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今日も今日とて、私ことニナーヴィアは伯爵家にふさわしい令嬢となる為、日々の特訓に余念がないのです。
と言っても普通に伯爵令嬢として必要な知識を詰め込んだり、礼儀作法を学んだりするだけだけど。
いかにも貴族らしい大きな屋敷(今生の我が家)で、いつも通りに礼儀作法を極めていた私に、今日は珍しくもこの家の家長でもある父様から執務室へ来いとお呼び出しが掛った。
父様は普段、この時間帯はいつも王宮へと出仕している(父は王宮で働いている)はずなのに……珍しい。
これは何かあったのだろう。
もしかしたら、縁談の話?
確かに、そろそろ私は結婚適齢期である。
というか、バッチリ適齢期だ。
この国での貴族令嬢の結婚適齢期は14歳から20歳まで。
それを過ぎれば売れ残りなど何だのと言われてしまう。
だから、16歳の私にもそろそろ縁談の一つや二つ、有ってもおかしくないんだけど……。
見目は、特別美人だとか可愛いなどと言うことはない普通な私だが、我が家と繋がりを持ちたい貴族はいるはず(一応、伯爵家を冠しているし)なので、需要はあるはず……。
なかったら泣けるわ……。
でも、正直言って前世の感覚を持っている私は恋愛結婚がしたい。
決められた相手なんて、嫌だなぁ……。
けど、家長(父様)の言う事・決め事は絶対って考えの世界なので、私は断る事が出来ないだろう……。
叶うなら、私好みのショタ系細マッチョイケメンでお願いします。
……ま、そんなのは無理か。
そうこう考えていると、父の待つ執務室へと到着してしまった。
とりあえず気持ちを切り替えるように、一つ深呼吸をして呼吸を整え、扉をノックする。
コンコンと言うノックの後に中から聞こえてきた、この世界ではもう聞き慣れた父様の声が入室を促してきたので、私は作法に則って中へと入る。
父様の執務室は左右が壁――というか、書棚だが――に囲まれた、いかにも執務室ですと言わんばかりの部屋で、中央よりやや奥ばった位置に父様が現在座っている落ち着いた色合いの木製の両袖机があった。
その机の真正面――机を挟んで父と向かい合うようにして私は足を止め、淑女の礼を返した。
「ニナーヴィア、只今参りました。」
「うむ。」
父様は一つ頷いて、それから物凄く申し訳なさそうな表情で私を見上げてきた。
その様子は生前に飼っていたゴールデンハムスターの圭介を彷彿とさせて……。
現在の父であるにもかかわらず、可愛いとキュンとしてしまった。
これは前世の記憶がある弊害だろうか?
ま、そんなのはどうだっていいか。
今は父様だ。
てか、今日の父様は、髪の色が蒲茶色(これはいつものことだが)で圭介の茶色の毛の部分とよく似てるし、お召し物が白いシャツで、何だかいつにも増してより圭介を彷彿とさせる色合いだから……。
立てばそりゃ背は高いけど、今は座ってるから若干私を見上げる様な形になってるし、楕円形の目は真っ黒で……いや、これハムスターでしょ?
いやいや、これは父様です。
私が内心失礼な事を考えているなんて知る由もない父様は、コホンと一つ咳をし気持ちを切り替えるように呼吸をし、真摯な表情へと変えて私をしっかりと見据えた。
「今日は、お前に話さなくちゃならない事があって喚び出した。
そこへ座りなさい。」
そう言って父様が促したのは、部屋の片隅に置いてあるソファー。
焦げ茶色の、全く華美でないシンプルな、机を挟んで対面するようにして部屋の片隅に置かれているソファーだ。
父様に促されるまま、私はソファーに腰をおろす。
すると、父様も私に対面するように目の前のソファーに腰を落ち着けた。
それを見計らったかのように、この家の優秀なメイドが部屋へ入ってきて、私達の前に美味しい紅茶を静かに置いて退室した。
父様はそんなメイドが淹れてくれた紅茶を一口飲み、一息吐いてから改まった様子で私に向き合った。
そんな父様に倣って、私も紅茶を一口飲んでからカップをソーサーに置き、彼と同じく真剣な表情で父様の瞳をジッと見返したのだった。
「お前も薄々は分かっていただろうが、つい先日、国から達しが来た。」
そう口火を切った父様に、私はいよいよ結婚の話かと何となく感慨深いような哀しいような何とも言えない気持ちを抱えながら、彼にコクリと一つ頷いて見せた。
もう、覚悟はできていると言わんばかりに。
そんな私を見て、父様は困ったように情けなさげに苦笑を洩らしてまた口を開く。
「そうか……お前も分かっていたのだな。
ならば話は早い。
今日から三日後、お前は行儀見習いも兼ね、昨年末に御生まれになられた幼姫様付きの侍女として後宮へと入る事となった。」
「……あれ?」
父様の言葉を聞いて、私は思わず意味が分からないとばかりの声を洩らしてしまう。
だって……あれ?
ちょっと待ってね?
おかしくね?
行儀見習い?
幼姫様付きの侍女?
……え?
結婚話は?
訳が分からず、私は目を丸くして父を見つめる。
すると父様は、どうした?と不思議そうに私に向かって小首を傾げていた。
その動作も圭介を彷彿とさせて……。
だって、圭介もよく私を見ては小首をかしげていたんだもの!
って、そうじゃない。
今は父様にキュンとしている場合じゃない。
え?でも、だって……?
「私の、婚約、または結婚の話なのではないのですか?」
「……は?」
今度は父様が先程の私同様、口を開いて目を丸くさせ、意味が分からないとばかりの表情となっていた。
あれ?
何だか、二人して意志の疎通が出来てない。
食い違ってるぞ?
なんだ、なんだ?
どうした、どうした?
私がとりあえず考えを――父様の言った先ほどの発言を頭の中で反芻し始めると同時に、父様はどうにか気持ちを切り替えていたようで口を開く。
「いやいや、お前の婚約・結婚話はまだないよ?
いや、正確には幾つか来てはいるけど、まだ、私は決めるつもりはないからね?」
「……そうなのですか?」
父様は先ほどまでの家長然とした対応をやめて、いつも通りの父としての砕けた物言いで返してきた。
それに私はキョトンとした表情で返す。
……え?でも、なんで?
そんな気持ちが父様に伝わったのか、彼は苦笑の様な穏やかな優しげな表情で私に諭すように言う。
「ああ。
一人娘には――お前には、幸せになって貰いたいからね。
十分に吟味して、それから決めようと思う。
それまでに――この行儀見習いが5年だから、その間にお前がどうしても結婚したいという男が現れたら私に言いなさい。
私と母で十分に品定めして、それからどうするか考えるから。」
つまり、行儀見習いの5年間の内に恋愛するか、またはこの人!と思うような人が現れたら、父と母が検討して結婚させるかどうか決めると。
もし、この5年の間にそんな人物が現れなかったら、父様が決めた人物と結婚となる――というわけか……。
う~ん……期限付きだけど、いちおう恋愛結婚が出来るかもしれないから、いっかな?
前世の件含め、私に男の人を見る目があるかは分からないし、この優しい実直な父が探す人なら、早々おかしな男性に当たる事はないだろうし……。
「分かりました。
では、とりあえず行儀見習いへ行ってまいります。」
「うんうん……って、今日からじゃないよ、ニナ?」
あ、勇み足だった。
早速とばかりに立ち上がった私に、父様は優しげに苦笑して私の動きを止めた。
それから私は、今日は仕事がお休みだと教えてくれた父様と一緒に他愛のない親子の時間を紅茶を飲みながら過ごすのであった。
こうして、私の侍女生活が幕を開ける事となった。
此処まで読んでいただき、ありがとうございました。






