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闇に舞う蛇  作者: 梨乃 二朱
第二章:禁忌の実験
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九話:氷の芸術

《コラム14》

 レイは基本甘党だが、辛い物もそこそこいける。

 暗闇の床に薬莢が転ぶ。

 計六発。

 怜心の回転式拳銃に合わせ、六発だけ撃った。


 隣でも薬莢が落ちる音がする。彼が独自カスタムしたという『コルト・パイソン』の回転式弾倉に、『.357マグナム弾』をリロードする音だ。

 一発一発込めている事から、スピードローターは使っていないようだ。


 音嗣はというと、今までとは気色の違う状況に、喉はカラカラで額には汗を流し、肩の傷がズキズキと痛み始めている。

 恐怖に体が異変を来しているのだろう。

 こんな恐怖、今までは感じたことが無い。


「まだ動かないで下さいね。好奇心は時に身を滅ぼしますよ」


 音嗣の心を読み解くように、棚から動こうとするのを制止した。別に好奇心というわけではない。ただ仕止めたという事実を、この目で確かめたかっただけだった。

 ギチギチ、ガチガチという音は、もう止んでいる。耳の痛くなるような静寂の中、彼が身動ぎする気配だけが聴覚を刺激する。


 ここに来て、彼が冷静であることを、まざまざと知らしめられる。それが有り難くもあり、空恐ろしくもあった。冷静過ぎたのだ。

 リロードを終えた彼は、棚から移動し、穴へ近付こうと歩みを進めるが、不意に「危険迫る、頭上注意!」と声を張り上げた。


 次の瞬間、天井が崩れ何か得体の知れぬ生物が落ちてきた。

 敢えて例えるならば、それは醜悪な“クワガタ虫”だろう。しかし、クワガタの進化体系には決して属さない姿をしている。


 (クワ)のように前方に突き出た牙はクワガタを連想させるが、その口中は哺乳動物のように歯もあれば舌も見える。更に眼球は常に見開かれ、体を覆うぬらぬらとテカる粘膜が乾燥を防ぐ役目を果たしている。

 体というのが甲虫のように殼に覆われたようで、とんでもなく巨大だ。全長で二メートル強はありそうだ。その背中から割れるように開かれた吐き気を催すような色の半透明の羽根を無意に高速で羽ばたかせている姿には、どうにも嫌悪以外の感情を抱かせない。

 そして体から伸びる足が、蹄を持ち山羊か羊のような形をしている。しかも、何か藻のような繊維が絡み付いている。


 束の間、そのおぞましくも嫌悪するしかない生物と対峙していた音嗣だが、「ファイアだよっ」と間抜けな声に我を取り戻し、連続してトリガーを弾いた。

 ここでとんだ失敗を演じた。

 やはり今までに無い、ここまではっきりとした化け物を目前にして、焦っていたのだろう。銃弾の強化が不十分になっていた。


 連続して発射された『9mmパラベラム弾』は、甲虫の殼にめり込むのみに止まった。内部を殺傷するには及ばなかったのだ。

 僅かな威力不足。だが、その僅かなミスが、時に命取りとなる。


 改めて銃弾の強化を行うにも、軽いパニックに陥った思考が言うことを聞いてくれない。

 ただ夢中でトリガーを弾くしか出来なかった。


 甲虫はというと、ただ何もせずに見ているわけは無かった。こちらに殺傷するだけの力が無いと察するや否や、鼓膜を引き裂くような絶叫を上げ、牙を突き立て突進を繰り出した。

 音嗣にそれをかわすだけの余裕は無かった。

 ただトリガーを弾くだけで、回避すべきと頭で理解していながらも体が思うように動かない。


 喰われる、と瞼をぎゅっと閉じ合わせた刹那、甲虫の体が真っ二つに切断された。

 汚物のような鮮血を撒き散らしながら、左右対照に分かれる胴体。その先には、黒い刀身の長剣を構えた怜心が立っていた。


「焦ったら負けですよ?」


「ご、こめん。ありがとう……」


 優しく微笑む彼の表情は、この非常な場には酷く不相応なものだった。

 化け物が造り出した鮮血の上を、彼は何の躊躇いもなく踏みつけこちらに近寄って来る。そして音嗣から『MP5』を取り上げると、徐にマガジンを取り外した。


「誰かが巣を荒らしたようですね。それで私達に敵意を向けて来たのでしょう」


 マガジンを交換しながら、推論を語る怜心。

 「その根拠は」と問うと、「資料にそうありましたでしょ?」と不思議がられた。


「犯人が誰にせよ、迷惑極まりない行為です。とにかく、早急に撤退すべきでしょう」


 心底面倒くさそうに言ってサブマシンガンを音嗣へ返すと、怜心は壁に向かって長剣を一閃。壁はまるで爆破でもされたかのように、粉々に崩れ去った。


「撤退って、何処へ?」


「取り敢えず、屋上に行きましょうか。そこで迎えのヘリを待ちましょう。地中から出てくる輩に対して、地面に立っているのは些か宜しくありません」


「待ってくれ。僕の目標がまだ達成されていない!」


 目下、人質の救出が音嗣の目標だった。怜心に付き添っていれば、いずれ巡り会えると思って行動を共にしていたが、結局は何も出来ずに撤退だなんて納得出来ない。

 何かしらの説得があるものと予想していたが、彼はさも面倒と言わんばかりに溜め息を一つ吐くと「なら、この下に向かうべきでしょうね」と横穴を指差した。


「実に詰まらない。本当、実に詰まらない。――君の事は大体聞きに及んでいました。撤退と言ったところで、素直に聞かない事は、薄々分かってましたが、ここまで詰まらないとはね」


 ぼやく彼に「…………何で下だと?」と問う。

 すると、また溜め息を吐く。


「資料を読んだでしょう? この虫達は死体も食べる。死体を処理するには、持ってこいですからね」


 死体の処理、という言葉に、ずっと考えないでいた可能性を、眼前に突き付けられた気分になった。

 けど、そんな可能性を鵜呑みにするほど、諦めは良くないつもりだ。


「死んだかどうか、分からないじゃないか」


「そうでしょうか? これだけ秘匿性の高い組織です。用済みとなった人間を生かしておくような、優しい方々とは思えません。それでも捜しに行くというなら、止めはしません。――お供はしますよ? 先程も言いましたが、勝手に死なれては困りますから」


 この時、彼の口調に人を見下すような色が見えた。

 任務目標が達成された今、彼にこれ以上、こんな不気味極まりない場所に留まる理由が無いのだから仕方がない。ここからは別行動、と言ってやりたいところだが、正直に言って手持ちの兵器で乗り切れるとは到底思えなかった。

 嫌々ながら手を貸してくれると言って貰っているなら、それに甘えるしか無い。


「先頭は君が。後衛は私が。ぼさっとしてないで、状況開始ですよ」


「り、了解」


 苛立つ声音に追い立てられるように、音嗣は穴の中へ入った。












 横穴を潜り抜け、またあの真っ暗な螺旋階段へと戻ってきた。

 酷いアンモニア臭が立ち込める暗闇に、一瞬気が遠くなりかけた。意識を繋ぎ止める事が出来たのは、怜心のおかげだった。彼が不意に銃声を放ってくれたお陰で、一気に散漫しかけていた注意力が元に戻った。


 三発、続けて撃たれた『.357マグナム弾』は、壁のある一点に命中するや、そこから鼓膜が破れるような絶叫が闇に響いた。続いて液体の入った袋を地面に落としたような、嫌な音が階下に響く。

 彼にしか見えなかったようだが、そこにあの虫がいたようだ。


「手負いです。先程の、仕留め損なっていたようです」


 彼は手短に説明する。

 道理で穴の中に、何の死体も無かったわけだ。


「下のちっこいの、どっかに行っちゃった見たいですね?」


 言われて階下にライトを向けてみると、確かに先程の死体以外は何も無かった。

 あのところ狭しとせめぎあっていた『雛』達が消えるなんて、俄に信じがたいが、確かに消えているのだから信じる他に無い。


「何にせよ、これで下に行ける」


 音嗣は慎重に、階段を一段一段確実に降りていく。

 下に行く度、アンモニア臭のような刺激臭が強くなった来る。けど、先程よりは幾らかマシではあった。

 やがて階段が途切れると、思いの外、柔らかい地面に足が着いた。じゅくじゅくと水分を帯びた、ブーツ越しにも嫌な感触を与える地面だ。

 相変わらず、アンモニアのような刺激臭が立ち込めている。


「昔、誰かが言ってましたっけ。この地球は、動物や昆虫、引いては目には見えない微生物の排泄物で出来ている、と」


 後ろを歩く怜心が、そんな事を口にした。瞬間、何を言わんとしたのか、理解が及んだ。

 想像もしたくも無いが、恐らくはそれが真実だ。この地面、恐らくだが、『雛』達が出したであろう糞尿で出来ているのだ。長年、蓄積したであろう、『雛』達から排泄された死肉の山なのだ。


「怖じ気付く暇はありませんよ?」


「わ、分かっている。えっと、どっちに向かうべきだろうか?」


 音嗣はライトを左右に振る。

 今、音嗣達を挟むようにして、半円形の人工の穴がある。元は下水道か何かだったのかも知れない。


 思案すること数秒、不意に響いた鼓膜を破り兼ねない絶叫に、音嗣は体を強張らせた。

 傍らの怜心にアイコンタクトを送り、叫び声の聞こえた穴の方へ駆け出した。











 自然が造り上げた陰湿で幻想的な鍾乳洞の最深部に辿り着いた音嗣と怜心の前に現れたのは、幾つもの氷像だった。

 そのどれもが醜悪な『雛』を封じ込めたもので、見れたものでは無かったが、氷像事態は各都道府県の“ゆるキャラ”をモチーフとしているようで、アンモニア臭漂う暗闇には何ともミスマッチである。


 この光景に驚いたのは、音嗣だけでは無かった。今まで冷静に立ち回っていた怜心は、言葉を無くし、ただただ氷像にライトを当てるばかりだった。

 ふと、氷像の一つが粉々に砕け散った。何か衝撃が加えられたのだろう。

 それを注意深く見てみると、中の『雛』は粉微塵に砕けていた。


「明らかに自然で出来たものでは無さそうですね? 魔力の残子を感じます」


 氷像を調べていた怜心が、切迫した声で語り始めた。


「この氷像を拵えた芸術家は、闇石使い。それは火を見るより明らかです。けど、ここまで魔力を行使出来る闇石使いなんて、そうそう居るものではありません。恐らくは一瞬の内に、絶対零度まで冷したのでしょうね。雛は完全に生命活動を停止してます」


「これをやった闇石使いは、何処に行ったんだろう?」


「良い質問です。そう遠くには行ってないと思いますが……」


 辺りを探るようにライトを振る怜心の真後ろで、また氷像が砕け散った。

 自然と二人の視線がそちらへ注がれ、そして息を呑んだ。


 そこには、『闇石使い』が立っていた。

 銀色の長髪を腰に流し、両目で色の違うオッドアイの美しい少女だった。少女は一糸纏わぬ裸体を、二つ分の光源の中に、恥ずかしげもなく晒し出していた。


 色々と思うところはあった。

 この氷像を造ったのか、この辺りに居る筈の『雛』をどうしたのか、君は何処から来てどうやってここまで辿り着いたのか。

 だが、それよりも真っ先に浮かんだのは、生きていてくれた事への喜びだった。

 彼女は、彼女こそが、音嗣が捜していた少女に相違無かった。


「陸瀬さん!? こんな所で何をしているのですか!?」


 音嗣が声を掛けようとするより早く、怜心が声を上げた。

 どうやら彼には、この裸体の美少女と顔見知りのようだった。が、少女の方は違ったらしく、小首を傾げて「貴方、誰?」と魅力的な薄い桃色の唇を動かし、か細くも透き通るような声で疑問を呟いた。










 

《ゆるキャラ》


「うん、こんな感じで、ここをこうしてこうやって…………出来た!」


 仲間の仇討ちと言わんばかりに雪崩れの如く押し寄せてきた『雛』の尽くを氷付けにしたユキは、あまりにも退屈だったので氷の柱を加工して、ゆるキャラの氷像を作っていた。

 最初は二、三体作ったら外を目指そうとしていたのだが、なかなかどうしてこれが面白くて、気付けば各都道府県のゆるキャラを作るに至っていたのだった。

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