一話:新学年
《コラム26》
学園に於いて、上級生に喧嘩を売る事は自殺行為だ。
人工的に『闇石』を移植された『闇石使い』である雨田音嗣は、『闇者』と契約して『闇石』を手に入れたわけではない為、契約『闇者』などはいない。それ故、『闇具』の展開が出来ない。
しかし、『闇石使い』である限りは、どうあっても専門学校に通って貰う必要があるのだと、政府からお達しがあった。
そう言うわけで、雨田音嗣は『オブスクラム学園』高等部一年に入学することが決まった。
今まで学校と名の付く所は知識として知っているだけで、通った事は無かったのだが、縷々井藍那が入学を快諾してくれたからには、行かない分けにはいかなくなった。
そして入学当日。
支給された藍色のブレザーとスカートを身に纏い、音嗣は『オブスクラム学園』の敷地へ足を踏み入れた。
広大な敷地、巨大な校舎、それに不釣り合いな生徒の人数。入学式というのに、案内された会場には新入生が異様に少なかった。
それもそうか。『闇石使い』はなりたいと言ってなれるものではない。『闇者』との契約を経て、尚且つ『闇石』を支配下に置けるだけの技術力があってこそ『闇石使い』となれるのだ。
故に、その数が少なくても何ら不思議ではない。
会場に入って束の間、音嗣は何処へ座ろうか迷っていた。
予め並べられたパイプ椅子は、真ん中の前列が初等部、中間が中等部、そして後方が高等部となっているようだ。サイドに並べられた椅子には、学園関係者と在校生の生徒会等が座るようになっているらしい。
何と無く前方に行くのは嫌だな、と思った音嗣は最後尾から二列目辺りの席へ腰を下ろすことに決めた。
式が始まるには、まだ時間があった。
それまで手持ち無沙汰なので、案内役の生徒から手渡されたパンフレットに目を通す事にした。
パンフレットには学園創設からの沿革やら理事長の紹介やら、学園について知っておくべき基礎知識のほとんどが簡略に記載されていた。
それによると学園自体が創設されたのは、何と平成に入って直ぐの事らしく、意外と年若い。今年で創立二十七年という事か。
創立から今日まで、日本の警察機関や軍事機関とは親密で、卒業生のほとんどはそちらへ就職するようだ。特に高等部から成績優秀者は、『闇舞蛇の欠片』との戦闘を許されるようになる為、そこでアピールをしておけば卒業後の処遇は安泰だとも書かれている。
何にせよ、経歴があれな音嗣では政府関係の職には就けそうに無いが。
「あの、隣いい?」
不意に掛けられた声にパンフレットから顔を上げると、自信無げに申し訳なさそうな表情をした少女が傍に立っていた。
黒髪をポニーテールにした活発そうな藍色の瞳に丸い顔立ちが可愛らしく、小動物のような印象を受けた。
周囲を一瞥すると、いつの間に集まったのか、既に席のほとんどに生徒が着いていた。そこまで集中して読んでいたつもりは無いのだが、そこまで集中して読んでいたようだ。
「あぁ、構わないよ」
「あ、ありがとう。私、今年から学園に入学になった五月女桜っていうの。サクラって呼んでね」
「奇遇だね。僕も今年からなんだ。名前は雨田音嗣。オトツグって呼んでくれていいよ」
五月女桜と名乗る少女は、引っ込み思案かと思いきや意外と積極性のある娘のようだった。
恐らく、音嗣があまりに集中してパンフレットに入り込んでいたため、他の生徒は声を掛け辛かったようだ。
「あら、サクラ、良かったわね? 入学当日にお友達が出来て」
全く予期せぬ第三の声に辺りを窺うが、誰もこちらへ話し掛けた様子はなかった。すると「こちらですよ」と、淑女のような声が桜のブレザーのポケットから聞こえてきた。
そちらへ目を向けると、もぞもぞと何かが動き、かと思えば、ひょこっと可愛らしいモモンガが顔を覗かせた。
「あ、ジャスミン起きてたんだ。紹介するね、私と契約している闇者の、ジャスミン」
ジャスミンという『闇者』は、モモンガながら礼儀正しく「ジャスミンよ。以後お見知りおきを」と、桜の手の上でお辞儀をした。
「そう言えば、貴女の闇者は? 昼間は眠っているの?」
「いや、僕に闇者は居ないんだ」
正直に答えると、桜は気まずそうに「ご、ごめん」と謝罪の言葉を述べた。
一体、何に謝られたのか、音嗣には分からなかった。だから取り敢えず、「気にしないで」と言っておいた。
「お二人とも、お喋りはその辺りで。そろそろ式が始まるみたいよ?」
ジャスミンに促された二人は、共に司会の方へ目を向けた。
「部下? 私にですか?」
久々に連合日本軍第16独立特殊部隊『ロイヤル・ロード』の司令の呼び出しに応じて『オブスクラム学園』の屋上に赴いた八阿木怜心は、手摺に凭れ一服するキャリアウーマン然とした瑞原雫少佐から、部下を持つよう命じられたのだった。
「報告書は読ませて貰った。どうやら厄介な輩に命を狙われたそうだな? 何でも、闇舞蛇の欠片を使役する影のような人間とも闇者とも付かぬ奴とか」
「はぁ、まぁ、そうですけども、欠片はちゃんと始末しましたよ?」
「そのようだな。全く後れを取ることなく、的確に葬ったと書かれていた。そこに疑いがあるわけでは無い。ただ私が問題としているのは、戦闘後だ。貴様は魔力の大規模解放に体力を使いきり、昏倒したそうだな?」
そう言えばそんなことあったな、と他人事のように理解する怜心。
あれは頭に血が上って、力の分配を失敗した故の醜態だ。傍に海猫が居てくれたお陰で、森で野宿という目に合わずに済んだ。恐らく、シルヴィアもクロエも力の解放の反動で、疲労困憊していただろうから、怜心を担いで退散とは行かなかったと思う。
「どんな事情があれ、やはり一人きりで欠片と連戦することは認める事は出来ん。上官としても、私個人としてもだ」
「しかし、私は――――」
「貴様の人間不信は重々心得ている。未だに私や神原隊長、ロイヤル・ロードの連中の事も信用していない事もな。その深刻さ故に、今まで貴様にはスタンドアローンであることを許してきた」
そう、怜心は重度の人間不信だ。
正直に言って、シルヴィアとクロエのバートリー姉妹の他に信用出来る人間、『闇者』が居ない。
海猫にしても、奴隷として従わせているが故に傍に置いているものの、十分信頼に足る人物とはまだ認識していない。彼女の処遇を考えれば隷族させる以外、彼女と触れ合える機会が断絶されてしまう為、仕方無く奴隷としているだけであって、本来であれば自分のテリトリーに他の人間が踏み入ると思っただけで落ち着かない。
極端な話が、自分以外の人間は全員、自分を陥れようとしているように思えて仕方がない。
一度、精神科医に通った事もあったが、自分の心の内を明かすという拷問に耐えきれなくなって数回で止めた。病室でマグナム弾をぶっぱなしたら、向こうから来ないでくれと言ってきた。
そんなわけで、所属部隊と言えど他の部隊員と組んで任務に当たった事は配属当初しかなく、ここ二年程はずっとバートリー姉妹としか仕事をしたことが無い。
その為ならば、他の隊員がやりたく無いような長期調査が必要な任務や、何処か分からない田舎町の宗教組織に潜入なんかもして見せた。
人格破綻者と、自分でも思っている。けど、治らないのだから仕方がない。
そんな人間が部下を持って、何をしろと言うのやら。怜心には瑞原司令の考えが全く理解出来なかった。
「ご理解頂いているなら、何で今さら部下なんて?」
「疑問は尤もだ。まぁ、私の話を聞け」
瑞原司令は新しい煙草に火を点け、昇り立つ紫煙を挟んで怜心を見据えた。
「私と神原は、貴様の成長を確信している。前回の降崔村の件では、初対面の探偵助手に背中を任せていたと聞く」
「そんなもの出任せですよ。正規の契約を結んでいない闇石使いなんて、端から当てになんてしていませんでした」
「が、結果的に貴様は最後までそいつと行動を共にした。その後も現場の指揮を執り、事後処理もきちんとやって除けた」
それこそ仕事故だし、ほとんど現場に任せっきりで何もしていなかった。
「更に貴様は、海猫とかいう女を奴隷にしたそうだな?」
「それは――」
「分かっている。彼女との時間を作る唯一の方法だったと言いたいのだろ? どんなに言い繕おうと、結果としては他人を受け入れているという事実に変わりは無い」
結果だけを見ればそうだ。
けど、過程は全く違う。信頼なんてしていないし、そこには興味と好奇心しか無い。つまり自己満足するために、一緒に居るに過ぎない。
「そこでだ、我々は考えた。貴様は興味を持った女ならば、部下にしても問題無いのではないか、とな」
「それはこじつけですよ……」
「そうか? 出会った当初の君は、喩え興味を持った女であろうと無かろうと、誰一人として近付かせようとしなかった。私らもこんなだが教育者だ。特に身近の生徒の成長を、見逃す筈が無いだろ?」
納得行かない。
高々、三年同じ部隊の上官を務めた程度で、何を分かりきった顔をしているのやら。思い上がりも大概にして貰いたい。
「それに、だ。今は私がお前を理解し、個人プレーを許してやっているが、将来的にはどうだ? 貴様も私も、いつまでも同じ部隊に居るわけでは無いだろう? 貴様は知らないだろうが、軍上層部では貴様の手腕を買っている連中も少なからず居るんだ。遅かれ早かれ、軍に居ようが居まいと部下を持つことになる。社会に出れば嫌でも他人と付き合わなければならんようにもなるしな」
「それはそうかも知れませんが、私にはシルヴィアとクロエが居れば十分であってですね……」
「いいか、これは命令だ。拒否権は無い。社外勉強だと思って、さっさと諦めてとっとと顔合わせしろ」
いつまでも了承しない怜心に苛立った瑞原司令は、書類を投げて寄越すと面倒臭そうに言い放った。
「一応、貴様の好みに合わせた女を選んでやっている。好きに調教するが良い」
「調教って、私にそんな趣味は……」
反論しながら資料に目を通していると、そこに列挙されている名前にハッと顔を上げて瑞原司令を見た。
司令はしたり顔で煙草を吹かしていた。
「何か多くありませんか?」
「たった二人だろう!?」
《告白》
「隊長か……スゲェ面倒だ……」
「あっ、レイさん!」
声を掛けられたのは、誰もいない閑静な廊下を歩いている時だった。
振り返ると、そこには陸瀬優季ことユキが大手を振って駆け寄って来ていた。いつもの和装とは違い、学園指定の制服姿だ。
「おや、陸瀬さん? 入学式ではありませんでした?」
「うん、けど、どうしても伝えたいことがあって……」
恥じらうように俯き頬を赤らめ両手の指を絡ませる様子は、とてもいじらしくて可愛らしい。
いつの間にか大人になってきているのか、と感慨に耽ってしまった。
「あの、私、レイさんのこと…………」
余程恥ずかしいのか、なかなか次の言葉が出ないユキ。怜心は辛抱強く待っていた。
待つこと数十秒。意を決したように顔を上げた彼女の顔は、耳まで真っ赤になっていた。不覚にもその顔に、ドキッとさせられてしまった。
「私、レイさんのこと…………!」
「は、はい、私の事を?」
「その、えっと、あの、“お兄ちゃん”って呼んで良いかな!?」