五章 詰め
現場にあった携帯電話から、私はある推理をしました。捜査の方向性を見失っていた私たちにとって、それはかなり大きい転機でした。可能性があるなら、調べる価値がある。ゆえに私たちは、ある仮説を基に動くことにしたのです。
京太さんが逮捕された翌日、授業を終えた私と啓介は、例によって自習室へ行き、ある人からの連絡を待っていました。心待ちにしていた電話は、四時くらいにかかってきました。啓介の携帯が震えます。
「もしもし」
通話の状態にして、啓介が呼びかけます。私の耳には、聞き覚えのある声が微かに届きました。
「ええ、待っていましたよ。鷹井さん」
相手は、鷹井さんでした。京太さんの取り調べについての情報を、ずっと待っていたのです。まず、彼からの報告を残らず訊き、それから私があらかじめ上げておいた質問を啓介にしてもらい、最後に、
「日橋麻子の携帯の通話記録を調べてもらえますか」
そう頼んでもらいました。なんとかやってみるという前向きな返答をもらい、電話を切ります。
今した話題は、大きく分けて三つでした。
まず、京太さんの取り調べについて。彼はずっと金銭トラブルによる犯行を主張していて、事件当日の行動についても筋が通っているそうです。ただ、剣路さんもバカではないので、私の話にも一理あると考えたようで、裏づけをさせているとのことでした。
二つ目は、事件当日に現場付近で京太さんが目撃された時間帯についてです。鷹井さんからの話だと、十七時十五分から、十七時四十五分の間辺りでした。電話が切れたのが十七時二十分なので、ズレはありません。ですが、私の持つ考えを通すと、彼が犯人である証明ではなく、まったく違うことを示すことになります。
最後は、啓介に頼んでもらった通話記録の件です。仮に私の推理が合っていれば、何かが出てくるはずでした。
「囲い込みの準備はこんなところかな」
「そうだな。頼んだことに関しては、結果を待つしかない」
私が息を吐くと、啓介も肩の力を抜きました。今、頭にある推理の正否は、情報が揃わなければ判断のしようがありません。ただ、揃いさえすれば、判断は難しくありませんでした。
ただ、待つだけではどうしようもない部分が二つほどあります。そのうちの一つに関しては、
「それじゃあ、もう一度三山さんのところに行こっか」
彼女に会う必要がありました。啓介と一緒に自習室を出て、昨日、一昨日に続き、私たちはまた日橋さんの家へ向かいました。
「あら、啓介くんに沙夜ちゃん。また来たの」
日橋さんの家には、まだ三山さんがいました。そろそろ自宅に戻ってしまっているかもと思っていたので、安心します。
「ええ、まあ。天音さんは、どうしてますか」
「天音ちゃんは……。まあとにかく、上がって上がって。話してあげるから」
他人の家へ、我が物顔で客を上げます。今更、何も言いはしませんが。彼女に従い、私たちは中へ入りました。
「それで天音さんは」
「意外に沙夜ちゃんはせっかちね。別にいいけど。天音ちゃんなら、騒ぎはしなくなったけど、ずっと部屋の中で塞ぎ込んでるわ。ご飯は食べに出てくるから、色々訊いてみたけど、何も教えてくれなかった」
廊下を通り、リビングに着きます。三山さんは、お茶を淹れにキッチンへ行きました。
「天音さんと話すのは、無理そう、かな」
「かもな。でも、一回試すくらいはした方がいいだろ。後で行こう」
「そうだね」
イスに並んで腰掛け、言葉を交わします。そのうちに、三山さんが戻ってきました。私たちの前に、お茶を置いてくれます。
「はい、どうぞ」
「あっ、ありがとうございます」
「どうも」
「どういたしまして」
私たちのお礼に彼女は微笑して、席につきました。
「それで、今日はどんな用事?」
本題を促され、私は背筋を伸ばして、問いを口にしました。
「ちょっとだけ、お訊きしたいことがあるんです。三山さんは、麻子さんとよく連絡を取っていたんですよね」
「ええ。前にも言ったとおりよ」
「前に話したばかりの話題を、麻子さんが覚えていなかったなんてことはありませんでしたか」
最初、彼女はキョトンとしていましたが、思い当たることがあったのでしょう。身を乗り出して、
「どうして分かるの?」
高い声を上げました。
「理由はまだお話できません。それより、そのときの詳細を教えてもらえませんか」
興奮した様子の彼女を制し、次に進みます。向こうも一旦自分を落ち着かせ、座り直しました。
「確か先月辺りのことなんだけど、麻子とテレビドラマの話をしたの。すごく盛り上がったから、次の週に電話したときも話題に出したのよ。そしたら麻子が、『そんな話したっけ』って言ってきたのよ。あの子、人並みに記憶力は持ってるから、相当盛り上がった話題なら忘れないはずなのに、忘れてた」
「確かですか」
今度は私が腰を浮かせました。ひるみながらも、三山が返答します。
「え、ええ。こんなこと、嘘つかないわよ」
糸が、繋がりました。
「ありがとうございます。色々と確信に近いものが持てました」
「確信って、どういうこと?」
私の発言を、三山さんが不思議がります。ですが、
「それは後々話します。今は、天音さんのところに行くので、失礼させてください。部屋にいるんですよね?」
問いには答えず、立ち上がりました。啓介も同じようにします。
「えっ、ちょっ、ちょっと」
彼女が慌てた様子を見せましたが、気にとめずに啓介とリビングの扉へ向かいます。ふと思ったことがあり、振り返りました。
「言い忘れてました。もしかしたら、三山さんがいると話をしてくれないかもしれないので、ここにいてもらえますか」
「な、なんで私がいると話してくれないかもしれないのよ」
三山さんが立ち上がり、どもりながらも問い詰めるような口調で尋ねてきました。今度は要望に応え、理由を告げます。
「あなたが、麻子さんの友人だからです」
「なっ」
目を見開き、彼女は絶句しました。裏に、自分の知らない友人の影を感じたためでしょう。硬直している間に、私たちはリビングを出ました。
「珍しいな。沙夜が嘘つくなんて」
声を小さくして、啓介が言いました。苦笑いを返します。
「あれくらいのこと言わないと、ダメそうなんだもん。むしろ、あれでもまだ盗み聞きの可能性はあると思うよ」
彼女のいないところで天音さんと話をしたいのは本当ですが、私が三山さんへした説明は、まったくの嘘でした。できるかぎり、こっちの指示に従ってもらうために、釘を刺したのです。ただ、性格的に開き直って聞きたいと思う可能性もありました。正直、賭けです。
「実際、あの人が指示を破って聞きに来たらどうするんだ?」
「そのときはそのときかな。それに、盗み聞きならまだ大丈夫だよ。口を挟んでさえこなければ」
そんな会話をしながら、階段を上がり、天音さんの部屋の前へやってきました。扉を叩きます。
「天音さん。西野です。お話したいことがあるので、入れていただけますか」
すぐに返事はこず、沈黙が流れます。ダメかもしれないというのを、啓介と顔を見合わせて伝えます。
「天音さん」
名前だけ呼んで、もう一度叩きます。しばらく待って、また叩こうとしたところで、扉が少し開きました。元気のない天音さんの顔が覗きます。
「お話とは、なんでしょうか」
声にも、生気がありません。やはり、麻子さんの死よりも、京太さんが逮捕されてしまったことの方が響いているようです。
「ご両親についてです。ある程度は聞いていますが、色々とできるかぎり詳細に教えていただきたいんです」
切に訴えると、天音さんはうつむき加減になり、しばらくしてから、
「いいですよ。お話します」
小さな声を出し、私たちを誘うように部屋の扉を開け放ちました。
「ありがとうございます」
私は扉に手をかけ、お礼を言いました。彼女は何も返事をせず、背を向けて部屋の中へと戻っていきます。
「それで、具体的には何を聞きたいんですか?」
どこか投げやりに言って、ベッドの上に座りました。怒っているというより、関心がない様子でした。私たちをどこかへ促すこともしなかったので、勝手に隣へ座ります。チラッと見られましたが、文句は言われませんでした。啓介は、立ったまま壁に寄りかかっています。
「そうですね……、まずは別居する前のご両親について、話してもらえますか。いつも楽しそうだったとか、喧嘩ばかりだったとか、なんとなくどんな感じだったか程度でいいので」
「お父さんとお母さんですか……」
繰り返して、床へ目線を向けます。下をというよりは、どこか遠くの記憶を覗いているようでした。
「私から見たかぎり、両親はかなり仲がよかったです。お父さんはあんまり感情を表に出さなかったですけど、いつもお母さんを気にかけていて、お母さんも他の人は分からないお父さんの考えを理解していました。以心伝心、という感じですかね」
私たちのようなものでしょうか。京太さんほどではないと思いますが、啓介も感情を表に出すことが少ないのです。それでも、何を思っているのか、機嫌はいいのか悪いのかとか、私には分かります。麻子さんも同じだったのでしょう。
「でも、私には分からなかったです。お父さんが楽しそうなのか、悲しんでいるのか、もしくは疲れてるのか。お母さんにだけ分かったんです」
私たちに向けてしゃべっているとは思えないくらい、彼女の語りは独白のようでした。
「でも、小学生に上がって何年かしたくらいから、私にもお父さんの感情が、なんとなく分かるようになりました。中学生の頃にはさらに理解が深まってましたよ」
ほんの少し、声が弾んだ気がしました。しかし、すぐに沈んでしまいます。
「そのくらいからです。お父さんが家にあまり居着かなくなったのは」
例の疎遠関係の始まりのことのようです。この理由に、私はまだたどり着けていません。
「理由は以前も言ったとおり、分かりません。ただ、両親の仲が悪くなったからではないと思います。むしろ、離れたおかげで余計に深まったように見えましたし」
「深まった、ですか」
「はい」
疑念を含んだ私の言葉に、天音さんはうなずきました。
「月に一度の食事でも、明らかでした。お父さんの態度は変わりありませんでしたし、お母さんも素っ気ないふりをしてましたけど、間違いなく互いへの愛情は強まっていました。ずっと近くで見ていた私には分かります」
声は弱いですが、揺らいではいません。彼女へはまだ、本当は京太さんと麻子さんの夫婦仲がよかったという私の推理伝えていません。にも関わらず、すでに彼女は強い確信を持っていました。鷹井さんから聞いた、警察からの取り調べのときとは、まったく主張が変わっています。どうやら、こちらが本音のようです。
「そう思っていたなら、どうして警察からの取り調べで、正直に言わなかったんですか」
なので、疑問でした。なぜ隠したのでしょう。
「それは……」
言い淀んだ彼女の雰囲気に、一瞬だけ、異様なものを感じました。しかし、すぐ元に戻ったため、なんだったのか分かりません。
「お母さんが死んでも、お父さんが何も言わなかったからです。事情は今も分かりませんが、お父さんが黙り続けているのに、私が話せるわけないじゃないですか」
先ほどのことなどなかったかのように、表面上は特に問題のない理由を口にしました。
と、壁にもたれる啓介の眉が、ピクリと動きました。どこかおかしいようです。気になりましたが、後で確認することにします。
「なるほど」
とりあえず、天音さんにはそう言っておきます。それから、別の切り口にいきます。
「では、どうしてご両親は、わざわざ別居までして仲の悪いふりをしていたと思いますか」
問いかけると、彼女はゆっくりと顔を上げ、私の方を向きました。目を細くし、穏やかに怪しい笑みを浮かべます。
「どうしてだと思いますか?」
逆に尋ねてきました。どこか、壊れてしまっているような感じすらあります。私は背筋が凍る思いがしました。何かがおかしかったのです。
「私たちには、まだ分かりません。だから、天音さんにお訊きしたんです」
それでも、正直な答えをし、再び回答を求めます。すると彼女は、また床へと目を戻し、
「私にも分かりませんよ。まったく、ね」
力ない口調で言いました。これ以上、この話題で情報を引き出すのは無理そうです。次に移ります。
「そう、ですか。なら、それはもうかまわないです。別のことをお尋ねしていいですか」
「ええ。いいですよ」
どこか投げやりな口調でした。
「お父さんが捕まったとき、ずいぶん取り乱してましたよね。お母さんが亡くなったときとは、段違いに」
昨日から、ずっと疑問に思っていたことでした。あまりに、彼女の反応は差が大きすぎました。
「ああ、そのことですか」
ぼんやりとした声でした。かすかに、唇の端を持ち上げています。
「昔から、私はお父さんっ子だったんです。お母さんが殺されたのもかなりショックでしたけど、それ以上にお父さんがいなくなってしまうのは、辛いんです。娘が言うのはちょっと変かもしれないですが、お父さんが大好きなんです。お母さんの何倍も」
「なるほど」
両親のうち、どちらかへの愛情が大きくなることは、それなりにあります。天音さんの場合もそれだったようで、簡単に言えばお母さんよりお父さんの方が好きだったわけです。
ただ、私は引っかかるものを感じました。奥底に、まだ何かを隠しているような気がしたのです。
「何か、他にも訊きたいことはありますか」
下へ向けた目線は動かさないまま、彼女は確認してきました。私は腕組みをしてしばらく考えてから、
「いえ、今日のところはけっこうです。協力してくださって、ありがとうございました」
お礼を言って、頭を下げました。
「どういたしまして」
最後も、彼女は顔を上げませんでした。
天音さんの部屋を出た私たちは、そのまま日橋さんの家もあとにしました。駅へ向かいます。得られた情報を整理する前に、まず啓介へ確認を入れます。
「啓介、天音さんが警察の取り調べで、本当のことを言わなかった理由を話したとき、何か気づいたでしょ。何がおかしかったの?」
「簡単なことだよ。日橋天音は理由として、事件発覚後に京太が何も言わなかったからだと話したが、あの日京太と顔を合わせたのは、事情聴取の後のはずだ。あの女が聴取のときに、京太の様子から話すことを判断できたわけがない」
「あ、そっか」
そういえばそうでした。京太さんが来たのは、彼女の事情聴取の最中です。
とすれば、彼女はまた嘘をついたことになります。両親の仲がよかったのを隠したのには、別の意図があるはずです。
脳をフル回転させます。犯人は、三山さんとの会話で確定できました。じきに、鷹井さんから証拠も手に入るでしょう。後は、動機でした。なぜ、“あの人”は麻子さんを殺さなければいけなかったのか。ずっと疑問に思っていた部分です。
「分かんないな……」
私はそうつぶやいて、頭をガリガリとかきました。傍らの啓介が、気負いなく言葉をかけてきます。
「あんまり、思い詰めるなよ。絶対に捕まえてやろうとか、そういう情熱があるわけでもないし」
「ありがと。確かにそうなんだけど、あと少しで掴めそうなんだもん。思い詰めもするよ」
私は感謝しつつも、そう返しました。あと一ページで終わる本を一旦閉じる人は、そうそういません。
「そうか。無理はするなよ」
「うん」
微笑する啓介に、私はうなずいてみせました。
「そういえば、何について考えてるんだ? 犯人もトリックも分かったんだろ。後、何かあるか?」
いかにも、啓介らしい発言でした。人の心なんて、私のしか興味がないのです。犯人の動機という考えがないのも、そのせいでしょう。
「動機だよ。そこまで解き明かさないと、私は駄目だと思うの」
「動機を? でも、ドラマとかだと、それは分からないまま犯人を挙げて、動機を話させることも多いじゃないか。なんでわざわざ」
啓介は納得いっていないようでした。言っていることは間違っていませんから、当然かもしれません。本来、探偵は犯人を挙げて事件を解決すれば、後は領分ではなくなるのです。
しかし、私はそう考えられませんでした。特に今回の事件は。
「うん。啓介の言うとおり、本当なら解く必要のないものなの。でも、動機だって事件の一部でしょ。そこまで解き明かして、初めて推理は完成って言える気がするんだ。それに、今度の事件の動機は、もう少しで分かりそうなの。だから、なんとか突き止めたい」
“あの人”が犯人ではと仮定した昨日からずっと、私の心中にはもやもやしたものがありました。疑問を感じたからではなく、核心へ至る何かを手にしているのに、それがはっきりしないことからくるものでした。
「なるほどな。動機か」
啓介は、私の考えに否定を示すことはほとんどありません。確実に間違っているときくらいです。
「俺には、正直想像もつかない」
考えて数分と経たないうちに、啓介はギブアップに近いことを口にしました。観察力があるので、動作から感情を読み取るのは得意ですが、結果から動作を行った理由を導くのは苦手なのです。
「日橋麻子が死んだことで変わることなんて、日橋天音の保護者として、京太が家に戻ることぐらいしかないし」
何気ない啓介の一言が、私に閃きをもたらしました。そうです。麻子さんが亡くなれば、天音さんの保護者として、“京太さんが家に戻る”のです。
「啓介、それだよ」
「えっ?」
啓介は、なんのことか分からないようで、訝しげな表情を浮かべていました。着眼点はいいのに、それを推理に繋げられないのです。
「“あの人”は、そのために麻子さんを殺したんだよ」
言動と態度が、繋がっていきます。この殺人で、犯人は檻を作ろうとしたのです。認められることのない愛情のために。