死神より怖いのは“昨夜の記憶”
片桐が小さくため息をつき、繭花のカップに静かにお茶を注いだ──その瞬間。
「……まあいいか! 考えても仕方ねぇし!
どうせ俺が死んだからって泣く恋人がいるわけでもないしな!」
孝明は突然、悟ったように笑った。
「……え?」
片桐が思わず瞬く。
「……何か文句でも?」
孝明が睨むと、片桐はほんの少しだけ頬をひきつらせた。
「いえ……恋人がいない、というのが意外だっただけです」
「なんだよそれ。“いい歳して独り身”はそんなに驚く話か?」
皮肉っぽく返す孝明。
「い、いえ。そういう意味では……」
片桐は言葉を濁し、珍しく目を逸らした。
その微妙な空気の中──
「……うるさいなぁ。ゆっくり寝てもいられないじゃない」
寝ぼけ声とともに、孝明の服を着た“見知らぬ女”がふらりと出てきた。
「あ! お前、やっと起きたか!」
孝明が叫ぶと、女は半目でにらむ。
「誰のせいで寝不足だと思ってるのよ」
「俺のせいだって言うのかよ!」
「ええ、他に誰がいるの?」
じりじりと詰め寄ってくる女の迫力に、孝明は思わず身を引く。
──そう、ここ最近孝明は毎晩泥酔して帰ってきていた。
昨夜の記憶など、あるはずもない。
「な、何のことだか……その……?」
へらっと笑ってごまかすと、女は目を見開き、
「あきれた……。あれだけしておいて、忘れたなんて」
と片桐へ視線を送る。
片桐もわざとらしくため息をついた。
「無責任にもほどがありますね」
「……あのな!
部外者は、ちょっと黙っててくれないか!」
孝明が怒鳴ると、片桐はくすっと笑う。
「部外者、ですか?」
同時に、片桐と女が“クズを見る目”で孝明を見つめる。
孝明は耐えられず、繭花へ救いを求めたが──
繭花はスッ……と静かに視線を逸らした。
(えぇぇ……!! 誰か……ヒントを……!
俺……マジで何したんだ!?)
三人の冷たい空気に押され、孝明は頭を抱える。
「俺は……昨夜、一体……何をしたんだ……?」
肩を落としたその瞬間──
「お酒というのは……恐ろしいですね」
片桐の追い打ち。
「私……もうお嫁にいけないかも……」
と女は“明らかに芝居がかった”泣き顔をつくる。
孝明は必死に記憶を探るが、出てくるのは
──忘れたいのに、忘れられない元恋人の泣き顔だけ。
胸が痛み、孝明はぎゅっと拳を握る。
「俺は……本当に……何をした?
教えてくれ……頼む……」
震えた声で問うと、女は呆れたように叫ぶ。
「ちょっと! 本気で忘れたの!?」
片桐の視線が刺さる。
「最低ですね」
「最低よ」
繭花まで軽蔑の一瞥を投げた。
孝明は思わず引きつった笑みを浮かべる。
その瞬間──
「笑って誤魔化すなんて……男らしくありませんね」
片桐が冷たく吐き捨てる。
女も泣き真似を強化。
「ひどい……ほんと、ひどいわ……!」
「女性を泣かせるとは、最低の所業です」
二人の追撃に押しつぶされ、孝明はついに叫んだ。
「わかった! 今! 今思い出すから!!」
必死に記憶を引っ張り出そうと──した。




