揺らぎ始める心
片桐が小さく頷くと、ななこは満面の笑みを浮かべていた。
その無邪気さが妙に癇に障り、孝明は思わず声を荒げる。
「そういう問題じゃないだろ!
お前だって家族がいるだろうし、心配されるだろ!
それに……恋人だって、いるんじゃないのか?」
ななこの表情が一瞬だけ陰る。
「恋人……ね。
心配してくれるのかな……?」
かすかな寂しさをにじませ、孝明をじっと見つめてくる。
似ても似つかないはずなのに──
その表情は “あの日 泣いていた彼女” を連想させた。
胸の奥がざわりとする。
孝明は慌てて視線をそらし、
男女が同じ部屋で暮らすのは良くない、と判断して
あえて強めに言い放つ。
「当たり前だろ!
見ず知らずの男と同居なんて、恋人にバレたら大問題だ!
もし俺がその恋人なら、絶対許さないね!」
これで諦めると思った──
だが、ななこはぽつりと呟く。
「……許せないって、どうするの?」
「え?」
意外な返答に目を見張る。
次の瞬間、ななこはキッと睨んだ。
「別れるってこと?
……男って、いいよね。簡単で」
「はぁ!?」
あまりの言われように孝明も一気に頭に血が上る。
「なんだよそれ!」
言い返すと、ななこはさらに煽る。
「で? 別れたら?
すぐほかの女のところ行くんでしょ?」
皮肉めいた笑み。
「そ、それは……人によるだろ!」
「どうだか」
「さっきからなんで俺に突っかかるんだよ?」
孝明が呆れたように言うと──
「当然ですよ。あんなことをしておいて」
片桐が即座に割り込む。
「……片桐さん、黙っててください」
孝明は笑顔のまま言い捨て、改めてななこを見据えた。
「とにかく! お前は家に帰れ!」
玄関を指して追い払おうとするが──
ななこはぴたりと動かない。
「嫌」
「……いや、嫌って」
「彼女いないなら問題ないじゃない。
それとも何?
私がここにいると“誰か”が傷つくわけ?
ねえ……本当にいないの?
嘘ついてるんじゃない?」
揶揄うような笑み。
けれどその奥には、ひどく脆い痛みが透けて見えた。
孝明は言葉を飲み込み、
「……もういい。何も言わない。
勝手にしろ!」
そう吐き捨てるように言って、背を向けた。




