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闇に舞う蛇  作者: 梨乃 二朱
第三章:シルヴィア・バートリーの憂鬱
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???:飛ぶ鳥を堕とす

《コラム20》

 人の命はワンコインで奪うことが出来る。

 目標は一人だった。

 資料によれば、青年は常に『闇者』を侍らせているとあったが、これでは拍子抜けもいいところだ。

 蝙蝠を名乗る青年は、毒を仕込んだ無針注射を対象の背中に押し当て、素早く打ち込んだ。意図も容易く、そして迅速に完了した暗殺。


 けど――――


「特A級の闇石使い相手に、神経毒が効くとお思いで?」


 青年は朗らかな笑みを浮かべ、蝙蝠を静かに見据えた。怜利な、男性にしてはやたらと高い音域で「それが闇者なら、なおのこと」と言って蝙蝠の腕を掴む。

 その手のか細さ、そして声の高さ。これが標的の青年では無いと気付いた時には既に遅かった。









 可笑しい。

 蝙蝠からの定時連絡の時間は、当に五分以上経過している。暗殺者として生真面目なまでの蝙蝠が、連絡を怠るなんて事はあり得ない。


 彼の身に何かがあった事は間違い無い。

 まさか、失敗した?

 では、どうするか?

 蝙蝠を捜しに行くか? それとも緊急時のマニュアルに基づき、早期撤退を取るか。


「HEY、彼女! 一人で何してるの?」


 突然、掛けられた陽気な声。

 瞬間、ズボンの間に挟んでいた『S&W シグマ』自動拳銃を抜き放ち、声がした方向へ二発の『9mm パラベラム弾』を撃ち込んだ。

 手応えは無かった。コンクリートの壁面に跳弾した音が耳朶を打つ。


 この場所に人が寄り付く事はあり得ない。

 ここは一週間前に『闇舞蛇の欠片』によって中破させられたビルのワンフロア。その破壊具合の複雑さに解体工事も改修工事もなかなか始まることが無く、故に人の出入りも無いので拠点として選んだ。

 このフロアより下の階に繋がる階段は完全に破壊されており、更には簡易的ながらも人避けの結界を張り巡らしたこの場所に、ただの人間が寄り付くなんて事はあり得てはならない。


 それだけに人の気配がすれば、十中八九、敵と見なして間違いで無い。

 こんな所までわざわざ足を運ぶ敵とあれば、拳銃程度で勝てるとは思え無いが。


「良い反応だ。反射神経も申し分無い。頭の切れも悪くない。おまけに美人だ」


 声は複雑に反射し、何処から発せられているのか分からない。直ぐ後ろからのようでも、遥か前方の壁際からのようにも聞こえる。

 ここは四方を壁に囲まれているとは言え、反響する程ではない。所々、崩れた箇所もある程だ。これは幻覚の魔術を行使しているのだろう。

 兎に角、攻撃方向を前方へ限定させるべく、ゆっくりと壁際へ後退する。


「お前は誰だ……!?」


「誰、とは随分な物言いだな? これから命を狙おうって奴の声くらい把握しとけよ」


 その言葉に、肚の深い所に氷を放り込まれたような感触を味わった。

 殺害対象に暗殺を感付かれただけでなく、拠点まで割り出された?

 そんなバカな、と信じられない心境ではあったが、信じないわけにはいかなかった。現にこうして、言葉を交わしているのだから。


「お前が俺を狙う理由に興味は無い。また、お前の雇い主についてもどうでもいい。――ただ、お前は違う」


 声は絶えず移動を続けている。

 歩いているわけでも走っているわけでもない。まるで瞬間移動をするかのように、次の言葉を紡ぐ時には全く別の方向から声が聞こえる。


「俺のモノにならないか? そう、隷族するんだ。あぁ、勘違いするなよ? 別に手腕とか技術とかに惚れ込んだわけじゃ無い。プロフェッショナルだという事は認めるがね。ただ、その見た目が実に俺好みだ。人格が外見に出ている。素晴らしく、美しい」


 誉められている気がしない。が、どうしてか心が掻き乱される。

 喜んでいる、のか?

 何で嬉しい? 何が嬉しい?

 どうして嬉しい?


「実に美しい。その傷の一つ一つが、実に魅力的だ」


「何を……?」


 声は聴覚だけでなく、全身の毛穴からから直接身体に染み込んで来る。

 発熱、発汗、気分の高揚。そしてこれは、性的興奮?


 何が起こっているのか分からない。いや、考えられない。

 全てが曖昧になる。夜の肌寒さも、半壊したビルの中に漂う粉塵の臭いも、両手で握り締めるポリカーボネート素材のグリップの感触も。


 ただ青年の声だけが鼓膜を震わせ、それが体の奥底にある芯を揺さぶる。それ以外のあらゆる刺激に対して、身体が異常なほど鈍感になる。

 知らず背後に立っていた青年の指先が、カッターシャツのボタンを外し始めた事にも無抵抗なままだった。


【俺のモノになれ――】


 今や耳元で囁かれる声に、抗う術は無い。抗う必要が無いから。

 敵を前にして武器を手放し、声に体を委ねる。


【隷族しろ――】


 声は簡単に理性という堅牢な壁を融解させ、無防備な心の中へ染み渡る。

 指先がカッターシャツを脱がせ、ベルトを外してズボンを足首までずり下げた。


【そう、抗う事をやめろ――】


 体が異様な熱を帯びていても既に感じる事はなかった。息が荒く、心臓の脈打つ音が全身に響いても歯牙にも掛けない。

 下着を外され、僅かに残った理性が気付いた頃には身に付けている物は、強化レンズのはめられた眼鏡だけになっていた。


 十年も昔、『尋常ならざる仔』に蹂躙され傷だらけとなり、今もその跡を色濃く残す体を、裸を、殺す筈だった青年に見詰められ、触れられ、弄ばれている。

 あれほど裸体を晒す事を嫌っていたというのに、いざ裸になってからは気にもならなかった。“美しい”と言ってくれたから。

 ただ少しの羞恥はあったが、それは初めて誰かに見られる裸体が汚れている事に対してのものだった。今日はまだシャワーを浴びておらず、昼間に流れ出た汗がそのままになっている。


【最後に問おう。俺のモノになるか――?】


 その問い掛けに、何の迷いもなく首を縦に振り掠れた声で了承の意を伝えた。

 それを境に、海猫は完全に八阿木怜心のモノへと堕ちたのだった。











 クロエ・バートリーは変装、いや変身を解き、いつものダークバイオレットのポニーテールに骸面の少女の姿に戻ると、捕らえて気絶させた男を軍関係者を名乗る連中に引き渡して、急いで主たる八阿木怜心の元へ駆けた。因みに男と契約していたらしい『闇者』は、自らに危険が及ぶと見るや直ぐ様『異界』へと逃げ去ってしまった。追う必要性は無いだろう。

 囮を使うという作戦は、参謀役で妹のシルヴィア・バートリーの発案だった。


 怜心が何者かに命を狙われている事に気付いたのは、三日も前の話だ。明らかにこちらの動向を監視する気配を感じたクロエは、逸速く彼へ報告した。

 どんな人間がこちらを監視しているのか、それを確かめたいと言った彼に隠し撮りした写真を手渡した。三十代前半の男が一人と二十代前半の女が一人。

 隠し撮りは馴れたものだ。特に彼を狙うことに集中するあまりクロエへの注意が疎かなだけあって、拠点の捜索や敵戦力の分析にはさほどの苦労は無かった。が、流石プロだけあって、普通の人間ならかなり手間取っていただろう。

 相手は『闇石使い』のようだったが、こちらは変幻自在の『闇者』だ。目眩まし等はお手の物。


 直ぐにでも対処に掛かろうと発案したクロエだが、彼が待ったをかけた。

 暗殺者の女を見た彼の目の色が、獲物を捕捉した時のモノへと変わっていた。一目惚れしたのだと、直ぐに分かった。


 彼は女好きだ。

 それも、特殊な女に異様なまでに興味を持つ。クロエ、シルヴィアのバートリー姉妹に陸瀬優季、あの雨田音嗣なる男装少女もかなり特殊だった為に気に入ったのだろう。他にも例を上げれば切りがない。


 そして今回は、身体中に傷跡を残した暗殺者の美女だ。黒髪ロングの眼鏡を掛けた理知的な印象を受ける女性。顔の左半分に爪で抉られたような傷跡があり、身体にもその類いの傷があることは服の上からでも予想出来た。

 胸は大きく、体格は鍛え上げられ背も高い。


 彼はこの女をどうしても欲しがった。

 何故か? それは彼にしか分からない。

 それには男が邪魔だとシルヴィアが言った。我が妹は愚鈍なまでに主に忠実で、それが裏目に出ていることを気付いていながらやめられない。愚かだとは多少思う。


 そして男を引き離すには、暗殺を実行させる必要があった。確率的には傷が目立つ女よりも、男の方が仕掛けてくるとも妹は言い当てた。

 その為に、クロエが怜心に化けるという作戦が立てられた。『闇者』は好きに容姿を変更する事が出来る。そして変身はクロエの十八番であって、喩え一流の暗殺者であろうと騙せる自信は十二分にあった。

 そして実際、暗殺者は騙され容易く生け捕りにすることが出来た。


 後は我が主が女暗殺者を堕とす事が出来れば、作戦は成功だ。個人的には失敗に終わり投獄する結果の方が好ましかった。

 正直に言うと、これ以上のライバルは嬉しくない。今でこそ多少は優位な位置に立てているクロエだが、彼と正式な契約を結んでいるのはシルヴィアである限り、越えられない壁がある。他の女にしても、もしも彼の理想に理解を示す者が現れたりした場合、立場が揺らぎ兼ねない。


 彼を想うなら成功を、自分の立場を想うなら失敗を望む。

 どちらに転んで欲しいかと問われれば、勿論後者だ。

 しかし、彼は失敗等はしない。必ず成功を納める。

 そう言う人だ。だからこそ、クロエは彼に仕えている。


 そして予想通り、彼は女暗殺者を手中に納めた。

 それは半壊したビルの入り口付近で浮かない顔をしたシルヴィアを見れば、一目瞭然だった。

 今ごろ彼は、成功の証として契約の烙印を女の体に刻んでいる筈だ。人間相手の場合は手作業でせねばなるぬ事を、彼は面倒臭いと嘆いていた。

 今暫く時間が掛かるだろう。


 クロエは見るからに不憫に思う実妹の傍らに肩を並べて立つと、その頭をそっと撫でてやった。

 シルヴィアは力無げに笑むだけだった。











 

《誤報》


 第16独立特殊部隊『ロイヤル・ロード』の『アストレイ』、八阿木怜心には近付く無かれ。

 奴は容赦を知らない。

 敵と知るや、その生命が尽きるまでなぶられ、蹂躙される。

 そして女と知るや、死ぬまで強姦され続ける事となる。


 故に近付くな。

 手を出すな。

 子供と思って侮るな。

 死にたくなければ、その死さえ蔑まれたくなければ、敵に回すな。





「ってな感じで、警戒してたんだけど……」


「誰がそんな噂を!?」


「あら、違うのかしら?」


「いやまぁ、敵に対して容赦はしないけど、女の人をレイプするようなマネはしないからね?」

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