7
罪滅ぼしに、婚約者となれと言われた私は、暫しフリーズした。
ノクバース様の、相変わらずのニコニコと天使の様な陽だまりの様な顔をまじまじと見つつ。
その目に“こいつ、正気か?”という気持ちが含まれてしまったのは仕方がない事だと許してほしい。
そして、気付かないでほしい。
と、そこまで考えて、とある考えが浮かんだ。
前世で読んだ小説の知識――婚約者役をして、お見合い相手を蹴散らすとか、ストーカー並みに着き纏ってくる令嬢避けに私を役立てようという魂胆なのかもしれない。
それなら納得できる。
ノクバース様はかなり御顔が整われているし、性格も良い(という噂だが、今は本当かどうか微妙に感じるのは気のせいだろうか?…気の所為だと思いたい。)し、未だに独身で地位もあって将来も有望な超々優良物件だ。
そんな話の一つや二つがあっても不思議ではない。
いや、一つや二つでは足りなさそうだ……。
そうとわかればこの依頼、受けよう。
役者なんて前世でも今世でもやった事がないから、きちんと役になりきれるかは分からないが、罪滅ぼしに私が一役買いましょう!
「分かりました、婚約者役をすればよろしいのですね?」
「ん?……いや、婚約者になって欲しいんだが?」
「はい。
ですので、婚約者役をすればよろしいのでしょう?」
「いや、だから、婚約者役じゃなくて、婚約者になって欲しいんだが……。」
「…………?」
何だろう?
何か違うのか?
わざわざ訂正されてるぞ?
違うのか?
この推理以外に、私にこんな事を頼むメリットはないはずだが……?
私が意味が分からないと小首を傾げていると、ノクバース様は何やら怪訝そうな表情で私を見て来る。
いやいや、こっちがそんな表情したいよ。
しばし、二人の間に沈黙が落ちる。
そんな中、先に口火を切ったのはノクバース様で。
「……わかった。
では、やはり贖罪は無しにしよう。」
「え?」
彼はそう告げ、キョトンと驚き声を上げる私を他所に、何故か良く分からないが突然椅子から立ち上がって床に片膝を着き、私の左手を取ってこれまで以上に真剣な表情と強い視線で見つめて来られながら仰られる。
「改めて、その話抜きで君に告げる。
私の婚約者になって欲しい、ニナーヴィア・ロウスツーヴル嬢。」
「……………………はいぃ?」
彼はそう仰られ、私の左手の薬指にソッと口付けた。
え……なにこれ?
っていうか、この体勢、求婚を求める時の体勢なんですけど?
半ばパニック寸前――というか、既にパニックとなっている私の頭は大混乱。
何をどう返せばいいか分からず、気が付けば再び不躾に問い返していた。
そんな私の反応にニッと、その顔に似合わない悪そうな笑みを乗せるノクバース様。
「実は……俺は今、絶賛婚約者募集中だ。
そして、俺と地位等で釣り合う貴族の令嬢に、その旨を記した文を二年前に配ったんだ。
その内、半数――我がノクバース家に連なる者や縁を結びたい者が“是”と、もう半数――俺と対立している貴族だな、こいつらが“否”と返してきた。
そして、ただの一通だけ、答えが“保留”として返ってきた家があった。
それが、君の実家――ロウスツーヴル伯爵家だった。
普通、婚約者もいない令嬢の家が保留なんて返事、出すはずがない。
俺は、そんな“保留”を出した伯爵家の御令嬢とはどのような人物なのか気になって、調べている内に……まぁ、個人的にかなり気に入ったから、妻に迎えるなら貴女にしようと思って機会を窺っていたんだ。」
つまり、二年前にお嫁さんを募集したら我が家だけが保留で、そこの令嬢――つまり私が気になって、調べてるうちにコイツだ!と感じたと……。
いや、意味分かんない。
ってか、今まで知らなかったんですけど、そんな事。
私にノクバース家からそんな話が来ているなんて一切聞いていない。
きっと、父様が侍女業で忙しい私に気を使って伏せていたのだろう。
……いや、もしかしたら約束の侍女期間の終わる一年後、実家に戻った時に知らせて驚かそうと思ったのかも。
結構お茶目さんな一面を持っている父様だからね。
……っとと、いけない。
そんな、ほぼ現実逃避の様なこと考えてる場合じゃない。
えっと………………どうしたら?
私がつい怪訝な表情になってしまったのを見て、ノクバース様は相変わらずの似合わない笑みを顔に乗せたまま、再度説明を続ける。
「君の事情は父君であらせられるロウスツーヴル伯爵から聞いている。
だから、伯爵には侍女の期間が終えるまで待つと告げている。
このままいけば、一年後に俺との結婚が決まるのは確実だろう。
……今の君には、想いを寄せるような男も気になっているような男もいないようだしな。」
ええ、そうですね……って、何でそんな事知ってるの!?
私がそんな感想を胸に目を見開くと、ノクバース様はニッと口角を上げて、艶やかな笑みを顔に乗せて、人差し指を口に当て、秘密だと告げてきた。
お、お、恐ろしい!!
この方は何をなさっているのだろう!
ってか、王子様にしろこの方にしろ、ちゃんと仕事してるのか!?
この国の将来が心配になってきた……。
そんな私の心境を知る由もないノクバース様は、私を置いて話を続ける。
「とはいえ、このまま婚約期間もなく、いきなり結婚……というわけには世間体が悪い気がする。
我が国のしきたりで、結婚より前半年以上は婚約期間を設ける事というものがあるからな。」
いや、だったら侍女期間が終わって半年婚約期間を得たらいいじゃん……。
そんな風に考えていたら、その考えが表情に出ていたのか、ノクバース様は、今でさえもう二年――最後の侍女期間を考えれば更に後一年で三年待つことになるんだ、これ以上は待つ気はさらさらないとあっさりと宣まって下さった。
そして、私に譲歩の案を提案する。
「だから、君が侍女を辞退し次第結婚できるよう、今から婚約期間を設けておこうと思ってな。
……今日の事がなければ、もう少し後で、きちんと順を追って接触して婚約するはずだったんだが。」
ポツリと零された最後の一文は、声が潜められたせいで良く聞き取れなかったが……何て言ったんだろうか?
まぁ、今はそんな事は良いか。
ってことは、これは婚約者役でも何でもなくて……え?
てか、私は結婚する気、もう無くなってるんですけど?
最近ではこのまま姫様にずっとお仕えして、将来は侍女長でも目指そうかな☆なんて考えていたんですけど?
…………どうしよ……?
チラリと目の前のお方の顔を見れば、“断らないよな?”と言いたげな笑顔が浮かんでいる。
え……ほんと、どうしよ…?
俯き黙りこくって、断る言い術を考える私を、ノクバース様はジッと待っている。
本当に、どうにか上手く断れないだろうか?
このままでは姫様から無理やり引き離されてしまう……そんなの耐えられない!
っと、ちょいと悲劇のヒロイン風な感じで考えてお茶目をしちゃった☆
……現実逃避多いな、自分。
っとと、これも現実逃避か。
さあ、どうしよう?
上手く断れれば、姫様との楽しい侍女ライフが、できなければノクバース様の幸せ?結婚ライフが待っている。
人生の分岐点に来ているんだ。
ここで上手く前者を勝ち取りたい所だが、良い案は浮かばない。
というか、けれども私に選択肢なんてないのかもしれない……さっきの事もあるし。
けどけど、どうにか断る話を……。
だが、どれだけ考えても、数十分考えても良い案は浮かばない。
その間、暇であろうに、ノクバース様は律儀に私の言葉を待ってくれている。
本当に、良い人だな、ノクバース様。
さて……。
恋人がいる、想い人がいるってのは、既にいないとばれてしまっているし……。
ノクバース様は頭の良い方だから、ここで断っても外堀から埋められるかもしれないし、無駄なのかも……。
でもでも、姫様のお傍にずっとお仕えしたいし……。
なかなか答えの出せない私を見兼ねたのか、ずっと黙ってただひたすら待ってくれていたノクバース様が口を開く。
「君は……リリーディア様にずっとお仕えしたいと思っているらしいね?
君のリリーディア様愛は噂に聞いてるよ。」
うん……って、なんと!?
私の姫様好きが知れ渡っているとな!?
聞き捨てならない言葉に私は考える事を放棄し、彼が何を言いたいのかと怪訝な眼差しで見つめる。
私を脅す気?
……いや、それはない、か?
だって、姫様は王族だから何かすることはできない(したら刑罰ものだ)し、かといって今の彼――第一王子様付きの侍従という立場で、私に何かできるとは思わな……いや、思いたくない。
一瞬、彼独自の伝手を使って私を解雇に追い込むとか考えたが、そんな事はありえないだろうと頭の端に必死に追いやってやった。
そうこうしていると、このお方はフッと息を漏らし、困ったように苦笑し――。
「そう、警戒しないでくれ。
別にだからと言って何かするわけではない。
ただ……俺と結婚しても、リリーディア様の侍女として働くことはできると言いたいだけだ。」
「なんとっ!?」
私はあまりにも私に最良な破格の提案をもたらしてくださるこの方の言葉に、驚きで返した。
だって、姫様付きの侍女が続けられる上に最上の結婚が出来るという、第三の選択肢が現れたんだよ!
有り得ない!
と言うか、良いのか?
私に良い条件ばかりで……。
ノクバース様には何のメリットもない様な御話だが……。
私が困惑した表情で彼を見つめていると、ノクバース様はどう解釈したのか、更に苦笑を漏らして仰られる。
「いや、嘘や冗談ではないよ。
ただし、侍女の仕事は日中だけとなるが……。」
少し申し訳なさそうに、それでもこれが譲歩の限界だと言わんばかりに仰られるノクバース様。
いや、そんな!
この世界で普通結婚すれば、女が外へ出て働く事はしないのが当たり前だ。
稀に働いている女性もいるが、それは家の事情とか、何かしらの事情がある場合のみだ。
でも、そんなのなくて、ただ姫様と一緒に居たいという理由だけで働きに出て良いだなんて!
こんな条件の良過ぎる結婚、普通はない!
これを逃せば、私は独身貴族のままお局とか呼ばれて、悲しい人生を送ることになるかも……。
いや、姫様がいらっしゃるなら、そんな悪評や噂など立とうがたたまいが幸せだけどね!
って、今はそんな事言ってる場合じゃない!
この好機を逃がすなど、有り得んわ!
私は嬉々として片手を上げて挙手をして、高らかに言いきった。
「結婚しても姫様に会えるなら、それくらい構いません!
その条件なら婚約します!」
普段は隠している私の素が出てしまったが、この際どうでもいい。
さらに言うと、ノクバース様、ポカンと私の行動に驚いていらっしゃるが、そんな事もどうでもいい!
ハッキリしっかり高らかに宣言した私に一瞬呆けていたノクバース様が、それ何?宣誓のつもりか?と言って嬉しそうに、けれどもどこか少し安堵したかのようにも見える笑みで苦笑していたが……。
「では、婚約者殿――いや、ニナ。
これからよろしく。」
そう仰られ、何だか少し気恥ずかしい様な照れくさいような不思議な感情に苛まれたのは、見なかったことにした。
こうして、私はノクバース様の婚約者となったのだ。
……あ。
贖罪の話、どうなったんだろ?
……ま、いっか。
これから話す機会はいくらでもあるだろうから――。
此処まで読んでくださり、ありがとうございました。