6
ゆっくりと、優しく身体が揺すられる。
けれども、まだこの心地よいまどろみの中に居たい私は反応を示さない。
すると、困ったような呆れたようなため息が近くから聞こえてきた。
誰だろ……?
私が未だまどろみの中で目を開ける事もなく、相手に反応を返す事もなくウトウトしていると。
「終わったぞ、起きろ。」
「……んぅ。」
掛けられた声に、何処かで聞いた声だと考えながらも、ハイと返事を返したつもりであった。
が、口から漏れ出たのは唸り声みたいなののみで……。
かなり無作法な返事の仕方になってしまったが、まあ、私のベッドの近くに居る人間だ、大したことはないだろう。
そう考えて、またまどろみに落ちて行こうとしている私に、またもや声が続けて返って来る。
「“んぅ”じゃない、起きるんだ。」
「…………。」
起きろ起きろと五月蠅いな、この人。
今日、何かあった日だっけ?
姫様の今日の予定は……何だっただろう?
まだ上手く動いていない頭を懸命に働かすが、どういうわけかいまいち上手く動かない。
寝る前、そんなに疲れる様な事をしたんだろうか?
とにかく、何か反応を返さなければ!
そう考えた私は、とりあえずうつ伏せの状態であった(あれ?いつもはうつ伏せでなんて寝ないんだけど?)ので、クルリと体を半回転させ仰向けになった。
「――っ!?」
近くの誰かが息を飲む音が聞こえる。
何か驚くような事があったのだろうか?
そして、次いで胸の辺りまでずれていた掛布が肩まできっちり掛けられた。
あ、暖かくなった。
これじゃ、このまま二度寝しちゃいそうだ。
けど、姫様の何かがあるなら起きなくちゃ……。
姫様の為なら眠いのなんて何のその!
頭の中でいつものように意気込み、私は薄っすらと、重たい瞼を持ち上げた。
視線の先には見慣れない天蓋。
……あれ?
私のベッドに天蓋なんて付いていなかったはずだけど?
寝ぼけてるのか?
それとも幻を見てるのだろうか?
そんな事を考えながら、ぼやけた視界をクリアにするために右手で擦り、次いで大きく伸びをして体を解した。
それから、少し視界を左横にずらす。
「……?………………………どわっ!!?」
「……漸く起きたか。」
私の左横――ベッドの脇に寄せるようにして置かれた、シンプルだが意匠の施された一人用の椅子に、優雅に足を組んで座っていたお方が、私の驚きで出た声と、あまりにも有り得ないそこに座っている人物の姿にしっかりと叩き起こされた頭が出した目を極限まで見開け(瞠目してしっかり見よ!)という指令が成された顔を見て、呆れたように零すようにそう告げた。
え?あれ?
なんでここにノクバース様が……?
通常より未だに動きが悪い遅い頭を働かせ、どうにか思い出したのはパーティでの出来事と、その後の治療行為。
ああ、そうだ。
私、あまりにも気持ちよくて寝ちゃってたんだ…………って!
ダメじゃん!!
しっかりと思いだされた記憶に、顔から血の気が失せた。
こんなお偉い方に治療させて、自分はのうのうと寝てたなんて!!
あ、謝らな――しゃ、謝罪をっ!!
土下座しようと、私は大慌てで体を起こそうとした。
すると――。
「っ!起きるなっ!!」
息を飲むと供に焦ったような大きめの声で命令され、彼は突然先程までの優雅さの欠片もない慌てた動作で椅子から立ち上がって私の肩をベッドに押し止めた。
え?何故に?
彼の行動にキョトンとしていると、ノクバース様は困ったような呆れたような表情で、忘れたのかと言わんばかりに私を見て来る。
「……今起き上がったら、その………………………………見える。」
「……?…………っ!?」
少し恥ずかしそうに視線を逸らされて、言い辛そうに間が空いてボソリと告げられた言葉に、私は何の事だと少し考えを巡らせ、先程の治療前の事を思い出す。
そして、一気に全身の血が顔に集中したかと思うほど、顔が熱くなるのを感じた。
さっき、治療前、私は、服を、脱いで――!
その上、掛布なんて掛けられていない状態で、しかも今は無謀にも、胸を曝け出している仰向けの体勢で――!?
慌てて、寝た体勢のまま、自分の曝け出されていると思われる胸元を見下ろす。
が、想像していた光景は見当たらなかった。
そこには、空気に曝された、人様に見せられる代物ではない貧相な胸(といっても、自分では平均的だと思ってはいるが)はなく、私の首元近くまで覆いかぶせるように掛けられた掛布が広がっていた。
あれ?
いつの間にこんなものが?
これぞまさしく魔法?
そんなアホな事を考えていると、ノクバース様は相変わらずの呆れたような困ったような表情で説明をしてくれる。
「治療中に寝てしまったから……治療を終えて、何度か体を揺らしても起きなかったから、このままでは風邪を引くと思い、いちおう被せておいた。
…………役に立ったような、少し残念なような……。」
最後の一言はボソリと言われたので良く聞き取れなかったけど。
なんだ。
ノクバース様が気を利かせて掛けてくれたのか。
良かった……ことない!
何させてんの、私!?
私は慌てて掛布の中でワンピースの前のボタンを止め(いちおう、服は肩までは上げるだけ挙げてもらってはいた。)、掛布をはがしてベッドの上に正座する。
そして、きちんとベッドに――膝の前に三つ指を揃えて、深々と頭を下げた。
「怪我の治療をしてくださり、真にありがとうございました。
そして、無意識下の事とは言え、ノクバース様に対しての度重なる無礼な振る舞い、大変申し訳ありませんでした。」
自分より身分が上のお方に(王子様の命令とは言え)治療させたり、その間に気持ちがいいからって寝ちゃってたり、気を遣わせて掛布を掛けてもらったり、寝ぼけていたとはいえ失礼な返事をしたりだとか……いろいろやっちゃった感が否めないので、血の気が失せるのを感じつつもとにかく真摯に謝罪した。
「……いや、構わない。
これも仕事だからな。」
そんな私の言葉に、ノクバース様はあっさりと謝罪を受け入れ、許してくれるという。
けれども、この世界は身分が重要視される世界。
これだけで許してもらうのは、もしかしたら後で何かしらの沙汰を申し付かる事があるかもしれない。
色々と面倒事に発展するかもしれないので――今まで聞いてきた噂から判断するにノクバース様は素晴らしい人格をお持ちの方(嫌味な意味でないよ?)らしいので、ほぼ絶対有り得ないとは思うが、もしかしたらこの事がどこかから漏れて貴族間に広まり、誇大な尾ひれ背びれが付く事があっても嫌なので、この場で何かしらの罰を受け入れて置く方が賢明な気がする。
そう判断した私は再度頭を深々と、それはもうベッドに着くのではないかと言う位のスレスレの位置まで頭を下げて、彼に告げる。
「本当に、申し訳ありませんでした。
この件に関しまして、罰を受ける覚悟はできております。
侍女の身でありますので、私にできる事は限られておりますが、何なりとお申し付けくださいませ。」
「………………。」
ちゃんと実家や職場に迷惑がかからないよう、遠回しに“私にできる事で”という意図を含ませてみた。
ノクバース様は頭の回転もかなり早くて良いと聞いているので、きっとその意図は簡単に伝わってくれるだろう。
私は黙ってノクバース様からの沙汰を待つ。
ノクバース様は椅子に腰かけ足を組み、腕を組んで暫く黙りこくって考えに耽る。
そして、何か思いついたかのように一つ頷き、私を見て仰られた。
「……なら、俺の婚約者になって貰おうか?
ニナーヴィア・ロウスツーヴル。」
「………………はい?」
ノクバース様は、至極楽しげな声音でその沙汰を告げた。
私はあまりにもよくわからない絶対にあり得ない聞き間違いの様な沙汰に、脳が受け入れを拒否していたのか暫し時間をかけてその意味をなんとか噛み砕き受け入れ、思わず顔を上げて不躾に聞き返してしまった。
かなり失礼な声音だったと思うが、この時の私は気付く事が出来ていなかった。
ってか、ノクバース様、何戯言言ってんの?
あと、言い方って言うか、一人称、変わってません?
さっきまで“私”じゃなかったですかね?
ついそんなことを考えてしまったのは、所謂現実逃避なのだと思う。
そんな私の思考や答えに対し、彼は特に気にした様子もなく――というか、何やら楽しげにニコニコと、噂通りの陽だまりの様な笑顔を顔に浮かべたまま、聞こえの悪い私の為に繰り返しもう一度告げてくださる。
「先程の罰として、俺の婚約者になれ――といったんだ。」
「………………婚、約者……。」
「そうだ。」
こんにゃく社とか言う会社じゃないよね?
半信半疑の声音で彼の言葉の一部――重要な部分を繰り返した私に、彼はハッキリと頷きながらそう述べたのであった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。