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闇に舞う蛇  作者: 梨乃 二朱
第二章:禁忌の実験
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三話:菌類の来訪者

《コラム8》

 オトツグは家事全般をそつなくやってのける。

 悲鳴の聞こえた方へ走り、音嗣はある一室へ辿り着いた。

 そこは男子トイレだった。


 悲鳴は、この中から聞こえたのだと思う。

 何故、そう思うのか。それは声の音量、反射等から推測される場所が、ここだと示していたからだ。

 こんなこと、常人では出来ない。訓練を積んでいるとは言え、ここまで明確に割り出す事は今まで出来たことが無い。


 やはり、という疑惑が確信へ移る感覚を得た。

 やはり、音嗣の体には何らかの術式が施されていたようだ。それは胴体ではなく、恐らくはこの左目。それが何の術式なのかは分からないが、それにより五感が研ぎ澄まされている事は疑いようの無い事実だ。


 そう考察しながら、音嗣は男子トイレのドアを開けて中へ入る。

 瞬間、息苦しい程の汚臭が襲った。もう何年も掃除していないのだろう。便器という便器から、糞尿や嘔吐物等の排泄物が入り交じった臭いがトイレ内に立ち込めている。


 幸い、電気は問題なく使えるようで、トイレ内は比較的明るかった。そのお陰で、床に残された血痕にも、いち早く気付くことが出来た。

 血痕は引き摺られるようにして、一番奥のご実家まで続いていた。


 ふと、靴先に何かがコツンとぶつかった。

 下を向いてみると、それは一挺の拳銃だった。音嗣は徐にそれを拾い上げる。


「“トカレフ”? しかも純製だ。何だってこんなものが……?」


 『トカレフ TT-33』は、ソ連製の自動拳銃だ。

 その昔は“弾が横に飛ぶ”等、悪評が高かった拳銃だが、それは中国製のコピー品である『54式拳銃』で、安作りの粗悪品で更には輸送方法にも問題があった為に、そんなトラブルが起きたのだ。中国製でも、純製ならば問題なく撃てる。

 『トカレフ』は映画やドラマの影響で、チンピラ等の雑魚が持つような拳銃として認識されがちだが、実際は一発辺りの威力は高く、貫通性に申し分は無い拳銃だ。ただ、ストッピング力に欠ける為、殺傷力に多少の難はある。とは言え、簡素な構造な割りに威力が高く、侮ってはいけない拳銃だ。


 メスを無くし丸腰となった音嗣にとって、この『トカレフ』はまさに神の恵みと言えよう。


「薬室に一発、マガジンに八発。――撃つ隙も無く落としたのか……」


 一体、何があったのか。

 この血痕を見る限り、善からぬ事が行われていた事は確かだ。

 それは考えるより、実際に目で見て確かめた方が早いだろう。


 音嗣は『トカレフ』を構えながら、血痕を辿りトイレの奥へと進む。開け放たれた個室の中を一瞥しながら、一番奥の閉ざされた個室の前まで歩き、立ち止まった。

 酷い臭いだ。臓物を混ぜ返したような汚臭がする。


 躊躇ったのも束の間、先ずは銃の先をドアに当てノックをする。コツッ、と一度目のノックで、ドアは鈍く軋みながら開いた。

 鍵が掛かっていない、という事には特に疑問を抱かなかった。


 ギィィ、とゆっくり開く木製のドアの先には、男性が便器に座り項垂れていた。その姿を見て、音嗣は思わず眉をひそめた。


 男性はスーツの上に血に染まった白衣を着ており、恐らくここの医者、というか犯罪グループの一員なのだろう。スーツのベルトに空のホルスターがあることから、『トカレフ』はこの男性が落としたものなのだろう。

 年齢は三十代前半、痩せ形で長身。肌の色が黒い事から、日本人ではないようだ。アフリカ系か?

 目立った外傷は、頭部の損傷以外には見当たらない。その損傷が致命傷であることは、間違いないだろう。


「脳が、無くなっている?」


 男性は何者かにより、頭の皮を剥がれ、頭蓋骨をまるで蓋のように切り取られ脳みそを取り出されているのだ。

 少し前に検視室に入った際、頭に銃弾を受けた死体と対面した。その死体は脳内の弾丸を取り出すべく、同じように皮を剥がれ頭蓋骨を切り取られていた。

 その状況と今、眼前にある死体とを比べると、あまりにも似ている。


「外科か検視の知識のある者の犯行か。それにしても、脳を取り出して何に使うつもりだ?」


 それはここで考えたところで、答えの出る事では無かった。

 とにかく、男性の衣服を漁ってみる。が、これと言って情報になりそうなものは無かった。職務中は、そういったものを持たないのかも知れない。

 しかし、幸運にも男性は、携帯電話を持っていた。使い捨てのプリペイド携帯のようだが、電源は入っており、電波もギリギリだがある。これで外部と連絡が取れる。


 それは後で良いか。こんな臭い場所で掛ける必要も無い。

 後は『トカレフ』の予備弾倉と幸運その二の懐中電灯を拝借し――――と、不意に肌に手が触れた瞬間、音嗣は驚愕に数歩後退った。


「こいつ、どうなっている……!?」


 信じられない。けれど、死後間も無い筈の男性の肌が、異様に冷たい。それこそ、凍り付く程に。


「冷凍保存でもしているのか? しかし、これは……」


 もう一度、肌に手を触れさせる。

 やはり、冷たい。


「一体、何だってこんな……」


 あまりに非現実的な状況に、頭を悩ませる音嗣。

 しかし、それを今、ここで吟味しても仕方の無い事だった。謎は消えないままだが、目的を果たした音嗣は男子トイレを後にした。











 トイレから出た音嗣は、早速先程戴いた携帯電話のテンキーをプッシュし、掛け慣れた番号へコールする。

 何度目かの呼び出し音の後、「オトツグかぁッ!?」と怒鳴る声が返ってきた。


「お前今、何処に居る!? 怪我は!? 嫌なことされてない!? ご飯食べてる!?」


「ルル姉、ちょっと落ち着いて」


 繰り出される質問の嵐に苦笑しつつ、音嗣は聞き慣れた声に心底安堵した。平静でいたつもりだが、内心は不安で仕方無かったようだ。

 お互いが落ち着いたところで、手早く現状を説明する。


「ふむ、状況は分かった。つまり、誘拐され人体実験の道具にされた可能性があり、そして死にかけた、と」


「ざっくりしてるけど、そんな感じ」


 本当にざっくりした解釈だが、伝えるべき部分は伝わったようだ。


「――って、何落ち着いてんだよ!? 何だ!? 人体実験って何だ!?」


「落ち着いて、ルル姉。場所が分からないから、警察の友達に頼んで携帯を逆探知して貰って。多分、使われなくなった廃病棟だと思う」


「あぁ、お前はもう! ……今、頼んだところだ」


 気を落ち着かせた姉御は、タバコに火を付けたようだ。電話越しにライターの点火音と、紫煙を吐き出す仕草が伝わってきた。


「かなり山奥に居るようだが、よく電波が届いたな?」


「今日はツいてるのかも」


「お前な。誘拐された奴が何言ってんだよ? 取り敢えず、外を目指せ。分かっているだろうが、極力戦闘は避けろ」


「分かってる。けど、僕以外にも捕らわれた人が居る。そっちの保護もやりながら脱出するよ」


「なッ――!? 無理をするなと言ってるのが分からないのか!?」


「もうそろそろ逆探知出来たよね? ちょっと急用が出来たから、切るよ」


「おい、ちょっと待っ…………」


 まだら言い足りない姉御をよそに、音嗣は終話ボタンをプッシュした。

 後で滅茶苦茶怒られるだろうが、この状況では仕方がない。

 腰のズボンとベルトの間に挟んでいた『トカレフ』を抜き放ち、懐中電灯を点ける。











 羽音が聞こえる。

 何か大きな生物が羽ばたくような、空気の震動を鼓膜が感知した。


 慎重に音の発生源を探知する内に、それが徐々に遠退いて行っている事に気付いた。

 音嗣は駆け足で羽音を追った。


 ふと、何故こうも正体不明の音を追っているのだろうかと不思議に思った。

 普通は、こんな状況下だ。謎の音が聞こえれば、警戒して逃げるか隠れるかするべきなところ、音嗣は離れ行く音を追って走っている。


 それは階下にまで続いていた。

 逸る気持ちを抑えながら階段まで駆けた音嗣は、踊り場で羽ばたくそれと対面し、反射的に引き金に掛けた人差し指に力を入れ掛けた。


 そこには、怪物が居た。

 体長は一五十センチ程だろうか。見た目には薄赤色をした甲殻類のようで、体から皮膜のような翼が生え、何対かの足があり、鉤爪のような形状をしている。


 異様な姿形をしたそれは、頭とおぼしき短いアンテナのような突起物が幾つも生えた渦巻き状の楕円体を音嗣の方へ向けると、「そのライトを消して貰えるかな?」と何処が口か分からないが確かな日本語を話した。

 警戒しつつ、言われた通り懐中電灯の照明を消すと、それは「ありがとう」と謝辞を述べた。


「元々、光りの無い場所に居た為、光りに弱くてね」


「お前は、闇者か?」


 “光りに弱い化け物”で先ず思い当たるのは、『闇者』だった。

 彼らは光りに対するため“依り代”を経てこの世界に現界し、時に世にも不気味な姿を取ることがある。

 これも、その類いか?


 しかし、その怪物はいいや、と否定した。


「私は『ユゴス』よりこの地球(ほし)に存在する稀少な鉱石を採掘する為に訪れた」


「ユゴス、だって? まさか、『ミ=ゴ』か?」


 如何にも、とその怪物は頷く。

 『ユゴスよりの者』、『ミ=ゴ』なら、知識として知っていた。人間が“冥王星”と呼ぶ星、『ユゴス』より特殊な鉱物を採掘する為に地球に訪れた高度な医療技術と科学技術を持つ生命体だ。

 こうして目にするのは初めてだが、話に聞くよりおぞましい姿をしている。よく発砲しなかったと、自分を誉めてやりたい。


「ミ=ゴはアメリカを中心に活動していると記憶している。それが、何でまたこんな東の果ての国へ?」


「話をするのは構わない。が、そちらも名乗ってはどうか? それと、銃口を向けられたままでは落ち着かないのだが?」


 指摘はごもっともだった。

 どうやら、この『ユゴスよりの者』は礼節に重きを置いているようだ。

 それならそれで、やり易くはある。少なくとも好戦的な輩よりは、数段マシだろう。


「……失礼した。僕は雨田音嗣、私立探偵の助手をしている」


 音嗣は『トカレフ』の銃口を下げ撃鉄を倒しつつ、簡単に名乗る。


「よろしい。では、オトツグ君。君の問いに答えよう」


 『ミ=ゴ』は被膜のような翼を羽ばたかせ、音嗣と目線が重なる高さまで上昇した。


「確かに我々は、北南米とネパールを中心に採掘活動をしている。しかし、元々が稀少で特殊な鉱物だ。そう易々と見付かる物でもない。故に、一ヶ所を採掘する個体とは別に、世界各国を回る個体がある。それが私だ」


「各地の地質調査をしているのか?」


「如何にも。ここ極東を訪れたのも、その調査の為というのは、言わずともお分かりだろう」


 解せない話では無い。

 論理的だとも思う。

 しかし、重要なのはそこではない。


「貴殿方は協力的な人間に叡知を授けると聞く。ここの人間に何を教えた?」


 日本という国を訪れた理由ではなく、この廃病棟に居る理由が聞きたい。


「何故、そう思う?」


「状況がそう語っている。貴殿方は訳もなく、人の前に姿を現すことは無い筈だ」


 音嗣の推察に、『ミ=ゴ』は思案するように黙り、また何処か分からぬ口を開いた。


「――私は臓器の摘出、及び移植技術を提供した」


「それは変だ。臓器移植は既に存在する技術だ」


「私が提供したのは、“闇石”の摘出、移植技術だ」


 その言葉を聞いた瞬間、左目がずきりと痛んだ。


「それは……禁忌だ……。過去、幾度と無く行われた“闇石の移植手術”は、全て惨たらしい最期を迎えている」


「人間の技術力では、ね。しかし、我々の技術力をもってすれば、不可能な事ではない。その証拠に――」


 『ミ=ゴ』は鼻先まで近寄って来る。そしてその鉤爪状の足で、音嗣の左目を指した。


「君は、成功した」











 

《解説:ユゴスよりの者》

 解説に続く解説ですみません。

 今回は《ユゴスよりの者》および《ミ=ゴ》について、本作品での取扱いを説明します。


 《ユゴスよりの者》は本編でも触れた通り、地球上に存在すると言われる稀少な鉱石を採掘すべく、『ユゴス』と呼ばれる惑星から飛来した知的生命体です。人類の敵でも無ければ味方でもありません。

 甲殻類のような外見をしていますが、菌類に近い生物になります。他にも大型猿人類の姿をした個体もあり、それは雪男や『ミ=ゴ』と呼ばれ現地人に恐れられているそうです。

 《ユゴスよりの者》は驚異的な外科医学的、機械工学的な技術体系を持ち、協力的な地球人にその一端を伝授すると言われています。また、邪魔立てするような人間は、脳を取り出され特殊な金属の円筒に移植され、連れ去られてしまうとか。


 本作品では、甲殻類型の個体を《ユゴスよりの者》とすると同時に《ミ=ゴ》ともしました。ややこしいので。

 オトツグが偶然か必然か出会ってしまった《ミ=ゴ》は、訳もなくオトツグにその驚異的な外科医療技術と、自身の置かれている状況の異質さを知らせました。

 この個体は地質調査という役目を担う故に、人類に友好的な一面があるのかも知れません。はたまた、何か思惑があるのかも知れませんが。

 そして《ミ=ゴ》と出会う前に見付けた脳髄の無い黒人男性は、言うまでも無いでしょう。

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