二話:お兄ちゃん
《コラム27》
後輩と言えど、喧嘩を売ると痛い目を見るときがある。
『オブスクラム学園』の広大な土地の北西側に構える学食にユキを連れたって、怜心は詳しい話を聞くことにした。今は誰も利用していないだろうから、話し合いには持ってこいの場所だろう。
突然声を掛けられ、“お兄ちゃん”と呼ばせてくれと言われては流石に反応に困った。
恐らくは光風空か鈴峰弥生辺りに義兄妹であることを吹き込まれたのだろうが、それにしても急に妹然とするようになった理由が分からなかった。
確かに生物学上は義兄妹という事になるが、既に陸瀬家とは袂を別つこととなった怜心に肉体以外は全くの別人たるユキに義兄妹という括りは通用しない気がした。
取り敢えずアイスココアを奢って、その趣の話をしてみた怜心だが、彼女は断固として義妹であることを主張するのだった。
「何で義妹が居るとダメなの?」
「複雑なのですよ、色々とね。世間体とか」
「世間体とか気にするタイプには見えないけど?」
「まぁ、私としては別にどうでも良いのですが、陸瀬家の御当主が許しませんよ?」
怜心は陸瀬家当主に心底嫌われている。それはもう、敷居を跨ぐなと勘当するだけでは飽きたらず、法的に血縁関係を破棄するほどに嫌われている。
理由には大体想像はついている。つまるところ、怜心が陸瀬家の名を汚すような人間だからだ。
「あの頑固そうなおじさんの事なら、気にしなくていいと思うよ? 何か私には逆らえない雰囲気だし」
「それは実子である貴女を溺愛するが故の事ですよ。私とは真逆です」
陸瀬家当主は優季を溺愛している。正妻の娘であり、陸瀬家に必ずや栄光をもたらすであろう神童たる優季だ。箱入りにするほど愛するのも分からなくはない。
才能に恵まれず家名に泥を塗るばかりの怜心とは、全くの逆である。
「貴女こそ、何で兄妹に拘るのですか? 私と貴女は赤の他人ですよ?」
「えっと、それはね……」
怜心の問いにまた顔を赤らめるユキ。
何がそんなに恥ずかしいのか知らないが、いちいち可愛らしい。最近、絶世の美貌に更に磨きが掛かったように思う。
「私、一人っ子でさ。兄弟とかそういうの、凄く憧れてたんだ。無条件で頼れる人っていうのかな」
照れながら語るユキに、「兄弟はそんな都合の良いものではありませんよ?」と言ってやったが、ほわんとして聞いてやいなかった。
余程、兄弟に対する憧れが強いのか知らないが、彼女は繋がりを欲しているようだった。
前に居た世界で、ずっと一人きりだった彼女だ。不老不死という異能を計らずも手に入れてしまい、そのせいで命の危険に常に晒され続けた人生。
その終わりの無い孤独と不安は怜心の想像を絶するものであったのだろう。
故に欲しいのだろう。
無条件の繋がりと、頼れて甘えられる存在を。
怜心としても別段、彼女を義妹として扱っても何ら問題は無かった。
むしろそちらの方が、都合が良かった。彼女という非常に興味深い存在を手元に置けるという、この上無いチャンスでもある。
思えば、怜心がそれほど拒絶する必要は無いはずだ。
世間体なんて、評判が地に落ちている怜心にはどうでもいいことだし、陸瀬家とは既に関係を断っている故に今更どうなろうと知ったことではない。
ただ陸瀬家当主の圧力が鬱陶しいだけであって、ユキを拒絶する理由は特に無い。
そう決め込んでしまった怜心は、ユキの頭にぽんっと手の平を置いた。
不意打ちを食らった彼女は、鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をして怜心を見た。
「陸瀬家の人間がいない所、という条件付きでなら構いませんよ?」
「ほ、本当!? 本当に良いの!?」
「えぇ、好きに呼んで下さい」
ナデナデと手を動かしてやると、ユキは嬉しそうに目を細めた。何処と無く猫のようで可愛らしい。
「じ、じゃあ……お兄ちゃん」
呼ばれてしまった。
少しむずかゆい感じはあるが、悪くない響きだ。そう言えば、優季はずっと“兄さん”と呼んでいたか。
「随分と楽しそうね?」
不意に掛けられた声は、ほんわかとした空気に冷えた風を注ぎ込んだ。
恐る恐る振り返ると、何か黒いオーラを背後に滲ませるシルヴィア・バートリーが、実に淑女然とした微笑を浮かべて佇んでいた。学園に居る時は『闇具』として腰に携えているのだが、一連の流れを聞いていて居ても立ってもいられなくなったようで、気付かぬ内に人間体に戻っていたようだ。
隣のユキに目配せすると、彼女は喜びと照れが混ざりあった、この上無い幸せそうな表情を浮かべて自分の世界に入り込んでいた。
「レイ、お仕事があるのでは?」
口調は穏やか。しかし、トーンは低い。
何か怒っているのは分かる。何を怒っているのかも大体分かる。けど、何でそこまで怒るのかが分からなかった。
入学式は粛々と執り行われ、無事に閉幕した。
雨田音嗣達、高等部新入生は担任教諭に引率され、講義棟の高等部一年生が使用する教室にてホームルームを行っていた。
主にはこれから一年の予定や学習カリキュラム等の説明と、教科書等の配布であった。
ホームルームは一時間程で終了した。
慣れない環境と慣れない行事に疲れた精神を労うように小さく溜め息を吐くと、帰り支度を始めた。と、そんな時、担任教諭が音嗣と数名の生徒の名前を読み上げた。
名前を呼ばれた者は、まだ何か儀式があるらしく、音嗣は「帰りたいのに……」と面倒そうに呟くのだった。
「オトツグさん、何があるんだろうね?」
肩を落として指定された教室へ向かう音嗣に声を掛けたのは、ポニーテールを揺らす五月女桜だった。肩には彼女と契約する『闇者』でモモンガの姿をしたジャスミンが居る。少し眠そうだ。
彼女も名前を呼ばれた者の一人のようだ。
「何々、二人も呼ばれた感じ?」
そこへ割って入るのは、見知らぬ男子生徒だった。
茶髪を少し長めに切り揃え、鼻や唇にピアスをした少年は、見るからにチャラそうで賑やかそうだ。顔立ちは今一つといった風で、それを気にしない本人は仕草が鬱陶しい。
無視を決め込む音嗣と動揺する桜の前に立つ少年は、頼んでもいないのにぺらぺらと個人情報を語りだした。
「俺、学園七位の笹倉俊平ってんだ。中等部から居んだけど、おたくらは見ない顔だね? 高等部からの入学組?」
笹倉俊平の軽口に「そうですけど……」と恐る恐る返答する桜。止せばいいのに、と胸中で溜め息を漏らす音嗣だった。
音嗣の危惧を他所に、調子に乗るチャラ男。
「何だヤッパリ! だったらさ、派閥とかまだだろ? 俺らのチームに入んなって!」
「派閥、ですか?」
「そうそう、うちの学園は派閥があんの。まぁ基本的にはメンバーでワイワイ騒ぐだけだけどさ、いざって時には俺らが守ってやるってこと。わりと上下関係厳しいんだよね、この学園」
もう面倒臭い。
派閥とか何だとか言ってる狭量な輩に構ってやれる程、暇ではない。
音嗣は桜の手首を掴むと、チャラ男を避けて先を急ぐ。が、しつこくも回り込んでくるチャラ男。
ナンパでもしているつもりなのだろう。
「ちょっと待てって。俺が守ってやるって言ってんだぜ? この学園七位の笹倉俊平様が」
もううんざりだ。
いい加減、飽き飽きしてきた。自分の力を誇示するような安っぽい男が、何が守ってやるだ。
「お気遣いなく。自分の身は自分で守れる」
「最初は皆そう言うんだって。けど、後で絶対後悔するんだよね。だからさ――――」
「なら、君の派閥以外の派閥に入るとするよ。行こうか、サクラ」
更にチャラ男の脇を通り過ぎようとした瞬間、こめかみに目掛けて拳が飛んできた。
そんな不意打ちを食らう筈もなく、音嗣は片手でそれを受け止めた。
「へえ、腐っても闇石使いってわけ? 闇者も居ない癖に粋がってんじゃねぇぞ、このアマ?」
本性を現した笹倉俊平の左手には、鉄球の部分に棘の付いたハンマーが握られている。確か“モーニングスター”とか言う中世頃の武器だったか。
しかし、それは恐らく『闇具』であろう。
不味いか、と胸中で舌打つ音嗣。
校内での私闘は禁止されている筈だが、校則などに人間の行動を拘束する力は無いと言うことか。どこの学校も。
音嗣は桜を突飛ばし、モーニングスターの破砕攻撃を紙一重でかわした。
見た目にはかなり重量のある得物のようだが、流石は腐っても『闇石使い』か。軽々と振り回し、連続して音嗣を襲う。
「オラオラァ! 避けるばっかかァ!? 闇具を展開知ろってんだよ! あ、闇者が居なかったんだっけかァ!? アァ!?」
激昂した様子のチャラ男。
流石に避けるだけというのも面倒臭くなってきた。
確かに『闇具』だけあって一撃辺りの威力はダイナマイトの爆撃にも匹敵する。が、当たればの話だ。
狭い廊下で長い得物を振り回すバカは、一撃毎に壁や床や天井までを破壊し、その攻撃速度を鈍らせる。
故に回避には苦労は無かった。特にここ数日、縷々井藍那のよく分からない特訓のお陰で『闇石』をある程度は使いこなせるようになった音嗣には、チャラ男の動きは極めてゆっくりに見える。
連続して避けていればいつかは諦めると思ったが、なかなかに諦める様子は無い。どうやら戦闘になると、頭に血が上るようだ。
音嗣は溜め息を吐くと、大振りの一撃を回避した瞬間を狙い、ブレザーの下、ショルダーホルスターに納めていた『ベレッタ92F』自動拳銃を抜き放ち、チャラ男の鼻先に突き付けた。
ピタリと動きを止めるチャラ男。カチリと撃鉄を起こす音が、静寂に響き渡る。
「動くな、中には軍用の9mm弾が入っている。頭を撃てば即死は確実だ」
瞬間、チャラ男の顔にひきつった笑みが浮かんだ。
「じ、冗談じゃねぇか……マジになんなって……」
そして振り下ろされたモーニングスターは虚空に消え去り、チャラ男は両手を挙げて降伏を示した。
音嗣は何度目になるのか溜め息を吐くと、セーフティを掛けて拳銃をホルスターに納めた。
そして桜の方へ向かおうとした瞬間――――
「危ない!」
桜の悲鳴にも似た叫びが廊下に木霊する。
それとほぼ同時に、音嗣は回し蹴りを繰り出した。音嗣が背を向けた瞬間を狙ったチャラ男の動きは、手に取るように読めていた。
やはり壁や天井に阻まれるモーニングスターの打撃は緩慢で、音嗣の足がチャラ男の顔面側部に命中する方が早かった。
チャラ男は蹴り飛ばされて壁に激突し、僅か一撃で昏倒してしまった。
「ちょっと、強く蹴り過ぎた?」
「大丈夫だよ……」
「正当防衛だと思うわ」
駆け寄った桜が、音嗣の囁きにフォローを入れるのだった。
《二分後》
「……何で暴れたの?」
一年担任の男性教師は、眉間の皺を伸ばすように頭痛を抑えるように人差し指で眉間を押さえている。
「不可抗力です」
「正当防衛です」
「悪いのはあのチャラ男よ」
三連続で抗議の声を上げる二人と一匹。
それに溜め息を吐く担任教諭。
「何か凄い音がしていましたが――おや?」
そう陽気な雰囲気で現れたのは、何とも意外な二人組だった。
驚いた事に、八阿木怜心と陸瀬優季だった。やはりあの二人は、顔見知りのようだ。腕とか組んじゃってるし。
それにしても、怜心と優季の後ろで黒々としたオーラを放つ黒いセーラー服姿の少女は誰なのだろうか?
「レイさん! お久し振りです!」
「おや、サクラちゃん! これはこれはお久し振りですね!」