に助けを求めたのではと思ってな」
確かに、血の付着した制服を着て街中を歩き回るのはよく無い。が、彼女はお得意の魔法で、服の汚れなど一瞬で洗浄してしまうのを、どうやら光風空は知らないようだ。
「全く、一体どこをほっつき歩いているんだ?」
「自分の意思で歩いているなら良いのですが……」
怜心の呟きに疑問符を浮かべる空。
そんな反応など無視をして、「それにしても」と周囲を見渡しながら話題を変える。
「貴方が私に助けを求めるとは、余程強い相手だったのですか?」
「ただの闇石使いだよ。それと、勝手に着いてきたのは君の方だろ?」
「頼った覚えは無い」と厳しい視線を向けられた怜心は、「そうですか?」と笑顔を返した。空は気持ち悪そうに顔を背けた。
「所で光風さん。ユキはブーツを履いてましたか?」
「ブーツ? 彼女は律儀にも学校指定の革靴を履いていたが?」
「そうですか。では、ここにあるブーツの靴跡は誰のものでしょうね?」
怜心は血溜まりの周辺にある血染めの靴底の跡を指差し、空に問う。
彼もブーツを履いているが、靴跡は小さく女性の物のようだ。
「私とあの暗殺者の他に、誰かがここに居たのか……」
「そのようですね。それも恐らくは女性で、血溜まりの乱れ方からユキの蘇生にかなり慌てたようです」
怜心の説明に何か深く考え込む空。
ユキは間違いなく連れ去られた。それは彼と暗殺者が剣を交えている間に。この場合、その暗殺者の仲間を疑って掛かるべきだろう。
それは聡明な光風空なら、よく分かっている筈だ。
「よし、後は私に任せると良い」
「おや? 私の助けは必要ありませんか?」
「貴様のような偽善者に頼るほど、落ちてはいない。さっさと帰って女遊びでもしているのだな」
それだけ言い捨てると、空は白猫の姿に変身した。そして猫だけに軽やかな身のこなしで、廃墟の中を駆け抜けて行った。
走り去る光風空を見送った怜心は、「何か手掛かりになりそうな物はあった?」と地面を這うように現場検証を行っていたシルヴィアに問い掛ける。
彼女は得意気な顔をして立ち上がると、白手袋を嵌めた手に持った遺留品を見せ付けた。
右手の遺留品は一本の煙草で、側面に何かのロゴが入った珍しいものだった。まだ火は点けていなかったようで、丸々一本綺麗な形で残っていた。
左手の遺留品は、空の薬莢だ。拳銃用の大口径弾で、特に目立った特徴の無い大量生産品のようだ。薬莢が残っている事から、回転式ではなく自動拳銃である可能性が高い。
「煙草は詳しく無いけど、そのバカデカイ薬莢から察するに使用された拳銃は“ハンドキャノン”で有名な『IMI デザートイーグル』だろうね」
「うん、五十口径のオートマチックって言って、先ず思い付くのはそれだね。小さい方の血溜まりに弾痕もあって、コンクリートに大穴を開けてるよ」
『IMI デザートイーグル』はアメリカの『マグナムリサーチ社』が開発した世界有数の大口径自動拳銃だ。その威力や迫力から“ハンドキャノン”とも呼ばれている。
『デザートイーグル』は『.357マグナム弾』や『.44マグナム弾』と言った大口径の銃弾に対応しており、今回使われたのは『.50AE弾』だ。
威力が強いと反動も大きく、女性が扱うには向いているとは思えないが、それを敢えて使っている事から、犯人は見栄っ張りのように思えた。完全に怜心の独断と偏見で、専門的な検知など全く無いが。
そして軍用拳銃だけに、犯人は元軍人かそれに準じた人間だ。少なくとも、チンピラのような半端者では無いだろう。これも独断と偏見だ。
「それで煙草の方だけど、見覚え無い?」
「ん? こんなん見たことあるっけ?」
「最近会ったスッゴい美女が吸ってた煙草と、似てる気がするんだけど…………チッ」
語尾に舌打ちがあった事は敢えて聞かなかったふりをして、怜心は記憶を掘り起こしてみた。
美女と煙草とハンドキャノン。
その三つのキーワードで当てはまる女性と言えば、会っていれば直ぐに思い出せそうなものだが、果たしてどこで出会っているのか。シルヴィアの話が本当なら、最近の話のようだが…………
「……あぁ、あの女性か」
思い至った人物は、およそ誘拐や殺人とは無関係のように思える女性であっただけに、怜心は落胆よりも興味関心の念が生まれた。
シルヴィアは呆れたように怜心を見ており、「本当に節操がありませんね?」なんて嫌味も言ってきた。視線が氷のように冷たい。
「ま、指紋を照合すればはっきりすると思うけど、必要無いよね?」
「あぁ、確定だ。――流石、シルヴィアの洞察力は並外れているね? その博識に何度と助けられた事か。頼りになるよ」
シルヴィアの頭を撫でてやりながら、スマートフォンを取り出し電話を掛ける怜心。
何処に掛けるのか問い掛けるシルヴィアに、「勘だけど、思ったより根深そうだからね」とウィンクを返した。
海猫はストリップクラブのバーテンダーという職を与えられた。
八阿木一家が住まうマンションとは正反対の場所に居を構えるストリップクラブは、まだ日も高い昼間だと言うのに、飲んで踊って脱いでのドンチャン騒ぎで目まぐるしい。
お酒に詳しくこういったクラブに潜入していた事のあるという昔話を怜心にした所、その日の内にストリップクラブを紹介されて、働くよう指示された。
何でまた、こんな昼間から盛り立っている連中のお守りを押し付けられたのか、その理由を知るのは意外と早かった。
このストリップクラブでは、良い情報も悪い情報も、表の事情も裏の事情も、逐一入っては出ていく。
つまり、この辺りどころか日本はおろか世界の有りとあらゆる情報が集まる場所なのだ。
海猫はこの場所で、怜心の耳になる事を命じられたのだ。
そして耳としての役目が必要となったのも、意外と早かった。
丁度、酒の備蓄を確かめに裏へ回った時だった。連絡用にと渡されたスマートフォンのバイブレーションが振動し、怜心空の着信を告げた。何事かと通話の表示をタップすると、特に急いだ様子も無く、先ずこう告げた。
「やっほ、仕事には慣れた? ナンパのしつこい客とか殴り倒して無い?」
「仕事はボチボチかしらね。意外と目まぐるしいわ。ナンパは、この成りだから誰も声を掛けないわ」
「何だそりゃ。そんだけ男が居て、誰一人として君の魅力に気付いていないとはね」
「あら、嬉しい。あんまり喜ばすと、発情しちゃうわよ……」
「夜まで我慢して。君は俺の物だから、他の男に手を付けられたくない」
「フフッ、まるでプロポーズね」
他愛の無い会話。
何かを探られているのかと思ったが、怜心はそんな回りくどい事はしないだろう。多分、純粋に海猫との会話を楽しんでいるのだと思う。
そしてその会話の中に嘘偽りは一つも無く、全て本音なのだと本能的に理解できた。
「それで、本題だが――」
語調が変わった事で、重要な用件だと理解した。やはりただの世間話をする為に、電話をしてきたわけでは無いようだ。
《おっちょこちょい》
光風空はおっちょこちょいだ。
「ところで、光風さんは何処へ行ったのだろうね? 完全に犯人を勘違いしていたようだけど?」
「別にほっといても良いんじゃない? 私達、別に協力関係ってわけじゃ無いし」
「まぁ、そうだね。それにしても、肝心な所で詰めが甘くなる癖、治んないもんだな。昔からそうだったよね?」
「見栄っ張りなんだろうね。あの人」
協力関係に無い怜心は勿論の事、光風空が大嫌いなシルヴィアは、端から情報共有する気など無かったのだった。