表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
闇に舞う蛇  作者: 梨乃 二朱
第二章:禁忌の実験
13/40

六話:小休止

《コラム11》

 オトツグは強化魔術だけなら、他の追随を許さない

 肩の傷を湯船に浸さぬように注意しながら、雨田音嗣は浴槽に身を沈めた。

 およそ一日ぶりの筈なのに、酷く久し振りな気がする。


 帰ってきた、という印象がまるで薄い。

 まだあの廃病棟の中から脱け出せずにいるようだ。暗くて不気味で、おぞましい化け物が徘徊する禁忌の館。


 今頃は県警から送り込まれた警官達により、綿密な捜査が行われているだろう。

 日本の警察機関は、ニュース番組で取り上げられている程、無能では無い。あの場所で何があったのか、何が行われていたのか、それが明るみになるのも時間の問題だ。実際に明るみに出るかどうかは、別として。

 サー・アイゼンブルクなる老兵の身元も、いずれ明らかになる。


 そう言えば、あの少年も残って調査を続けると言っていたか。

 絶体絶命の状況で、突如として音嗣の前に現れた『闇石使い』の少年、八阿木怜心。

 廃病棟の近くの農村で起こった集団失踪事件、および邪神宗教の調査をしている時、依頼を受けたという。


「闇石使い、か。闇石……」


 そっと左目に指の腹を押し当てる。軽い痛みが走る。

 未だに信じられないが、禁じられた実験に利用され、この左目に『闇石』を埋め込まれた。

 先程、鏡で確認をしてみたが、左目はいつもと変わらず蒼い瞳をしていた。


「普通の瞳にしか見えないが、何か変わったのか?」


「特に。言われなきゃ、僕だって気付かなかったと思う。ただ、ふとした瞬間に反射神経が向上するみたい。実際、それで何度か命拾いしたし。――彼が言うには、正式な遣り方では無いから、同期が出来ていないんじゃないかって」


「同期、ね。――んで、それはどうにかならねぇのか? 改めて摘出するとかさ」


「提案してみたけど、彼はやめた方が良いって言ってた。命の保証が無いし、折角手に入れた力を手放すのは惜しいだろ、だってさ」


「ま、そりゃそうだ。成っちまったんだからよ、それは後生大事に取っときな」


 何処か他人事のような響きのある縷々井藍那の言葉に、複雑な心境で「うん、そうする」と答える。


「そんな事よりさ、ルル姉」


「何だ?」


「何で人が入浴しているのに、シャワー浴びてるわけ?」


 音嗣はジトっとした眼差しを、身体中を泡だらけにした藍那へ向ける。

 彼女は特に気にする様子も無く、濡れて淫らに肌に張り付く髪の毛にシャンプーを垂らして男らしくワシャワシャと掻き回す。見る見る内に泡で埋もれて行く。


 彼女が風呂場に突撃してきたのは、体を洗い終わって浴槽に足を入れた時だ。

 邪魔すんぞ、と豪快にドアを開けて侵入して来たかと思えば、唖然とする音嗣を他所にシャワーを浴び始めたのだった。


 誤解の無いように言っておくが、普段は別々に入浴している。今日だけだ。

 音嗣だって特殊な環境に身を置いていると言っても今年で十六歳の思春期。同棲しているとは言え、美人でグラマラスな女性と裸の付き合いをするのは些か気が退ける。

 それにしても、いつも奇抜な行動を取る“自称”名探偵だが、今回ばかりは意味が分からない。


「細けぇ事は気にすんなよ。私だって、お前を捜すのに徹夜して風呂どころか飯すらろくに食えなかったんだ」


 こんな事を言われては、反論出来ない。

 音嗣は泡のほとんどが流れ落ちた探偵の裸体から目を逸らし、小さく溜め息を吐く。


「ところで、お前を助けたガキだけどよ。ほら、あの今一パッとしない感じの……」


 随分な言い草だな、と内心でツッコミながら「八阿木怜心のこと?」と問う。


「そう、八阿木。あいつと何かあったのか?」


「何かって、何?」


「お前が落ち込むような事だよ」


「別に落ち込んでなんか……」


「誤魔化しても無駄だ。この名探偵アイナ様に掛かれば、お前の感情など手に取るように分かる」


 自慢気に豊満な胸を反らし、仁王立ちをする藍那。

 そしていつになく朗らかな面持ちをすると、「何があった?」と優しく問い掛ける。


「話してみろ。ちょっとは楽になる」


 ただでさえ狭い浴槽に、向かい合うように入る藍那。この人には一生勝てないと、そう言えば出会った当初から直感していたか。

 音嗣は少し迷ったが、観念したように口を開いた。











 『降崔(ブリチエ)村』は、郊外を離れた山奥にひっそりと在る人口、僅か二十人弱の小さな集落である。

 そこでは過去から現代に至るまで“邪神宗教”が盛んに行われていたと言われており、数十年前には山道に迷った登山者を捕縛しては、邪神への供物として生け贄に捧げていたという血生臭い記録さえ正式に残っている。


 一度は地元県警に摘発され、それ以来、怪しいまでに鳴りを潜めていたのだが、最近になってまた新たな問題が生じた。

 数日前から、『降崔村』と連絡が取れなくなったという。不振に思い派出所勤務の警官二人が『降崔村』を訪れたのだが、村に入るという報告を最後に、警官までもが音信不通となってしまった。


 そこで白羽の矢が立ったのが、八阿木怜心であった。

 怜心は若干十七歳という若さでありながらも、過去にそう言った案件を何度か引き受けては見事にその役目を果たしている。役者としては、怜心程の適役は居ないだろう。


 今回もいつもと同じように、僅かばかりの食料と寝具を手に、『降崔村』へと足を踏み入れた。

 当初は、調査期間を三日に設定していた。しかし、村に入った瞬間から、調査の難航が危惧された。

 何せ、手掛かりが何一つ無かったのだ。


 初めて村に足を踏み入れた時、ここで人が住んでいたとは思えなかった。

 荒れ果てた土地、風化した民家、動物の腐敗臭。誰が見ても、立派な廃村だった。

 勿論、人の姿どころか、人が住んでいた痕跡すら無かった。

 謀られたかとも疑ったが、派出所の警官が行方不明となった事が事実であるし、調査をしない分けには行かなかった。


 気は乗らなかったが、朽ちた家の一件一件を調べて行った。すると、ある民家の中である物を発見した。

 それは真新しい靴跡だった。

 恐らくは警官のものであろう、その下足痕は、民家の物陰に片足分だけ残されていた。


 何故に片足分か。それは人為的に、人の痕跡を消そうとした証拠であった。

 間違いなく、この村には人が居る。

 しかし、そう確信したは良いが、それ以上の証拠が見付からず困り果てていた。


 そんな時だった。調査を始めて三日経った頃、食料などの補給の為に街へ戻した契約している『闇者』から、不穏な情報が流れてきたのは。


「というわけで、私がここに駆け付けたのですよ。正直、調査の方も行き詰まってまして、縷々井氏からの情報提供は助かりました」


 雨田音嗣の肩に包帯を巻きながら、八阿木怜心は世間話でもするように、この廃病棟へやって来た経緯を簡単に説明する。

 にこやかに、それでいて的確に応急措置を施していく。その手付きから、手慣れていると分かる。


「ここの調査はまだですが、廊下に転がってた死体を見た時、色々と分かりましたよ」


「廊下の死体?」


「はい。左目の眼球をメスで潰された闇石使いの死体です」


 それは音嗣が殺した暴走した『闇石使い』だろう。


「DNAを鑑定してみないと断言は出来ませんが、あの遺体は、行方不明になった派出所勤務の警官でしょうね。かなり損傷してましたけど、写真の顔と骨格がそっくりでした。この事から導き出される答えは――」


 作業の手を止めると、怜心は音嗣と目を合わした。彼のダークブラウンの瞳は、何処か愉しそうであった。


「事件の発端は、この廃病棟にあるという事ですよ」


「なるほど。だから、あんな事を聞いたんだ」


 サー・アイゼンブルクと対峙した怜心は、事件の関与について問い掛けていた。

 答えは曖昧なものだったが、彼にとってはあの老兵が事件に関わっているかどうかはどうでも良かったのだろう。重要なのは、この場所が事件に関与しているのか、だ。


 彼は捜査では無く、調査に来ていると言っている。

 つまり彼の目的は、被疑者の検挙ではなく、事件が起こったという事実の証明にある。事件の解決は二の次なのだろう。


「それにしても、君は面白い体をしていますね? その、意表を突かれたと言いますか……」


 包帯を巻き終えた怜心は、音嗣の胸部を見ながら呟いた。

 この反応はよくある事だ。


「探偵助手は、女子供が入るには危険な場所に足を踏み入れる事もある。だから、こう言った格好をしている方が、変なちょっかいを掛けられなくていいんだ」


「なるほど。その防弾ベストも、そう言った意味があるのですね」


「まぁ、今回は肩をやられてしまったけど」


 肩じゃ無くとも、あの太刀筋なら防弾・防刃仕様のベストだろうと、易々と貫いただろう。

 本当にこの少年が現れなければ、今頃はどうなっていたことか。


「さて、応急措置だけど治療も終わったし、そろそろ私は調査に行きますね。君は外を目指して下さい。今、救助ヘリが向かっているそうなので、それを待って下さい」


 壁際に立て掛けていた漆黒の長剣を手に取りながら、怜心はそう説明する。

 救助が来るのは有り難いが、まだ外へ出れないわけが音嗣にはあった。だから、「僕も着いていって良い?」なんて問い掛けていた。


「君の調査を手伝わせて欲しいんだ」


「必要ないですよ。私には頼れる助手も居ますし」


「けど、僕には目的がある。それを果たすまで、逃げるような事は出来ない」


 一度はきっぱりと断られたが、音嗣の言葉を聞いて怜心は暫し考え込んだ。

 多分、彼は調査において同伴者を着けない主義なのだろう。自分のペースを崩されるのが、この上無く嫌なのだ。故に音嗣が付き添う事を拒んでいる。

 助手と言うのも、恐らくは彼の指示に忠実に従う手足のような存在なのだろう。


 考え込んで十数秒、「分かりました」と彼は承諾の声を上げた。


「君の身柄の保護が任務ですから、勝手な行動をされて勝手に死なれても困りますしね。どうせ勝手をするなら、目の届く所でしてくれた方が、まだ対応のしようがあるというものです」


 辛辣な言葉を述べながら、ウェアの下のショルダーホルスターから、一挺のサブマシンガンを抜き取った。それをそのまま音嗣へ手渡す。


「トカレフだけでは心許ないでしょ? 特に闇石を使いこなせていない状況では」


「ありがとう。“MP5”、正規品だね?」


「軍から支給されたものですから。はい、これ予備のマガジンです」


 サブマシンガンの動作を確認しながら、二本のマガジンを受け取る。

 『H&K MP5』サブマシンガンは、ドイツの『H&K社』が開発した短機関銃だ。

 それまでの短機関銃と違って構成パーツの多さや構造の複雑さから、銃単体が高価になり整備性や信憑性に不安が生まれた。その反面、射撃性能が向上、命中精度が格段に上がった。

 しかし、使用弾種が『9mm弾』と低威力であるため、今のこの状況では余り役に立たないかも知れない。

 そんな危惧を察してか、怜心がこんな事を口走った。


「付け焼き刃だけど、“強化”の魔術について教えますね。それでライフル弾くらいの威力は出せます」


 回転式拳銃を手に、彼はニッコリと笑った。










 

《趣味趣向》


「それはそうと、さっき凄いものを拾いまして」


 怜心が徐に取り出したものは、一本の釘だった。

 村で拾ったというそれは、丁度九十度より僅かに深く曲がったもので、その絶妙な角度たるや清々しささえ感じた。


「これは……素晴らしいね……」


「おぉ! 分かってくれますか?」


「うん、分かる……!」


 二人は固く握手を交わすのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ