五話:起死回生
《コラム10》
ルル姉にどうやって茄子を食べて貰うか。それがオトツグの悩みである。
「だから、人質救出部隊の編成しろって言ってんだろっ!」
「証拠が無い限り部隊を動かすことは出来んと、君だって知ってるだろう!」
所用で警視庁を訪れていたシルヴィア・バートリーは、偶然言い争う現場に居合わせてしまった。
怒鳴りあっているのは警視庁刑事部の里中刑事部長と、見知らぬ女性だった。
女性は驚くほど美しい容姿をしていた。
艶の良いオレンジ色の髪を後ろで結い、焦げ茶色の瞳は鋭く尖った光を帯び、優しげに見える整った顔立ちを凛々しくしていた。男性のみならず女性をも目を奪われる抜群のプロポーションを、黒いスーツで覆った姿はどこぞのキャリアウーマンのようだ。
そこまでは天女の如き美しい女性だが、その口調が戴けない。
「証拠なら上がってるっつってんだろ、このハゲ頭! うちの助手が事件に巻き込まれてんだよ!」
粗暴な口調で中指を突き立てる姿に、理想を裏切られる人達が絶えないだろう。
良く言えば姉御肌だが、それも度が過ぎると野蛮でしかない。
因みに刑事部長は禿げていない。額は後退気味だが。
「ハゲ!? ――っ、それだけで部隊を出せないと言っているんだ! もっと確固たる証拠を上げろ!」
ハゲ呼ばわりされたことに怒り心頭に発した様子の刑事部長の怒声に、これ以上の交渉は無駄だと理解した女性は、「こんの……セクハラ上司!」と悪態を吐いて部屋を出ていった。
「あんの、クソ野郎どもが! ――痛ッ!」
苛立ち紛れにゴミ箱を蹴飛ばした縷々井藍那は、激痛に顔を歪めていた。
最近のゴミ箱はよく出来ていて、きっちり地面と固定されていて、ピクリとも動かなかった。その銀色の側面に、僅かな窪みを作るのみ。
痛む足を引き摺りながら、藍那は愛車まで急いだ。
あのハゲ……もとい刑事部長を説得出来なかった今、何とか頼れる組織を探さなくてはならない。警察がダメなら、次は軍か民間軍司会社か。最悪、それなりの軍備があれば、如何わしい宗教団体でも何でも良い。
とにかく、何とかして出来の悪い助手の救助をせねばならない。
状況から推察するに、一刻を争う。猶予等は無い。
走りながら次に取るべく行動を頭に思い浮かべている最中、突如、横合いから伸びてきた腕に引っ張られ人気の無い通路へ引き込まれた。
「ちょっ、何だよ!? つうか誰だよ!?」
「ごご、ごめんなさい! あ、あの、私、あの…………」
腕を引いたのは、とても気の弱そうな少女だった。
肩口で切り揃えたダークバイオレットの髪に、背の低い丸顔の少女は、おどおどした様子も相俟って小動物のように見えて可愛らしい。着ているセーラー服は何処の学校の物か分からないが、黒地に白いラインの調和の取れた清楚な雰囲気があって心地好い。
けど、気の急いている藍那には、彼女の煮え切らない態度が苛ついてならなかった。
「何なんだよ! 何か用があんならさっさと言え!」
「あわわっ、ごめんなさいごめんなさい! あの、私、シルヴィア・バートリーって言って、その、貴女のお力になれるなも知れません! 助手の方をお助け出来るかも知れません!」
例によっておどおどした様子のまま、興味深い事を口走った。
前門の虎、後門の狼。
この場合、前門の老兵、後門のチェーンソーか。
絶対絶命の状況の中、命運尽きたと諦観を得た雨田音嗣は、それでもその眼差しに宿す光を消し去ることをしなかった。
二年前の音嗣なら、どう考えても生き残ることの出来ない状況に追い込まれた場合、迷わず自決を選んだだろう。
けど、今は違う。
雨田音嗣は、諦める事は出来ても、そう簡単に自ら死を選ぶ事は出来なかった。
それは恐らく、あの粗野で男勝りの残念美人の影響からだろう。
しかし、実際問題は倒せない敵に前後を阻まれている。これでは逃走も出来なければ闘争も出来ない、考えうるだけでも最悪の状況だ。
諦観してしまったからには、もう死を待つしかない。
「伏せなさい!」
静かに目を伏せ、迫り来るチェーンソーの音に身を強張らせた直後、窓から人影が飛び込んで来たかと思えば、目にも止まらぬ俊敏さで、チェーンソーを振り上げた『闇石使い』を蹴り飛ばした。
「流石、クロエの直感はよく当たる。ドンピシャリだ」
人影は薄汚れた青いウェアを羽織った青年だった。
左手に漆黒の刀身に金色の柄の長剣を構え、チェーンソーの化け物と対峙する。
「雨田音嗣さんですね?」
背を向けたまま、少年は語り掛ける。名前を呼ばれた音嗣は、「君は?」と問いで返答をしていた。
「私は八阿木怜心、“オブスクラム学園”高等部三年に籍を置いております。――もし君が雨田音嗣さんであるのなら、私は味方です。縷々井藍那という探偵から、身柄を保護するよう依頼を受けました」
ルル姉の依頼?
俄に信じがたいが、少年が音嗣を助けたという事実を踏まえれば、全くの出鱈目とも思えない。
第一、出鱈目にしても縷々井藍那という名が、音嗣と関係のあるとこの少年は知る由も無い筈だ。それに音嗣を騙す理由も無いだろう。
「おやおや、最近の若者はイタズラが過ぎるようだ。まさか、窓から飛び込んで来ようとは……」
先程まで沈黙を貫いていた老兵が、呆れたように口を開いく。
「何分、育ちが良くありませんので、ははっ……」と、八阿木怜心と名乗った少年に恥じらう様子は無かった。
そんな問答の最中、チェーンソーの『闇石使い』が怒り狂ったように立ち上がる。
しかし、次の瞬間には怜心は『闇石使い』に肉薄。左手の長剣を縦一文字に振るい、チェーンソーと化した腕を肩口から斬り落とした。
なんて切れ味だ、と音嗣は舌を巻いた。
銃弾をも通さない硬質な鱗に覆われた腕を、たった一太刀で切断してしまうなんて。
恐らく、あれは『闇具』に違いない。そう考えると、少年は『闇石使い』なのだろう。
鮮血を撒き散らしながら、激痛に咆哮するチェーンソーの『闇石使い』
そんな化け物を他所に、怜心は「ところで、ご老人」と音嗣を越えて老兵と向き合った。
「貴方は被害者ですか? それとも加害者ですか?」
「ふむ、その二択ならば、私は加害者側の人間だ」
老兵が朗らかに答えると同時に、怜心は跳躍するかのようにサー・アイゼンブルクに斬り掛かった。
闇色に染まる廊下に、剣戟の不協和音が鳴り響く。
少年の黒い刀身と、老兵のサーベルが鍔迫り合いを繰り広げる。
「ほう、思い切りが良いな、小僧」
「敵は討てる時に討て、が信条でしてね」
二度、三度と剣戟が交じり合う。その度、虚空に火花が散る。
二人は、常人では有り得ない速度で打ち合いをしていた。それは度重なる火花によって、廊下が鮮やかに照らし出される程に。
「その反応速度、武器の強度。貴方、闇石使いですね?」
「如何にも。君ほど使いこなせてはいないがね」
一際大きな火花が散ったかと思えば、直後に金属が床を打つ音が耳朶を打った。
どちらかの刃が限界を向かえ、折れたのだろう。
それがどちらの刃かは、確認するまでも無かった。
「すみません。私のティソールは、そんじょそこらの“なまくら”に遅れを取る程、脆くは無いのです」
刃零れ一つ無い黒剣を自慢げに掲げ、怜心はサー・アイゼンブルクを嘲笑う。
対して老兵は悔しがる事など無く、「ふむ、流石だ」と称賛まで送っていた。
「殺す前に、一つ聞きたい。この地方で執り行われたと言われる、邪神信仰。そして村人が一夜にして消えた、集団失踪事件。貴方はそれに関与していたのですか?」
老兵の首筋に黒い刀身の切っ先を向けたまま、尋問するように問い掛ける。老兵はやはり朗らかに答え始めた。
「ふむ、そうさな。全くの無関係とは言い切れないだろうな。その教団と協力関係にある以上は。――しかし、来るのが少し遅かったな。教団はついさっき、この拠点を破棄した。今頃、信徒の連中が大慌てで撤収の準備を進めているだろう」
「拠点の破棄、ですか? それはまた、俄には信じがたい話ですね?」
「信じるかどうかは坊主に任せるとしよう。――おや? そろそろお別れの時間のようだ」
次の瞬間、暗闇の中から銃声が轟いた。逸早く反応した怜心は、長剣で銃弾を弾く。
そのまま素早く後退し、音嗣の前に盾になるよう立った。
「サー、こんなところに居られたのですか?」
その声と共に、数名の軍服姿の若い兵士が現れ、熟練された動作で老兵を庇うような陣形を組んだ。
皆、立ち居振舞いから正規の訓練を受けた軍人のようだが、一人一人が違う国の軍服を着ている。
「すまんね。この瞳の試運転をしていたのだが、まだまだ体に馴染んでおらんようだ」
「あまり悪戯の過ぎぬよう。貴方の身に何かあれば、我ら『緋色の軍団』は立ち行かなくなる」
隊長格らしき若い兵士の諫言を受け、老兵はばつの悪そうに笑む。
若い兵士は、その鋭い相貌を音嗣達に向けると、「殺せ」と鋭く指示を出す。
「まて、大尉。ここは引き分けとしようでは無いか」
「――? サーがそう望まれるのであれば」
「――そういう事だ、小僧。君とて、ここを潰すことが本意では無いだろう?」
老兵の言葉に、怜心は黒い刀身の長剣を下げた。
「聞き分けの良い子だ。良い指揮官になれる。――では、縁があれば、また剣を交えようぞ」
そうして老兵は暗闇の中に、藍色の体を沈ませて行った。最後まで睨みを聞かせていた兵士達も、規律正しくその場を立ち去った。
残されたのは、怜心という少年と音嗣。そして、床をのたうつチェーンソーを無くした暴走『闇石使い』の三人。
何と無く気まずい雰囲気。
その空気を打破すべく、音嗣が怜心に声を掛けようとした矢先、「あぁ、忘れてました」と言ってくるりと踵を返す。そして音嗣の傍らを通り過ぎると、暴走『闇石使い』の傍に立ち、腰から回転式拳銃を抜き放つ。
バン、と発砲。
銃弾は鉄帽子の隙間から覗く、『闇石』を穿ち貫く。
『闇石使い』は糸の切れた操り人形のように、パタリと動かなくなった。
「……さて、その傷の手当てをしましょうか」
束の間、感慨に耽るように射殺した『闇石使い』を眺めていた怜心は、人の好い笑みを音嗣に見せた。
《記録帳》
地元の警察は捜索隊の派遣を渋っていたが、それは愚作に思えた。
その多人数によるローラー作戦でも敷けば、もう二日は早くこの医院を発見することが出来たように思える。
警察は優秀だ。
しかし行動力に欠ける。
今回はその特異性から安全策に出たのだろうが、それが事態の悪化を招いているように思えた。
――――八阿木怜心の調査ノートの落書き