四話:全力逃走
《コラム9》
オトツグの好みが少し特殊で、ルル姉がたまに心配している。
実は雨田音嗣の左目は、『闇石』であった。
幸か不幸か『ユゴス』よりこの地球へ特殊な鉱物を採掘する為にやって来た生命体、『ミ=ゴ』との邂逅により知り得た残酷な事実であった。
『闇石』の移植手術。
それは音嗣が五歳にも満たないような昔に試みられた事がある。
それは決して表沙汰になることの無い、国家レベルで行われた人体実験だった。
結果から言えば、手術は成功、実験は失敗だった。
内容は死亡した『闇石使い』から『闇石』を摘出し、ドナーと合う被験者へ眼球移植を行うという話だけ聞けば簡単なものだった。
捕捉だが、『闇石』は“霊石”という鉱石であるが、人間の体内に埋め込まれた時点で眼球に変異する為、通常の眼球移植が可能だそうだ。
契約していた『闇者』の許可も得れた事もあり、誰もが成功例を祈って、研究者達は手術へ取り組んだ。
術式は一日も掛からなかった。
手術は無事終わり、術後の被験者の様態は安定していた。
誰もが、実験の成功を確信した。
異変が起こったのは、被験者が麻酔から覚めて直ぐだった。
被験者の様態を確認しようとした医師、看護師、研究者の全員が、十秒足らずの内に潰され惨殺された。
被験者に移植された『闇石』が暴走し、被験者の意識を殺害。空となった肉体はそのまま『闇石の意思』に乗っ取られ、凶行に至った。
当初はそういう見解であった。
しかし、その後の研究により、『闇石使い』によって独自に育成された『闇石』が被験者と適合せず、コントロールに失敗し暴走に至ったと、結論付けられた。
DNA等とは別に、何か医学的には説明出来ないファクターがある。それが何なのかを突き止められない限り、『闇石』の移植は不可能とも言われた。
それを、この『ミ=ゴ』は知っていたという。
改めて、異星人種の技術力には感服させられる。
「一体……一体、ここの連中は何なんだ? 何が目的でこんな……」
「悪いが、それには答えられない」
「守秘義務でもあるのか?」
「いや、知らないだけだ。我々は我々の邪魔をしなければ、その人間が何をしていようと興味は無い」
『ミ=ゴ』は背を向け、音もなく離れると再び踊り場へ着地した。
「さて、私の知り得る限り、君の欲しがりそうな情報は語った。私はこれで失礼するよ」
そう言って踊り場の影に隠れていた金属の入れ物を抱え、宙へ舞い上がる。中身は大体想像がつく。
「待ってくれ。後一つ、銀髪の女の子を知らないか?」
「さぁ、知らないな」
一か八かに賭けて問うてみたが、やはり知らないようだ。
「そうそう、それの相手は君に任せよう」
『ミ=ゴ』はそれだけ言い置くと、音嗣を振り返る事なく階下へ下りて行った。
「それ?」と疑問符を浮かべる音嗣は、次の瞬間に全身を襲った悪寒に肌を泡立たせた。
思わぬ協力者、『ミ=ゴ』との邂逅を終えた音嗣は、全速力で逃げていた。
理由は、先程から絶え間無く鼓膜を震わせる機械音にある。
「あの宇宙人め! 僕に厄介事を押し付ける為に足止めしてたな!?」
可笑しいとは思った。
基本的に地球外生命体は、地球人に興味がなく交信する必要性を感じていない故に姿を見せない。それが初対面の子供に、何の利益も無いのにペラペラと情報を語ったのだ。
この時点で、何かしら裏があると疑って然るべきだった。
それを怠った結果、何かのホラーゲームのボスキャラのような化け物に追われるはめとなった。
今、音嗣を襲っている者は、恐らくは暴走した『闇石』に呑み込まれた『闇石使い』だろう。
それはギリギリ二足歩行の人間であった名残を残す化け物で、鉄で出来た防空頭巾のような被り物を頭からすっぽり被り、その隙間から見える左目だけが炯々と輝いていた。胴体は皮膚が鱗状の鎧のように変異し、右腕がチェーンソーに変質していた。
邂逅一番、先手の弾丸を放ったが、貫通力の高い『トカレフ』の銃弾をもってしても鱗状の鎧を僅かに傷付ける程度だった。
拳銃では勝機は無いと悟った音嗣は、牽制弾を撃ちながら後退を選んだ。
「て言うか、あいつガタイの割りに足速くないか!?」
後退を選んだのだが、化け物は流石『闇石使い』だけあって運動能力は高い。不幸中の幸い、体の鱗の重量がかなりあるようで、小回りが利かずまだ追い付かれずに逃げられていた。
しかし、この“地獄の鬼ごっこ”は持久戦になれば音嗣の方が不利だ。
あの『ユゴスよりの者』の言うことを全面的に信用するならば、音嗣も『闇石使い』になっている。が、今はその恩恵を十分に受けているとは思えない。
恐らく、『闇石』がまだ音嗣の体に馴染んでいない事が原因だろう。
「それにしても、妙な輩に好かれる星回りなようだな。全く嬉しくない」
毒づきながら、廃病棟の中を駆けずり回る音嗣。階上へ上がっては階下へ下りて、兎に角逃げ続ける。
最早、何処をどう走っているのかは分からない。あのチェーンソーを振り切る為、全速力をもって走った。
走りながら次の手を考えている最中の事だった。
何度目かの曲がり角を曲がった先に、一人の老兵が音嗣の持つ懐中電灯のライトの中に現れた。
「これこれ、廊下を走っては行かんよ」
老兵は音嗣の姿を認識すると、まるで自身の孫にでも語り掛けるような穏やかな声音で優しく叱る。
刈り上げた黒髪に口元に蓄えた髭。皺の刻まれた面持ちは厳つくも優しげで、藍色の軍服に包まれた体は歴戦の勇士を思わせる程に逞しい。
そして腰に携えたサーベルは、老兵を騎士のように思わせる。
「あなたは誰だ?」
警戒を緩めず、『トカレフ』の銃口を真っ直ぐ老兵の眉間へ向け、背後から聞こえてくるチェーンソーの機械音に焦燥しながらも冷静に問い掛ける。
ここで立ち止まる分けにはいかない。こんな場所で出会う人間は、基本的に敵と思うべきだ。返答しだいでは、迷わず射殺してしまっても問題は無い。
「私はサー・アイゼンブルク。君の敵と共通の敵を持つ者だ」
老兵、サー・アイゼンブルクは朗らかに微笑みながら、サーベルの柄に手を掛ける。
瞬間、音嗣の体に駆け巡る悪寒。柔和な印象を受ける老兵から、想像も付かない程のプレッシャーが放たれた。
一瞬だが気圧された音嗣は、次いで当てられた殺意に震える指先を他所にトリガーを二度弾いていた。
二連続で放たれた銃弾。
しかし、それは老兵を貫くことは無かった。その代わり、音嗣の肩にサーベルの切っ先が突き刺さり、焼け付くような痛みに苦悶の声が漏れた。
「ほほう、よくかわせたものだ。ふむ、若者はやはり呑み込みが早い。結構結構」
サー・アイゼンブルクは満足げに頷き、サーベルを静かに抜き去った。
今の攻撃、全く目に写らなかった。ただ当てられる殺気を頼りに体を捻った結果、避けられたに過ぎない。
肩の激痛より驚愕に言葉を失う音嗣に、更に脅威が迫る。
チェーンソーを振り回す暴走した『闇石使い』が、ついに追い付いたのだ。
チェーンソーの『闇石使い』は音嗣を見付けると、一際大きな咆哮を上げる。
「これは不味いな……」
前門の虎、後門の狼。
これで雨田音嗣の命運は尽きた。
「伏せなさい!」
直後、人影が窓から飛び込んで来て、チェーンソーの『闇石使い』を蹴り飛ばした。
《『闇石』の移植について》
『闇石』の移植は禁忌だ。
失敗例しか無く、そのリスクに対するリターンの不釣り合いな事を考えれば、移植手術を行うこと事態が愚作と言えよう。
失敗が被験者の死亡だけで留まれば良いが、『闇石』が暴走し被験者の体が変異した場合、直ぐ様、被験者を始末せよ。でなければ、その場は血と惨劇に支配されるであろう。
今一度、忠告しよう。
『闇石』の移植は行う無かれ。
『闇石』を得たくば、正攻法たる『闇者』と契約を果たせ。
――――毒殺体の傍らに落ちていた手帳より抜粋