Sylvia's report:1
《幕間コラム》
バートリー姉妹は同じ人を好きになってしまった。
シルヴィア・バートリーは書類纏めに勤しんでいた。
明日から新学期の始まるまで、契約者である『闇石使い』八阿木怜心は休暇に入る為、その前にやれる事はやっておこうと思っての事だ。
シルヴィアはどちらかと言えば、後方でサポートすることが多く、こういった書類仕事もその一つだ。
世間では勘違いされがちだが、『闇者』は全員が戦闘向きではない。人間と同じように、向き不向きがある。シルヴィアは事務向きなのだ。
そんなわけで、夜も更ける頃、一人でノートパソコンのキーボードを叩いている。
今日中に纏めたい内容は、『闇者』『闇石』『闇石使い』『闇舞蛇』『闇舞蛇の欠片』についてだ。
基本的な事だが、基本的な事だからこそ、これらについて纏めることによって怜心の仕事の手助けになるだろう。
「さて、じゃあ先ずは、闇石について――――」
『闇石』
現代の地球上には存在しない、太古に失われた霊石。
『闇者』との契約の際、“証”として人間の眼球に埋め込まれる。本来は鉱石だが、人間の体内に取り込まれた時点で眼球と同じゼラチン質の物体となる。
『闇石』の扱いには細心の注意が必要であり、使用者に“底無しの魔力”と“高度な情報処理能力”を付与すると共に、個別の『アビリティ』を授ける。が、その反面、脳や肉体への負荷が激しい為、例によっては精神向上効果のある劇薬よりも危険な代物である。場合によっては暴走し、おぞましい化け物としてしまう事もある。
その為、『闇石使い』は常に心身の精進を行う必要がある。今一つ明確な根拠は無いが、女性の方が適合率が高いという。
『闇石使い』
『闇者』との契約により『闇石』を眼球に埋め込まれた人間の総称。
底知れぬ魔力と高度な情報処理能力により、常人を凌駕した肉体と頭脳を持つ。
基本的に『闇石使い』には魔法や魔術を学ぶ人間が多く、その理由は『闇石』の扱いには魔力の扱いも含まれているからだ。魔力を完全に制御することは、『闇石』を完璧に制御することと同じと言われている。
『闇石使い』には『アビリティ』と呼ばれる能力があり、それは個人によって違いが出る。世間一般に知られる“超能力”がこれに当たる。
『闇者』
一言で言えば古代人。
現代の人類が誕生するより以前に、この地球に生命を育んでいた。しかし、ある時、“光の洪水”と呼ばれる現象が起き、古代人は例外無くその肉体を焼失させ、精神だけの存在となって『異界』に渡った。
現代の人類とは協力関係にあり、『闇石』という霊石を契約の証として人間に力を与えている。
光に耐性が無いため、こちら側の世界で活動する際は、“依り代”となる“心の無い器”に自身の精神を憑依させる。時に怪異的な姿で現界することもあるが、基本的には人間体か『闇具』の姿を取る。
人間の姿は、生前の姿と同じであることが多い。
『闇具』
『闇石使い』と『闇者』との絆が深まることにより、『闇者』が魔力で形成された武具となった形態の事。
『闇石使い』の戦闘法や性格、体格等のあらゆる面を考慮し、『闇者』が最適な形を取る。故に武器以外の形にも成り得る。
その性能は既存のあらゆる武器、兵器を凌駕し『闇舞蛇の欠片』に対して有効打を打ち込める人間単位で扱える唯一無二の武器となる。
魔力で形成されている故に、日光に当たっても支障は無い。
『闇舞蛇』
『闇者』誕生よりも更に以前に、遥か彼方の星から地球に舞い降りた『旧支配者』の一柱。
他の邪神達が“星辰”の変化により眠りに着いた事により、地球の支配券を得た。
感情という概念が無く、ただ破壊することに快楽を覚える。その存在事態が悪逆であり、身動ぎする度に大地が裂け各地に地震を引き起こし、咆哮する度に疫病を撒き散らした。そして自身の老廃物は醜悪な怪物と成り、人々を襲った。
しかし、ある時、“光の洪水”が起こり、その身を焼失させた。が、しぶとくも神秘の力で『異界』を造り上げ、精神だけの存在となって生き延びた。
現在は決して覚めることのない深い眠りに着きながら、『闇舞蛇の欠片』と呼ばれる自身の片鱗を現世に送り、文明の壊滅を目論んで自身の復活の時を待っている。
『闇舞蛇の欠片』
絶対的な悪意『闇舞蛇』の老廃物から生まれた醜悪な怪物。
『闇舞蛇』には及ばぬが、人間が抗うにはあまりに強力な存在であるが故に、『闇石使い』が対応するようになっている。
現世に現界する際、『闇者』とは違い生きた人間に憑依し、その人間の“恐怖心”を喰らい姿を成す。
個体によって差があり、人間のように知能の高い個体も居れば、恐ろしく巨大な個体も存在する。
『尋常ならざる仔』
『闇舞蛇の欠片』から産まれ落ちた人間の肉塊。
人間だった頃の想いが爆発した時、捕食した人間の肉を使い元の人間だった頃の形を成して人間を襲う化け物となる。性能、耐久性能は人間と大差は無いが、一度に産まれる数は捕食した人間によるので侮れない。
「――こんな所かな。あんまりダラダラ書いたら、あの人、退屈しちゃうし」
シルヴィアはデータの保存をすると、静かにパソコンを閉じた。
グッと大きく体を伸ばすと、凝り固まった肩や背中がバキバキと音を立てた。
そう言えば、と台所に立ち冷蔵庫を開けてみた。昼間、あの人と姉が一緒に食べてくれればと思って買っておいたケーキが二つ、手付かずのままあり、小さく溜め息を吐いた。
食事を必要としない『闇者』だが、生前の癖で食欲が出てしまうクロエは、驚くほどよく食べる。そしてあの人と一緒に食事をする時が、一番幸せそうなのだ。
二人で仲良く食べてくれたら、と思っていたのだが、気付いてくれなかったようだ。
「まだ起きていたのか?」
不意に掛けられた声に、シルヴィアは心底驚いた。
振り返ると、クロエが眠たそうな眼を擦りながら立っていた。
「ちょっと纏めたい書類があって……。レイは?」
「ん、ちょっと寝付きが悪そうだったが、抱き締めてやったらコロッと眠った」
「そうなんだ。あ、コーヒーでも、どう?」
シルヴィアはインスタントコーヒーの容器を手に取る。
抱き締めてやったら、か。
そんな大胆さが無いシルヴィアには、到底できる芸当ではない。正直、何の気なしに添い寝をやって退ける姉が羨ましくて仕方がない。
「コーヒーも良いけど、何か食べるものは無いのか? 小腹が空いた」
そう言って冷蔵庫を探るクロエは、ケーキの箱を発見した。
「このケーキ、シルヴィアが買ったのか?」
「え? あ、うん……。レイと一緒に食べてくれたらな、って思って……」
申し訳なさそうに語るシルヴィアの言葉に、じっとケーキの箱を眺めていたクロエだが、不意に「シルヴィア、一緒に食べようか」と口を開いた。
「え?」
「たまには良いだろう? それに一人で食べるより、誰かと食べた方が美味しい」
「で、でも、それはお姉ちゃんとレイが一緒に――――」
「そんな気を使うな。奴隷である私とは違い、正式に契約している貴女はもっと甘えるべきだ」
そう朗らかに微笑むクロエに、シルヴィアは「分かった」と言って苦笑を返した。
この人には敵わない。『闇者』としても、女としても。
けど、姉は気付いていない。
ケーキを二人の為に買った、本当の意味を。そこに隠された自分でもどうかと思う程、計算尽くされた思惑を。
「おっ、チョコレートケーキ」
そんなシルヴィアの自己嫌悪なんて露知らず、ケーキの箱を覗き見て嬉しそうに声をあげるクロエ。
胸中で謝罪しながら、コーヒーを淹れるシルヴィアだった。
《乙女の恋》
イケないこととは分かっていた。
資格が無いことも重々承知の上だ。
釣り合わない事なんて一目瞭然だから。
それでも、抑えきれない想いはやがて溢れ返り、シルヴィアの理性を容易く溶解させた。
甘い毒は心の奥底に燻る恋心を刺激し、偏執的に彼女を駆り立てる。
「ダメなのは分かってる……。けど、何で私を見てくれないの……?」
すやすやとまるで幼少期に戻ったかのように、安らかに眠る怜心。
その素直な寝顔を見ている内に、無意識の内に唇を近付け、そっと重ね合わせてしまった。少しかさついた感触は、いつかと同じく一人の乙女を自己嫌悪に追いやったのだった。