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闇に舞う蛇  作者: 梨乃 二朱
第四章:狩の時間
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一話:親愛なる兄の奇行

《コラム21》

 王道を名乗る部隊は個人プレーが多い。

 兄の様子が可笑しくなって来たのは、三日前の事だった。

 突然、何かに憑かれたように意味不明でキテレツ怪奇な紋様を部屋中に書き連ねて行き、どうやって発音しているのか分からない言葉を一晩中叫び続けた。

 言葉の中には、『闇の蛇』とか『深淵に舞う』とギリギリ聞き取れる日本語はあったが、大部分は意味不明だった。

 翌朝になると血走って隈の酷い寝不足の顔に、何とも言えない凄みのある表情を張り付けて家を出て行き、夕方頃になってから戻ってきた。その時には普段の彼に戻っており、「今朝は悪かったね」とだけ詫びて、他愛の無い会話をして寝床に着いた。


 それから数日が経つと、飼い猫の“レン”が何処かに居なくなった。もうかなりの高齢で、移動する事が少なくなったレンが、屋敷の高い塀を乗り越えて逃げたとは考え難い。けど、屋敷中の何処を捜しても、食事の時間が幾ら過ぎようと、猫の鳴き声一つ聞こえなかった。


 それを境に、兄の勤める病院の中で、患者が行方不明になる事件が相継いだ。

 行方不明者は決まって夜中に徘徊する癖のある患者だったが、精神疾患の有無は問わ無かった。先生や看護師に隠れて、夜中に喫煙の為に病室から出るような患者まで行方不明になる始末だ。

 患者の家族が病院へ説明を求めているところを鑑みるに、患者は自宅にも帰らず行方を眩ませたようだ。


 流石の病院側も事態を重く受け止めたようで、三人目の行方不明者が出たところで警察へ相談。捜索願いを家族に出させた。

 間も無くして数名の警官が病院を訪れて、関係者達に質問をしたり病室を見て回った。その甲斐虚しく、何の成果も上げられなかったようだと兄が言っていた。


 兄だが、あれ以来は狂気に陥る事が無く診察業務も通常通りに何の問題も無く行なっていた為、医者に診せる事も無く時間が過ぎた。

 部屋の紋様も、ある日覗いた時に壁紙を張り変えたのか綺麗に無くなっていた。


 兄の奇行は、疲労から来た一時的なものだったのだろう。

 そう言えば、ここ暫く夜勤でも無いのに朝に帰って来ることが多かった。何をしていたのかは知らないが、疲れていたのは間違い無さそうだ。


 それにしても兄の奇行が収まったのは良いが、一体病院で何が起こっているのだろうか?

 そして行方不明となった人達は、何処へ行ってしまったのだろうか?











 私の元に連合日本軍の捜査官が訪れたのは、警察へ通報してから一月過ぎた頃だった。

 その頃には被害者の数が二桁にも上り、マスコミも騒ぎ始め患者は他の病院へ移り始めた。しかし被害者は患者だけに留まらず、夜勤の看護師や警備員まで行方不明になっていた。

 捜査官は二人で、一人は黒いスーツ姿の二十代後半程の女性で、もう一人は濃緑色の詰襟軍服を身に纏った三十代程の男性だった。


「お忙しい所をすみません。私は連合日本軍第16独立特殊部隊『ロイヤル・ロード』の司令をしております。瑞原雫少佐です。こちらは部隊長の神原晋太郎大尉です」


 応接室でソファーに腰を下ろす二人は、私を認めると簡単に挨拶を済まし、早速本題へ入る。

 口を開いたのは瑞原少佐という女性で、内容は兄についてだった。

 兄が一度だけ起こした狂気について、知っている事を全て話すように命令された。そう、命令だった。厳しく威圧するような口調で、説明するよう指示を出したのだ。


 勿論、納得行く理由を問うた。すると返ってきた返答が、予想を遥かに上回るものだった。

 何とこの軍人共は、あろうことか兄が『闇舞蛇の欠片』に取り憑かれているというのだ。奇行はそのせいだと。


 有り得ない、と語調強く否定した。瑞原少佐は冷静な、けれども厳しく威圧するような口調のままで、「それを確かめる為に聞いているのです」と言うだけだった。

 私は不承不承ながら語った。兄になるべく不利にならぬよう、気を付けながら。


 一頻り話を聞くと、瑞原少佐は兄の居場所を問い掛けた。

 私は一般病棟の診察室ではないかと言うと、二人の軍人は足早に応接室を出ていった。


 私は嘘を吐いた。

 と言っても、ほとんど嘘とは捉えられない小さな嘘だ。

 兄が一般病棟の診察室で応診しているのは、本当の事だ。兄は小児科医で、連日小さな子供相手に見事なまでの診察をやって退けている。

 しかし、今は兄は休憩時間で、診察室には居ない筈だ。

 私は知っていた。軍人は実際に『闇舞蛇の欠片』に取り憑かれていようがいまいが、そんなことは関係無く兄を殺してしまう事を、ある患者から聞いたことがあった。


 私は時間を置いて応接室を出ると、急いで休憩室へ向かった。

 休憩室には数人の医者と看護師が見受けられたが、兄の姿は無かった。急患か何かに時間を取られ、まだ診察室に居るのかも知れない。すると兄の同僚の一人に、兄が一時帰宅した事を告げられた。


 私は急いで駐車場に向かうと、確かに兄の愛車が停まっていない事を確認した。私も車を走らせて自宅へ向かった。

 その間、何故、兄が突然帰宅したのか、少し考えてみた。

 忘れ物は有り得ない。兄は仕事を家に持ち込む事を嫌ったし、完璧主義の兄が忘れ物をするとも考え難い。

 両親に何かあったのなら、私の元にも何かしらの連絡が来る筈だ。両親から急に呼び出しがあるとすれば話は別だが、医者という仕事に敬意を示している両親が、仕事中に急用を言い付けるなら兄では無く私へ連絡を入れる筈だ。


 では、何故か?

 あの軍人が来たことが、何か関係あるのだろうか?

 だとすれば、軍にバレては不味いことに手を染めてしまったのか? 或いは、あの威圧的な瑞原少佐が言っていたように、兄は……

 私は拭い去れぬ疑惑を胸に抱いたまま、車を走らせた。











 家に着いた。

 兄の車が駐車場に停まっている事を確認して、私は幾らかほっとした。その隣には父の車もあった。今日は仕事の筈だが、途中で戻ってきていたようだ。

 やはり兄は、父か母に呼ばれたようだった。

 だとすれば、この場に私が乱入することは、些か阻まれる。兄にしか話せない大切な内容を、今この場で話し合っているのかも知れない。


 けど、兄の姿を見ずに病院へ戻るのは、何故か気が向かなかった。

 私は忘れ物をした事にして、一度家の中へ入って顔を確認しようと思った。


 私はいつものように、しかし努めて明るく家の中へ入った。

 声は無かった。

 誰の声も聞こえない。父も母も、兄の声でさえ全く聞こえない。不審に思い、声を掛けながらリビングへ向かい、いざ扉を開けて思わず悲鳴を上げた。


 そこは血の海だった。

 誰の血で染まっているのかは、最早判別のしょうが無かった。恐らくは父と母、それから兄のものであろう残骸がフローリングの上に散乱していて、私は恐怖と戦慄に気が触れたようにまた叫んだ。

 私の悲鳴よりも先に、玄関の戸が開く音で気付いていたのだろう。リビングには第三者の姿があり、それは顔に酷い傷を負った女性で、映画とかでしか見たことの無い小銃を両手で構えて佇んでいた。

 女性は私の姿を認めるや、「化け物め……!」と怒鳴り付け小銃の銃口を向けた。発砲音は無かった。恐らく消音機を着けていたようだ。

 しかし、驚いて腰が抜けた私の測頭部を掠めて過ぎた銃弾に、私の理性は音を立てて崩れ、必死に廊下を這うようにして玄関へ向かった。


 それから先は、明確な記憶は残っていない。

 どうやって逃げ切れたのか、気付けば私は山奥に立つ別荘に押し入り、ソファーに踞っていた。

 聞き親しんだ声に呼び掛けられるまで、私は何時間もそうしていたと思う。


 声を掛けたのは、驚くことに兄だった。

 兄はいつもと変わらず、優しげな眼差しを私にくれた。


 兄はワインボトルから赤い液体をグラスに注ぎ、落ち着くからと私にくれた。

 そしてベランダへ立ち、私を呼んだ。


 ベランダから見える風景は、鬱蒼とした森林だった。

 私はこの光景が昔から苦手で、幼い頃には恐れもしていた。けど、不思議と今は懐かしさと何とも言えない癒しを私にくれた。


「赦せ……」


 そう聞こえた。

 振り返ろうとした数瞬早く、後頭部に鋭い痛みが走った。激痛というには生易しい痛みは、一瞬だけ弾けて直ぐにあらゆる感覚を道連れに消え去った。











 

《欠片の特性》


 『闇舞蛇の欠片』は狡猾だ。

 奴等は時として人間と同等、もしくは人間よりも高度な知能をもって人間社会に潜伏し、秘かに力を蓄える事をする。

 故に身の回りで人間が神隠しにあったという噂が立った場合、身近な者が『闇舞蛇の欠片』に憑依されたと疑ってかかるべきだ。手遅れとなる前にその者を突き止め、脳幹を潰す事だ。

 注意すべきは奴等と交渉しようと思わないことだ。意志疎通など出来はしない。何故なら奴等は高度な知能を持つと言えど、人語を発することは決してないからだ。

 憑依された人間が身内であったとしても、手心など加えず確実に仕止めよ。


注釈) 奴等に憑依された人間を見分ける方法は、現場を押さえる以外に無い。






――――『オブスクラム学園付属図書館』の『特別閲覧室』に保管される表題の無い古びたノートより抜粋

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