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闇に舞う蛇  作者: 梨乃 二朱
第三章:シルヴィア・バートリーの憂鬱
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???:ある少女の人生

《コラム19》

 世界で一番武器を持っているのは、罪無き一般市民である。

 この日、少女は全てを失った。

 父の話によると、少女は難産だったそうだ。母は少女を産んだ時、命を落としたと聞いている。

 だから、少女は母の顔を知らない。産まれた時に死んだ人の顔なんか、覚えているなんて普通は無い。けど、それを寂しいと思うことはあっても、悲しいと思うことは無かった。

 少女には、何よりも誰よりも自分を愛してくれる父が居た。

 十四年の歳月を父と過ごした少女にとって、父は父親でありながらも母親でもあった。父親としての役割を十全に果たしてくれながら、母親としての役割も十分過ぎるほど果たしてくれていたのだ。


 少女は父を愛していた。

 心から、たった一人の家族を敬愛していた。

 しかし、運命は時に残酷な事実を人に突き付ける。


 ある日、少女は部活の帰りに友人の家に寄り、そこで夕食を戴いた。平日はいつも冷凍食品であった少女には、家庭的なご飯は暖か過ぎた。

 父が迎えに来てくれるまでの間、少女は友人と遊んでいた。

 やがて少女の父が訪れ、少女は友人に別れを告げると、大好きな父と共に帰路へ着いた。


 外灯も疎らな住宅地の夜道は、少し恐ろしかったが父が手を繋いで歩いてくれていたから、恐怖は次第に和らいで行った。

 父娘は住宅地を抜けて、繁華街に入った。友人の家と少女の家とは、繁華街を挟んで真逆の方向にあったのだ。


 そこで、少女は最愛の父を亡くした。

 それは一瞬の出来事だった。いつもはまだ賑やかな繁華街だが、この日は悲鳴と怒声の入り雑じった阿鼻叫喚の渦中と化していた。

 その原因が何なのか、少女には知る由も無かった。


 突然、いつも優しい父が少女の体を突き飛ばした。

 少女は路地まで飛ばされ、一体何事かと考える暇さえ無く、父の最後の姿を目の当たりにしてしまった。


 数本のおぞましい色をした蛇のような、また蛸か烏賊の足のような物に捕縛された父は、最後の力を振り絞って少女に逃げるよう促した。

 父はそれを最後に、ビルの陰へ引き込まれて消えた。


 少女はあまりに現実離れした出来事に、その場に立ち尽くした。

 路地の狭い通路に突っ立ったまま、どれくらい経っただろうか。父が消えた方向から、足音が聞こえてきた。

 父が帰ってきたのか、と一瞬は思った。けど、直ぐに違うと理解した。現れたのは、全身を何かの粘液で濡らした土色の肌に青い鉱石を嵌め込んだ悲しい瞳の人間の姿を模した怪物だった。

 それは一体だけでなく、二体、三体と少女の前に立ち塞がった。


 思わず後ずさるが、一歩下がった先に何かに背中をぶつけた。

 恐る恐る振り返ると、そこに四体目の怪物が立っていた。


 最早、絶望に悲鳴すら固まった少女は、ただ恐怖に全身の筋肉が弛緩してその場に座り込んだ。

 そんな少女を嘲笑うかのように、人に似た怪物、『尋常ならざる仔』は異様に伸びた鋭利な爪と牙を、その矮小虚弱な体へと迫る。


「た、すけて……お父さん!」


 声は路地に木霊し、化物達の嘲笑に圧し潰されて消えた。

 服を切り裂く音、肉を貪る音、血を啜る音、そして少女の喘ぎ苦しむ声は街道に戦う少年少女達の耳には遂に届かなかった。









 青年の耳には、その僅かな懇願の声が届いていた。

 声を聞き届けたのは、全くの偶然だった。騒ぎをを聞き付け戻って来たとき、偶然届いたのが少女の声だった。

 少女とは顔見知りでも何でも無い。数分前に通りすがった時に、何と無く見掛けた父娘が少女だっただけだ。

 ただの通りすがりで、仲睦まじい二人の父娘を見掛けた青年は、何を思ったのかその行く末に幸あれとだけ願い通り過ぎた。それも束の間、そんな細やかな願望さえも叶えられないという現実に直面した。


 その日、街中で強盗にあった男性が居た。

 その男性には、『闇舞蛇の欠片』が宿っていた。欠片は数日も前から、男性の恐怖心を貪り喰らい、現界の機を静かに狙っていた。そして強盗によりナイフで脅された事を切っ掛けに、欠片は現世へ出るだけの力を得た。日常生活では感じる事の無い恐怖は、奴等にとっては極上の餌となり得たのだ。

 そして『闇舞蛇の欠片』として異形の怪物と成り果てた男性は、強盗を含めその場を通り掛かった通行人、近くの店舗で買い物をしていた客、働いていた店員等の人間を瞬く間に捕食。

 それらを『尋常ならざる仔』として産み落とした。


 青年がそれに気付き戻った時には、既に街中は阿鼻叫喚の地獄絵図と変わっていた。

 そして父娘の父親は既に欠片の餌食となり、その娘さえも欠片の仔等に襲われつつある。


 青年は迷わなかった。

 元々は正面切っての戦闘を不得手とするだけに、使用する『闇具』は狙撃に特化した形となった。中距離から遠距離にて効果を発揮する“魔弓”がそれだ。


 向かいのビルに足場を固めた青年は、数本の矢を右手に出現せしめ、無抵抗な少女に群がる浅ましき怪物どもに向け放った。

 狙いを付ける必要は無い。

 矢は青年が目標と定めた的へ、空中で軌道修正を行い殺到した。

 百発百中の弓術。それが『闇石使い』の青年が唯一得意とする戦法であった。


 怪物はほふった。

 しかし、既に何度も蹂躙を受けた少女の体は、傷だらけで所々には骨まで見える重傷を負っていた。

 青年は少女の体へ治癒の魔術を施し存命処置をすると、少女を担いで急ぎ懇意にしている闇医の元へ駆け込んだ。


 少女は何とか一命をとりとめ、行く宛が無いということで青年の助手として、これから十年という時間を共に過ごすこととなった。












 『海猫』の前に、一葉の写真と一束の書類が置かれた。

 そこに写るのは、少年期から青年期へ成長したばかりの一人の『闇石使い』だった。

 日本人らしい黒髪とダークブラウンの瞳の持ち主で、着ている服の落ち着いたファッションからも温和で優しげな好青年といった印象を受ける。けれど容姿は、何処にでもいる凡庸な一般学生といった特別印象に残る部分は無かった。


 次に資料を捲ってみて、海猫は驚いた。

 青年は、極東随一の『闇石使い』専門学校たる『オブスクラム学園』において、学園五位の実力を誇るという。更には連合日本軍の第16独立特殊部隊『ロイヤル・ロード』に所属しているようだ。

 脅威レベルは“AAA”相当と今まで相手にしてきた対象の中でも飛び抜けて危険で、恐らくは現在の海猫では相対することは難しいだろう。備考欄に『女性の接触は避けよ』との趣旨が書かれている事が気になった。

 だが、どんな相手だろうと尊敬する師であり頼れる相棒たる青年ならば、話しは別だ。


 この頃には、少女は既に成人し立派な女性へと成長を遂げていた。

 少女だった頃、偶然にも命を助けてくれた青年は、自らを『蝙蝠』と名乗り、同時に“アサシン(暗殺者)”とも名乗った。


 最愛の父を無くし行く宛の無くなった少女は、蝙蝠に頼み込み、不承不承といった具合に弟子として傍に置いて貰った。

 ただ青年を拠り所としたかったのだ。


 蝙蝠は凄腕のアサシンだった。

 素人目から見ても、それは間違い無い。こと日本において、法執行機関の目を誤魔化すのは至難の業と、昔に父が語っていた事を思い返すに、蝙蝠の手腕の狡猾さに何度となく目を見張った。


 蝙蝠は様々な組織を渡り歩き、時には元は自分の雇い主だった相手ですら容赦なく手にかけ、更には暗殺対象たるターゲットに法外な値段で寝返るよう促されれば何の迷いも無く寝返る事から、そう呼ばれるようになったそうだ。

 蝙蝠の暗殺方法は、実に静かなものだった。爆破もしなければ狙撃もしない。主には事故死に見せ掛けた殺人で、あらゆる思考を凝らして実行される。

 例えば泥酔した状態での入浴により溺死。

 例えば駅構内から誤って線路内に転落。

 それら全てを、何の痕跡も無くやって見せる。


 海猫は弟子として、その諸行の一つ一つを直ぐ傍で見てきた。そして学んできた。

 意外な事だが、海猫にはそっちの方面に才能があった。

 その業の吸収速度は師匠たる蝙蝠も舌を巻くほどであり、瞬く間に相棒として遜色無い程の実力を身に付けた。

 そして、何人もの人間を殺してきた。


 殺害対象について、特別に思うことは無かった。

 家族や恋人がいるとか、どうして殺される必要があるのかとか、殺した結果どうなるのか何てことは、ほんの少しも考慮に入れなかった。

 ただ作業として、殺してきた。


 今回の依頼も、いつもと同じだ。

 対象は珍しくも未成年の子供だが、そんな事に関係は無い。どうして殺す必要があるのかも気にもならない。

 やるべきことは、確実にやって退けよう。











 

《特記事項》


 第16独立特殊部隊『ロイヤル・ロード』の『アストレイ』、八阿木怜心には近付く無かれ。

 奴は容赦を知らない。

 敵と知るや、その生命が尽きるまでなぶられ、蹂躙される。

 そして女と知るや、死ぬまで強姦され続ける事となる。


 故に近付くな。

 手を出すな。

 子供と思って侮るな。

 死にたくなければ、その死さえ蔑まれたくなければ、敵に回すな。

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