三話:帰宅路
《コラム28》
『オブスクラム学園』では余程の事が無い限り、退学は有り得ない。
「はい、じゃあ改めまして、連合日本軍第16独立特殊部隊『ロイヤル・ロード』所属、八阿木怜心中尉です。『アストレイ・チーム』の分隊長を命じられました。よろしくお願いします」
空き教室に場所を移した一行は、何とも軽い感じに入隊の儀式を行っていた。
「どうも、八阿木怜心の義理の妹、陸瀬優季です。ついでによろしく」
何故か部外者の陸瀬優季を踏まえながら。さらっと義理の妹という関係をカミングアウトしたし。
何だろうか。少しすっきりした自分が居る。これは、安堵?
「えっと、最終の意志確認ですが、お二人とも私の下で軍の犬として働くということでよろしいでしょうか?」
間違ってはいないが“軍の犬”という表現は、些か心地好く無い。が、軍属となることに異存は無い。
雨田音嗣は本日をもって、連合日本軍所属の准尉として働くこととなった。配属部隊は第16独立特殊部隊『ロイヤル・ロード』第03分隊『アストレイ・チーム』だ。
理由は一つ。未成年の軍人にしては破格の給料だ。
ルル姉の探偵稼業に比べれば、かなり良い。これで生活費に困ることは無くなる。
軍に入るに身分調査はされただろうが、問題なかったらしい。正に降って沸いた幸運と言えよう。
「誠心誠意、努力します!」
五月女桜も軍属となることを快諾した。桜の場合は、軍というより怜心の下で働ける事が嬉しいようだ。
どうやら彼女も怜心と知り合いらしい。どういう知り合いかは分からない。
「では、諸々の書類やら規約やらの説明は、私と契約している『闇者』であるシルヴィア・バートリーさんよりお願いします」
「ご紹介に上がりましたシルヴィア・バートリーと申します」
怜心に変わって声を上げたのは、ダークバイオレットのショートに丸顔の何処と無く小動物のような可愛いげのある少女だ。
見た目は音嗣達と大差無いように見えるが、『闇者』だけあって数億という歳月を生きた古代人という事は念頭に置いておこうと思った。
それにしても、先程から黒いオーラのようなものを感じるのは気のせいでは無いだろう。
配布された資料には、様々な誓約書があった。それらに一頻りサインし終えると、シルヴィアが回収し「司令へ提出します」と事務的に言った。
その後、簡単な注意事項等を口頭で説明された。
「主だった要項はこんな所です。何か質問は? ――――無ければ、以上で説明を終了致します」
あくまで淡々とした態度を崩すことなく、説明を終えたシルヴィア。
次いで怜心が口を開き、「じゃあ、今日は顔合わせということで、解散」とだけ言うと、シルヴィアと優季を連れてさっさと教室を出ていってしまった。
残された音嗣と桜は、帰宅路に着くことにした。
音嗣にしては早く帰りたかっただけあって、学園に残るつもりは毛頭無かった。
「怒られるかと思ったけど、何も言われなかったね?」
途中まで帰る方向が同じらしい桜は、不意に安堵したように語りかけてきた。
あのチャラ男との一戦についてのようだ。確かに怜心もシルヴィアもその事には一切触れなかったし、学園側からもまだ何も言われていない。
「処罰の検討中とか、かな?」
「だ、大丈夫だよ! あれは正当防衛だし」
元気付けようとしてくれる桜。
別に落ち込んでもいないし、あいつのようなクズは見飽きている。
「レイさんはそんな酷い人じゃ無いから、心配しなくても良いよ」
「そうなんだ。ところで、彼とは親しい仲なの?」
何気無い質問は、思わぬ爆弾だったようだ。
急に顔を真っ赤にしたかと思うと、あわあわと手を振り口をパクパク開閉して絵に書いたような慌て振りを見せる。
「親しいって言うか何て言うか憧れてるだけであって別に特別な感情があるわけじゃ無いって言うか一方的に好意を抱いてるだけであって付き合いたいとかそんなんじゃ……」
マシンガンのように飛び出る言葉の数々。
「いや、親戚か何かかと思っただけだけど……?」と誤解を解いてやると、ぽふっとまるで頭から湯気でも上がるのでは無いかと思うほど赤面の色を強くした。
「地雷踏んじゃったわね?」
ジャスミンが追い討ちのように囁く。
「うぅ……この事は、何卒ご内密にお願いします……」
「う、うん、口は堅い方だから」
赤面冷め止まぬ桜。
音嗣はあまりに気の毒で、かける言葉が出てこなかった。
左腕にはユキが引っ付いて離れない。
“お兄ちゃん”と呼ぶことを許した途端、何故かなつかれてしまったらしく、なかなか離れようとしない。
お陰でシルヴィアの機嫌が悪い。すこぶる悪い。
チラリと視線を向けてみると、顔は微笑んでいるが瞳の方は全く笑っていない。
腕はもう片方空いてあるのだ。シルヴィアも甘えてくれれば良いのに、なんて思ってみるが、彼女にしてみれば幼き頃から怜心の契約『闇者』をしているというプライドが、それを許さないのだろう。
嫉妬深いところは姉妹そっくりだが、妹は姉に似ず内気で奥手だ。それはそれで可愛らしくはあるのだが。
「ねぇお兄ちゃん、この後って予定とかある?」
「予定、ですか? そうですね、実に遺憾ながら事務仕事が少々出来てしまいましたので」
「そっか……その後は?」
「その後は帰るだけですかね。特に急用が無ければですが」
「じゃあさ――」
不意に絡ませる腕の力を強められた事で、柔らかな二つの膨らみの感触が強まり思わず心音が高鳴った。
怜心を見上げるオッドアイの瞳が細められ、薄い桜色の唇の隙間から白い歯が見える。
「待ってるから一緒に帰ろ!」
天使のような笑み。
ユキの背中に白い翼が生えたような幻想を、一瞬だけ垣間見た気がした。が、背後で発せられるどす黒い気迫に、彼女の美貌がもたらす魔力に蕩けた意識が正された。
恐る恐る視線を後ろへ向けると、シルヴィアが言葉に尽くしがたい凄味のある表情で怜心を睨み据えていた。
怜心は咳払いを一つして、気持ちを切り替える。
「そんなこと、光風さんが許しませんよ?」
「大丈夫だよ、クウちゃんはもう私の下僕なのだ。反対なんかさせないよ」
「はは、そうですか。そう言えば、光風さんの姿が見られませんが、どちらへ?」
「どっかで寝てるんじゃない? お前は奔放過ぎて疲れる、って怒られちゃった」
いつも優季にベッタリだった『闇者』の光風空。
だが、ユキとは折り合いが悪いのか別行動が多いように感じる。それだけ信用しているとも取れるが。
「まぁ、呼んだら直ぐ来ると思うけど」
ユキも特に空が居ようと居まいと関係無いらしい。
まぁ、一度命を狙われた相手とあまり一緒に居たくないというのが本音だろう。
「それに事務仕事も少々時間が掛かりまして。終わるのは夜になります」
「えっ、そんな掛かんの?」
「はい、ですので先に帰宅なさるのが懸命かと。折角の半日授業ですし」
事務仕事が半日も掛かると言うのは、真っ赤な嘘だった。ユキの渋る様子に、嘘を吐かざるを得なかったのだ。
でなければ怜心との帰宅なんて、優季の教育係たる鈴峰弥生に迷惑が掛かるし、陸瀬家から妙な嫌味を言われかねない。何より、シルヴィアが恐い。
「そっか、分かった。じゃあ、一つお願い聞いてくれる?」
「お願いですか? 私に出来ることであれば、何なりと」
するとユキは徐に離れたかと思うと、怜心の前に立つ。
その仕草は天真爛漫を絵に書いたようで、しかし悪い意味では無く、可愛く、そして何処か儚げだった。
「敬語を止めて、私の事はユキって呼んで。義理とは言え兄妹なんだから、畏まった口調じゃ可笑しいでしょ?」
これには少し意表を突かれた怜心。
正直、また何か無理難題を言われるような予想をしていた故に、拍子抜けだった。
「何だ、その程度なら構いませんよ。では――――」
そしてスイッチを切り換えるべく咳払いを一つ。
「ユキ、寄り道せずに真っ直ぐ帰れよ」
思い切った砕けた口調。
それはかつて義兄妹であった頃から使い続けていた口調だった。
するとユキは、目を丸くして「ちょっと意外……」と言った。
「もうちょい渋るかと思ったから、説得のセリフ幾つか考えてたのに」
何故か頬を膨らませるユキ。
そんなことを言われても、別に怜心は敬語で話すことに拘りなど特に無い。親しい間柄なら、砕けた口調で話しているし、戦闘になれば荒々しくもなる。
ただ優季とは色々と問題があった為、敬語を使っていただけだ。それもほとんど解決したような今の状況では、拘る理由など無かった。
「んじゃ、私は帰るね」
「あぁ、気をつけて。つっても、死なないなら気を付ける事なんて特に無いかな?」
「えへへ、まぁね。――さて、クウちゃん何処行ったかなぁ」
こうしてユキは去って行った。
何か嵐のような奔放さと、それとは裏腹な人を惹き付ける魅力に、彼女が本当に別人になったのだと実感した怜心だった。
さて、ユキを見送った怜心だが、背後を振り向く事がどうしても出来なかった。
何故なら、背中にひしひしと感じる黒いオーラに、先程から冷や汗が止まらないからだ。
とは言え、ここは男らしく勇気を振り絞って振り返る他にない。
意を決した怜心は、努めて明るく笑みを作った。
「そう嫉妬すんなってシルヴィ…………」
「お仕事が残ってます」
氷のような冷たく鋭い言葉に、怜心は凍ったように固まってしまった。
その傍らを、不機嫌なシルヴィアがすたすたと早歩きで通り過ぎて行く。
「どうせ私は胸小さいもん……」
そんな囁き声が聞こえた怜心は、必死に弁明の言葉を思案するのだった。
校庭の白いベンチを日除けとして、白いモフモフしたニャンコこと光風空は芝生に踞り昼寝をしていた。
その様子は誰がどう見ても、学園の敷地に迷い込んだ野良猫だ。
ユキは起こさないように近寄ると、「クウちゃん、めっけた!」と思い切り抱き寄せた。
気配を消しての所業であった為、完全な不意打ちを食らった白ニャンコは、猫らしからぬ成人男性の低音の悲鳴を上げる。
「キャー! もふもふスベスベだニャー!」
「ユ……ユキ! 君は、力加減を……! し、死ぬ…………!」
そしてたっぷりニャンコのふわふわで滑らかな獣毛を堪能したユキは、空に怒られながら帰路へ着いたのだった。
「へぇ、あれが人類最強の闇石使いかい……」
『オブスクラム学園』指定の制服に身を包んだ長い銀髪の少女は、白い猫を抱き抱えて何事かを語っている。
太陽のような眩しい笑顔を浮かべる様子は、その辺にいる女子高生と同じでありながら、明らかに有象無象の連中とは違っていた。
彼女こそ天界より舞い降りた“天女”か、豊穣を司る“女神”と喩えられる。それほどに美しく、そして神秘的な謎めいた魅力の持ち主であった。
「ケッ、やだやだ。ホント、うちのマスターにゃ嫌気が差すぜ」
もう使われなくなった廃ビルの屋上から少女を眺める青年は、静かに毒づく。
片側だけ開いた瞳は紅蓮の炎を思わせる紅色をしているが、気怠げな色でくすんでいた。恐らくそれは、今に始まった事では無いのだろう。
そして彼の旁には、彼の愛刀であり契約している『闇者』のもう一つの姿、毒々しいまでの紫色をした“斬馬刀”型の『闇具』が、コンクリートの床に突き刺さっている。
「が、これも仕事だ。給料分は働かねぇとな」
運命には逆らえない、と溜め息を吐き、斬馬刀を引き抜き肩に凭れ掛ける。そして床を蹴って上空を舞った。
《大きな荷物》
「あ、ルル姉お帰り。どうしたの、そのバッグ?」
音嗣が帰宅して一時間程後に、何処かへ出掛けていた縷々井藍那が黒い大きな旅行鞄を持って、事務所に入って来た。
いつものように煙草をくわえ、力仕事をしたからか額にうっすらと汗が滲んでいた。相当重い中身のようだ。
「まぁ、ちょっとな。それより、どうだった学校は?」
「どうって、うん…………」
まさか初日から問題を起こしたとは言えない音嗣。
その話題に触れないように、取り敢えず伝えておくべき事を伝える事にした。
「僕、軍隊に入ることになったんだ」
「そうか、それはまた…………って、ハァ!?」
予想はしていたが、やはり驚きを隠せない様子の藍那。
「軍隊ってお前! わかってんのか!? 連合に顎でコキ使われるんだぜ!?」
「分かってるよ。大丈夫だって。配属先はほら、八阿木怜心の部下だから気が知れてるし。それにさ――――」
藍那にシルヴィアから渡された資料の一部を見せた。
すると彼女の顔に驚愕の色が浮かび、瞳が輝いた。
「結構、条件良いと思うんだけど?」
「…………立派な軍人になって市民の平和に貢献するんだぞ」
予想はしていたが、凄い変わり身だ。掌を返すとはこの事だろう。
姉御肌で怖いもの知らずの迷探偵も、生活が立ち行かなくなるのは困るようだ。