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それでも青はひた走る

作者: 碑文谷灯
掲載日:2026/05/12






ヨゾナにとって、世界はとても窮屈だった。


決められた髪の色、決められた姿勢、決められた過ごし方。


だが、誰も違和感を抱かない。



流石に可笑しいと気が付いた切っ掛けはと言うと、30歳になった彼女の息子の瞳が、異端とされている青であり、更には、1番危険視されている白髪を持って生まれて来たーーその結果、2人して、今こうして籠に入れられて運ばれている最中だった。


5歳になったばかりの彼は、嘗ての5歳の時の自分よりも、随分と大人しかった。

遠い過去の記憶だが、それでも、こんなにも揺れる籠の中で、母親の膝を借りて安らかな寝息を立てていられるなんて。


しかし、何と言っても気になってしまい、つい、向かう視線の先には、面妖な黒い狐の面を被った剣士が居た。

肩の部分が破けた仕様になっているらしい裾から生え出た筋肉質な腕を組んで、籠の隅っこで両足を放り出して、壁に寄り掛かっているその男は、不思議と彼自身が細身であるからかこんなにも狭い空間で近くに居ると言うのに全く圧を感じなかった。

父が彼を警護として付けてくれたと風の噂で聞いたが、本当だろうか。家の定めた相手の元に、私が17歳の時に嫁いでから、あの男とは、一切口を利いていないのだ。


ーー馬鹿らしい。信じられる訳がない。こんな世界。


青い地毛を真っ黒に染められて、薄ぼやけた灰色の瞳も伏せて隠してはいたが、ついぞ、夫には気に入られなかった。


寧ろ、生まれ持った自身の黒髪と金の目を指差して、私を睥睨する様に見下ろしながら、「お前の所為でこんな出来損ないが生まれたのだ」と罵られた。

やはり、当初の印象から何も変わらなかった。彼は初対面の私に対して、ふん、と気に入らなさそうな目を向けた後、目も合わさずに義務的な話しかしなかったのだ。


母が断ろうとしていたが、兄と父は後ろ向きな母の話には首を振った。話を遮る形で、これで良いと重々しく告げた祖父の意向で、私の嫁入りは決まった。


私には初めから何も無かったのかもしれない。


そもそも、この世界に、この髪色とこの瞳の色で生まれて来た者同士の息子ぐらいしか、私は、敵ではないと思えなくなっていた。


「世界は、いつから青かったのかしら。」


籠の外で白い鴉が鳴いていた。あの翼は、月蝕の日の陽の光にやられたのかもしれない。

白い白鳥は黒に、黒い猫は赤に、青い蝶は黄色へと変わってしまったその瞬間を、私は見た事があった。何れも、何故か、他の目撃者は見つからなかった。

論文はあるし、それは存在を認められているのに、何故か、誰も興味を持とうとしなかった。まるで、そうあれと世界から暗示を掛けられているようね、と、呟いた過去の旧友は、今はどうしているだろう。まだお下げ髪のままなのだろうか。


不意に、振動が止まった。少し前から、荒れ狂う海に浮かんだ船にも似た揺れは無くなっていたが、剣士が自然とこちら側に滑り落ちて、私と息子も壁に背を付けなくてはならない程の急勾配になっていた道も終わったらしい。


今は、何時だろうか。


「奥様、お降り下さい。」


肩を揺すり起こした息子は、目を擦りながらも、私の手を掴みついて来た。剣士の男も、遅れて静かに降りて来た。


「奥様、その者にこちらを待たせて下さい。」


……蛙。言われた事には従う事、と言い付けられていた私は、逡巡を頭から振り払い、息子に油でギトギトの蛙を渡した。

布越しで触っていたとは言え、妙な心地になった。今直ぐに手を洗いたくなったが、もう少しの辛抱だ。


青い生き物を渡されて、それを見つめた息子は、私の方を見上げた後、黙って後ろをついて来た。聞くよりも、その時を待つ方が早いと判断したのだろう。何となく、その姿が、優しかった弟に重なって見えた気がした。


「奥様のみ、此方をお渡り下さい。後ろの方々は右手にあります白の橋をお渡り下さい。」


不思議な艶を放つ黒い橋を渡った。蓮が浮かべられた川を眺めながら、橋を渡った短い時間の間、この儀式に何の意味があるのだろうかとぼんやりと思った。


「奥様、此方をお待ち下さい。」


息子と剣士とは合流しないまま、見上げる程大きな黄金の門へとやって来た。

黒い布を頭から垂らした顔の見えない使者の温度の無い声音は、男とも女とも取れなかった。言われるがまま、その者の後ろから頭を下げつつ現れた従者の差し出した盆から、白い扇子を受け取った。何とはなしに開くと、青い水飛沫の上を飛んでいくぼやけた灰色の蝶が描かれていた。


まるで、私みたいだ。でも、こんなに輝く鱗粉を纏ってはいない。どちらかと言うと、霧の中に紛れた途端、霞の様に消えてしまう存在。それがヨゾナと言う女だった。


「奥様、此方からお入り下さい。」


示されたのは、黄金の扉ではなく、そちらから左手にあった、慣れ親しんだ大きさの襖だった。ああ、これは良い。どこもこれも、馴染みの無い宮廷の様な居住まいをしていて、落ち着かなかった心が、少し緩んだ。

薄ら赤い鼻緒の黒い下駄を鳴らして、私は、閉じた白い扇子を手に提げて、何だか長くなってしまった気もする、いつの間にか青く戻っていた髪を靡かせながら歩いた。襖に手を掛けた。


「お母様、いつまでも来ないから、心配し……お母様?そのお姿は。」


ぱち、ぱちと目を瞬かせた。


ほっそりとした優美な白い手が私の頬を撫でていた。年若い青年だ。しかしも、私は、直ぐに気が付いた。


ふわふわとした白い髪に、何ものにも汚されない真っ直ぐな光を宿した青い瞳。

この子は、彼は、息子だ。私のたった1人の、大切な宝物。


「お母様、一先ず、来て下さい。」


彼は私の手を引いて、その場から連れ去ろうとした。私は、ふと、後ろを見た。


そこには、巨大な岩壁があるだけだった。今、私は、どこから出て来たのだろう。そして、彼はどうして、私をここで待っていたのだろう。籠に乗せられる前の記憶さえ、朧げだった。


違和感はするものの、ここに残されては、飲み水や食べる物どころか、細い身体しか持たない女の身では生き延びれまい。

信じられない姿をした信じたい相手の背中を追い掛ける事しか、今の私には出来ないのだ。そう言えば、あの扇子、何処に行ったのだろう。確かに、手に持っていた筈なのに。


里へと戻った私は、華やかな町並みに目を白黒させる事となった。


黒い髪は単なる色の種の一つとなり、町の彩りに混ざり込むだけとなっていた。

何より驚いた事は、あれだけ傲岸不遜だった夫を筆頭として、疎遠になっていた父と兄までもが、私を見た途端に、恭しく首を垂れたのだ。道行く見知らぬ人達もである。


私は別に特別な血筋の出でもなければ、学さえも身に付けられずに中途半端に嫁に出された、ただの女。しかも、歳の若ささえも失いつつある。


正直、夢幻の中に居ると言われた方が、まだ現実味があった。


だが、誰もが、私を前にすると、敬愛と思慕の表情を隠す事もなく、感謝と憧憬を舌に乗せて差し出してくるのだ。……私、神隠しにでもあって、人では無くなったのだろうか。いや、そんな訳が無い。


この間、料理をしようとして厨房へ行った時に、刃物で手を間違えて切ってしまった。

薄皮より少し深く切っただけで済んだが、普通に血も出た。これでは、折角の息子に出す食卓に支障が出ると悩んでいると、そんな私を見て騒めき出した見知らぬ使用人達が告げたのか、聞き付けた息子が私を抱えて医務院に走ったのだ。

人1人を抱えて走る事が出来るだなんて、随分と力強く成長したものだ。


そう言う訳で、私の体は人のままであるし、何かがあったとすれば、私よりも世界の方に変革か何かが起こったとしか思えない。


「……髪染め、いつ出来るのかしら。」

「お、奥様っ!!なんて恐ろしい事を仰るのですか?!」


ひいっと直ぐ近くに控えていた女性から、小さく悲鳴が上がった。恐ろしいも何も、私が生まれてこの方、習慣の一つとしてやって来た事だ。別に髪を黒く染めたとて、天変地異が起こるでもないだろうに。


大袈裟な、と言おうとした所で、スパーーーンッと襖が開かれた。


咄嗟の出来事に頭が追い付かず、キョトンとした顔で、目を丸くさせた私とは違い、女性使用人は素早く身を平伏せていた。動きが早いな。

一体どこからどうやって来たのか、耳を赤くした白髪の青年は、息を切らせながらワナワナと震える手を握りしめて私に歩み寄って来た。俯いた顔が何故か見えない。


「お母様。」

「うん?どうしたの。ハヤギ。」

「お母様は、ご自身の髪色に不満でもお有りですか?」


はて。


首を傾げて考えてみるが、答えは出ない。


「そんな事、考えた事もなかった。」

「考えて下さい。」

「はい。」


ストンとその場に腰を落とした息子に両肩を優しく掴まれた。前髪の隙間から覗く、いやに迫力のある眼差しでそう言われては、反射的に頷く他なかった。しかし、そんなに深刻になる事だろうか。


その日以降、より一層、私に関する事に、神経質になった息子を刺激しない為にも、私の足は外へと向かわなくなっていた。


だが、元から、あの籠に乗る前から、人の目に触れない様にと臭い物に蓋をするが如くに閉じ込められていた身の上を経験した身としては、寧ろ、違和感は無かった。

お労しや、とでも言いたげな目線をチラホラと見せる周囲の人間達も少し遠ざけていたのは、殆ど無意識に近いものだった。


そんなある日、猫が、ぽすんと膝の上に落ちて来た。


逃げ出すのかと思えば、のんびりと欠伸をしてみせた猫は、私の膝の上から動く素振りすら見せずに、落ち着く姿勢を探した後に丸くなってしまった。


人を下がらせて、1人で縁側にて、お茶を飲んでいた時だった。良くも悪くも、丁度良いタイミングだっただろうか。


オレンジ色の毛並みをしたその猫は、今の世界に於いても、少し異色な存在に感じられた。

懐かしいような、新鮮な心地を覚える様な。不思議な心境に陥りながらも撫でてみた毛並みに、自然と手が止まった。これは……。


「飼われている猫の小綺麗さね。」


嘗ての過去の世界の照らすのであれば、この猫の毛色は、灰色だった筈だ。

一時的な期間とは言え、人の色は分からないのに、どうして、人の存在以外の色が変わってしまったのか。人々の態度が色に対して、あんなにも過剰な反応を示す価値観が生まれたのか。



一番の奇妙な話は、私への態度の変わり様である。


私の息子と同じ様に、歳を取った父や、元夫。特に、息子が用意した私の身辺の世話をしている人達や、今住んでいる屋敷がある近辺の住人達。

彼らは、まるで、そうしなければいけないとでも躾けられているかの様に、私を前にすると、丁寧に扱わなければ壊れてしまう宝物でも扱うみたいに察して来るのだ。



ふと思う事がある。


私の青い髪も、夫や父の黒髪も、息子の白髪も変わらない。


変わった事と言えば、世界の在り方と、彼らの態度ぐらい、それに伴う迫害の在り方だ。

この膝の上に居る猫も、この色では混ざり物だと言われて殺されてしまうに違いない。まるで、あの頃の私だったみたいに。


「こんな扱い、される様な人じゃないのにね。」


顎を擽る様に撫でると、甘えた様な鳴き声で鳴いた。目を細めた猫は頭を振ると、何処かへと去って行った。


猫が降って来た方を見上げてみた。そして、気付く。


「ああ……。」


空の色は変わらなかった。


視界がぼやけていく。早く泣き止まないと、あの子に泣いていたとバレてしまう。

私とは違って、とても聡い子だから。


目を瞑ってみても、次から次に溢れるものは、止まる気配が無かった。


でも、一度考え出したら、辞められなかった。




もし、もしも。



もしかしたら、この世界は、あの世界が元に戻ったからではなくてーー


「私も、この世界も、あの子も。」













造り変えられたものだったとしたなら。


変わったのは、変わってしまったのは、私達なのでは?

襖が開く音がする。と、と、と言う足音がして、隣に誰かが腰を落として此方を伺う気配がした。


そちらが見れなくて、目を瞬かせると、とっくに止んだ涙の一滴が、頬を伝い落ちた。


「母さん。」


床に付いていた片手を握られた。


「考えなかった方が良かったと、そうお思いですか。」

「いいえ。」


いいえ、そんな事は無い。


あるはずが無かった。私の目が、変わっていたとしても、私にとって正しい、相応しい色を見せてくれているのだから、それで良かった。


この世界にとっては可笑しい色だとしても、その色達は、嘗て、私の知る世界での当たり前だったのだから。


「母さん、帰りましょう。」

「……何処へ?家はここよ。ヨハギ。」


あら。そう言えば、いつからこの子は、私を母さんと呼ぶ様になったのかしら。


やっと息子の方を向いた私は、











「こんな世界、母さんには似合わない。」



ーー私そっくりの顔で、泣き笑う鏡に手を当てていた。


今日も、屋敷はとても静かだった。


「奥様?奥様、此方に居られますか?」

「ええ。どうぞ、入って。」


鏡から手を離し、過去に亡くした息子の姿が見えやしないかと試みた己の愚かさを笑いながら、彼女を部屋に入れた。


「明日、旦那様達が帰られるそうですよ。」

「そう。」

「……奥様?何だか、目元が腫れています。何か冷やす物を持って来ますね。」


使えない妻。使えなかったが最期は使えた息子。それらの代わりとして、彼らが用意した使える娘の足音がパタパタと遠ざかって行く。


アレは、夫の弟が遺した遺児だと言う。


だが、信じるものか。あんなにも夫と似過ぎている顔を見て、弟夫妻に擦りさえしない顔立ちに確信を得て、問い正したら否定もせずに黙りこくり、かと思ったら謝りながらも翌日には自ら暇願いを出して出て行った夫の信頼の厚い使用人に絶望して。


私は、私は。


「何を信じれば良いの?」


化け物退治の為だけに、ついでに贄にされた挙句、母親の身代わりとなった息子は、もう帰って来ない。


誰が、こんな窮屈な世界にしたの。


ああ、あの足音がまた近付いて来る。せめて、罪の無い子供には当たらぬ様にと、手が白くなる程に握り締めながら俯いた。


今日も、憎らしい程に、空の色は変わらなかった。




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