深夜の夕方チャイム
何処か懐かしい音楽が流れる。
懐かしさとは裏腹に、聞いた事のない音楽だった。
それでも、何故か子供の頃を想起させる、懐かしさを感じさせる音楽。
「美奈……」
助手席に座る男が呟くのが聞こえる。
自分の娘の名を呟きながら、手に持った数珠を頻りに弄っている。
「どうします?」
答えは決まっている。
分かっていながら、聞くだけ聞いてみる。
一縷の望みをかけた問いでもあった。
「行くに決まってる」
その返答に溜息が出そうになる。
今は、深夜二時を回っていた。
そんな時間に山の中に響く音楽が真面な訳が無かった。
その上、ここが心霊スポットなのだから、確実に真面な状況じゃない。
できるなら、すぐにでも帰りたかった。
音楽は続いている。
音源は定かではなかった。
行くと言われても、何処に行くべきかも分からない。
どうするべきか思案しながら暫く音楽を聴いていると、音楽に声が混じる。
聞いた事のない、女性の声だった。
『二時になりました。皆さん、気を付けて帰りましょう』
まるで、夕方に防災無線から流れるチャイムの様だ。
だが、これがそんなものでない事くらいは分かる。
深夜の山の中。
あまりにも、この場に似つかわしくない放送だった。
『帰る時は、灯篭に沿って帰りましょう』
言葉が続く。
その言葉に辺りを見渡せば、道を逸れる様に、明かりの灯った灯篭が並んでいるのが目に入った。
ご丁寧に、車が一台通れるほどの道まである。
「……さっきまで、ありませんでしたよね?」
助手席の男に話しかけるが返答は無かった。
視線を向ければ、男が、食い入るように灯篭を凝視している。
「古嶋さん?」
もう一度、声を掛ける。
男……、古嶋さんが小さく身じろぎするのが分かった。
「行こう」
短く言われる。
何処に行くのかは分かり切っていた。
「待ってますから、一人で行ってくれませんか?」
冗談じゃなかった。
こんな状況に、これ以上首を突っ込みたくない。
だが、古嶋さんは納得した様子は無かった。
「美奈が待っているんだ」
今度こそ、溜息が出た。
古嶋さんには悪いが、俺には関係ない事だ。
「娘さんを探したいのは分かりますが、俺は、ここまで貴方を乗せてくるだけの約束ですよ」
心霊スポットに肝試しに行って、そのまま行方不明になった娘を探したい。
気持ちは分かるが、これ以上巻き込まれるのは御免だった。
そもそも、俺は、娘さんが古嶋さんの家の車ごと行方不明になったので乗せていってほしいと頼まれただけだ。
「頼む」
言われるが、この先に行ったら、戻って来れるかも怪しい。
オカルトを信じていた訳ではないが、この状況を楽観できる程に俺の肝は太くない。
「貴方とご近所とは言え、命を懸ける様な関係じゃないでしょう?」
「……なら、車を貸してくれ」
それで、古嶋さんが帰って来なかったら、俺にどうやって帰れというのか。
娘が大事なのは分かるが、自分勝手だと思った。
「……危ないと思ったら、すぐに引き返しますよ」
悩んだが、古嶋さんが血走った目で此方を見ているのが分かって頷くしかなかった。
断れば、無理やりにでも車を奪われかねない。
「……これは、普通の状況じゃないです」
「分かっている」
「俺は、貴方の娘さんと同じ大学に通ってるだけで、貴方とも娘さんとも親しい訳じゃない」
「……ああ」
「貴方よりも、貴方の娘さんよりも、俺の命が優先です。約束してください」
「……分かった」
分かっていないだろうな。
切羽詰まれば、俺の事など二の次にするだろう。
それでも、行くしかなかった。
古嶋さんが、バッグに工具やら何やら詰め込んでいたのは知っている。
下手に断れば、殺されかねない雰囲気が古嶋さんにはあった。
「出しますよ」
アクセルを踏む。
車が進み、灯篭のある場所まですぐに辿り着いた。
「………………」
言葉が出ない。
普通の光景ではなかった。
石畳が山の中に伸びており、その脇には、灯篭が何処までも並んでいる。
『そのまま真っ直ぐに進みましょう』
また、女性の声が響いた。
どうやら、この道を進ませたいらしい。
「……引き返すなら今ですよ?」
「……進もう」
古嶋さんの言葉に、やむを得ずアクセルを踏み込む。
アスファルト程に平らではない。
車が僅かに跳ねる。
それでも、舗装されている事には変わりはない。
速度を出さなければ問題はなさそうだった。
『そのままです』
また、女性の声が響く。
音楽も鳴ったままだ。
だが、徐々に音楽に違和感を覚える。
意識を僅かに傾けてみれば、音楽に僅かに不協和音が混ざっている。
『進みましょう』
音楽に、また、不協和音が混ざる。
それが、俺を不安にさせた。
助手席の古嶋さんを見る。
バッグに手を突っ込み、蒼白な顔で前を見つめていた。
『もう少しです』
音楽は、不協和音混じりどころではなかった。
既に元の音楽の原型はなく、不協和音を不気味に奏で続けている。
ハンドルを握る手に力が入る。
前だけを見る。
そうしないと、何か、余計なものを見てしまいそうだった。
『お帰りなさい』
その声と共に道が終わる。
開けた場所に出た。
ブレーキを踏み、車を停車させる。
「ここは……?」
車のライトに照らされているのは、村とも、集落とも言えない様な場所だった。
廃屋が数件並んでいる。
後は、数台のボロボロの車がだけだ。
「……家の車だ」
古嶋さんが呟く。
古嶋さんの視線を追えば、他の車より多少はマシな状態の車があった。
それでも、酷い状態だ。
走れる状態ではないだろう。
「美奈! 居るのか⁉」
叫びながら古嶋さんが車から飛び出す。
そして、古嶋さんは近くの廃屋に入って行った。
それを見届けて、車を動かす。
Uターンさせ、何時でも逃げられる様に来た道に車を向けた。
「帰る訳にいかないよなぁ……」
自然と言葉が漏れた。
置き去りにするのは流石に気が咎める。
「………………」
後部座席から懐中電灯を引き寄せ、辺りを照らす。
何て事のない廃屋の集まりに見えた。
それでも、深夜に見て気持ちの良いものではない。
やはり、何処か不気味だった。
「あれは……?」
視界の端に何かが映った。
懐中電灯に光を向ける。
廃屋に挟まれた、それほど広くない空間。
そこに、それはあった。
崩れかけた、何かの祠。
それを見た瞬間、怖気が走った。
冷や汗が噴き出す。
呼吸が荒くなり、心臓の音は煩い程だった。
歯の根が合わない。
恐ろしいのに視線を外せない。
何が恐ろしいのかは分からない。
それでも、心の芯から恐怖していた。
全身が震える。
どれだけそうしていたか分からない。
ただ、その祠を見続けた。
あそこには、何かが居る。
それだけは確信できていた。
「居たぞ!」
不意に声が響いた。
古嶋さんの声だった。
その声で、初めて身体が動く。
視線を声のした方に向ければ、古嶋さんが三人の若い男女を連れて廃屋から出てくるところだった。
「早く乗って!」
全力で叫ぶ。
こんな所、一秒でも居たくなかった。
ギアをドライブに入れ、ブレーキを踏み込んでサイドブレーキを解除する。
何時でも出発できる状況にして、古嶋さん達を待つ。
僅かな時間しか経っていないが、それでも気持ちは焦れていた。
焦れたまま、視線を前に向ける。
その瞬間だった。
灯篭の光が次々に消えていく。
まるで幻だったかの様に道が消えていく。
気付けば、目の前は、木々に覆われていた。
道など無い。
車どころか、徒歩でさえ通るのは難しそうな程に草木が生い茂っている。
悲鳴を上げそうになった。
実際に上げなかったのは、自分がその悲鳴を飲み込んだからではない。
背後から悲鳴が響いたのだ。
数人の男女の悲鳴だった。
振り返る。
古嶋さん達が、何者かに襲われていた。
人の形をした何か。
着物を着た女性に見えた。
ただ、人間とは思えないほどに目は吊り上がり、口は耳まで裂けている。
その何かが、古嶋さんの首を絞めていた。
けたたましい笑い声が響く。
あの何かの裂けた口から聞こえているとすぐに分かった。
傍にいた男女は腰を抜かした様に座り込んでいる。
古嶋さんは持ってきた物であろうハンマーを必死に振り回していたが、その何かに通用している様には見えなかった。
また、誰のものともつかない悲鳴が上がる。
その悲鳴と共に、古嶋さんの手からハンマーが滑り落ちる。
もう、古嶋さんの身体に力が入っていないのは明白だった。
ギアをニュートラルに入れ、サイドブレーキを引いて飛び出す。
思わず、その何かに殴りかかっていた。
拳が、その何かの顔に当たる。
石でも殴ったかの様な感触だった。
痛みを堪えて、ハンマーを拾う。
今度は、ハンマーを何かに叩きつけた。
何度も叩きつけた。
何度も、何度も、何度も……
その何かが、此方に視線を向ける。
笑っていた。
全身が震える。
思わず後退った。
どうしようもない絶望感が心を支配する。
ふと、あの祠が目に入った。
思いつきでしかない。
それでも、走った。
祠に向かって走った。
背後から、あの何かの声が響く。
笑い声ではない。
何処か焦りを感じさせる怒りの声だった。
走った勢いのまま、祠に蹴りを入れる。
元から壊れかけていた祠が、それで完全に崩れた。
中から、何かが転げ落ちる。
見れば、それは小さな石像だった。
人間の女性の様な形の石像。
すぐに、あの何かだと分かった。
ハンマーを振りかぶる。
背後から、絶叫の様な声が響いた。
構わずハンマーを振り下ろした。
石像が砕け散る。
背後から、また、絶叫が響く。
構わず、ハンマーを振り下ろし続ける。
石像が粉々になっていく。
何度ハンマーを振り下ろしたか分からない。
ただ、無我夢中だった。
背後から、首を絞められた。
渾身の力で振り払う。
振り向けば、あの何かが目前に居た。
血走った目。裂けた口からは呻き声が漏れている。
怖気そうな心を奮い立たせて突き飛ばす。
先程までの様な、どうしようもない圧倒的な力は感じなかった。
それでも、組み付かれた。
振り払おうと藻掻く。
振り払えなかった。
「手を貸してくれ!」
そう叫んだ瞬間だった。
不意に、車のエンジン音が響く。
視線を向ければ、古嶋さん達が、俺の車に乗っていた。
車の前には、また、道が出来ている。
「おい! 置いていく気か⁉」
叫ぶが、車から降りてくる気配はない。
運転席の古嶋さんが振り返ったのが見えた。
その顔は恐怖に歪んでいる。
「待て!」
叫ぶが、車は動き出す。
灯篭に明かりの灯らない道に向かって去って行く。
そして……
「古嶋ぁぁぁぁぁっ!」
俺の叫びが、山の中に木霊した。
ある山の中。
一つの噂話がある。
深夜二時、夕方のチャイムの様な放送が流れるというものだ。
放送の指示に従って進むと、廃屋の建ち並ぶ場所に出る。
そこに辿り着いてしまうと、普通には帰って来れない。
だから、指示に従ってはいけない。
もし、それでも、そこに辿り着いてしまったら、放送から聞こえる男の指示にだけ従うと良い。
そうすれば帰って来れるだろう。
男の指示の前には、必ず何かを砕く音が聞こえる。
その音が聞こえたら耳を澄ませ。
絶対に聞き逃したらいけない。
男の指示に従い、流れ続けていた音楽が消え、石を砕く様な大きな音と共に出される最後の指示を聞く事が出来れば元居た世界だ。
男の最後の指示。
それは……
『古嶋を連れて来い』
と、いうものらしい。




