娘の惚気に「私も昔はね」と共感する完璧淑女の母 〜婚約者(推し)の絵姿と等身大人形を作って英才教育することにしました〜
「ムリムリムリ! ぜぇったいに無理ですわ〜〜〜〜ッ!」
娘の部屋から聞こえてきた声に、わたくしは思わず足を止めました。
夫に聞きたいことがあり、執務室に向かっている途中でした。一瞬悩んだものの、夫への質問など後でいいと判断し、ひとつ深呼吸をしてからゆっくり扉へと近付きます。
辺りに人がいないのを確認して、そっと扉に耳を当てがいました。
娘の、フェリシアのあんな声を聞いたのは初めてでした。
婚約者であるエドワード第二王子とお茶会というなの交流をして、帰ってきた娘は特にいつもと変わらぬ様子でしたから、特に気にかけることもなかったのです。
ですが、あんな発言を聞いてしまったら心配になるのは当然のこと。
何か嫌なことがあったのか、悩みごとがあるのか、直接わたくしや夫に言えないようなことなのかとハラハラしながら続く言葉を待ちました。
「無理……どうしてあんなに顔がいいんですの……直視なんてできるわけありませんわ。ましてや隣に座るだなんて……!」
どんな言葉が飛び出すのかと緊張していたわたくしは、全身から力が抜けるのを感じました。危うく体勢を崩しそうになり、扉にぶつかる寸でのところで踏み留まります。
え? 惚気?
「扇で表情を隠すのも、もう限界ですわ……! エドワード様が格好良すぎる……! 口元が緩んでしまわないようにするにはどうしたらいいの?!」
まあ、気持ちは分かります。それがわたくしの正直な感想でした。
実のところ、わたくしも夫の顔が好きすぎるのです。初めてお会いした瞬間から、何年も経た今に至るまで、夫の顔にドキドキしなかった日などありません。
けれど、それは決して顔には出さないようにしています。態度にも出しません。夫と二人きりで寝室にいる時を除いては。
いけない、わたくしまで惚気てしまうところでした。
わたくしは再び部屋の中へ意識を集中させました。
「必死で表情を取り繕いましたけれど、きっと睨んでいるようにお感じよね……ああ! お母様みたいに柔らかな目元だったらよかったのに」
フェリシアの目元は夫に似ています。キリっとして凛々しい目元がわたくしは大好きで、それがフェリシアの美しい顔立ちに上手い具合に馴染んでいると思うのですが。
親の目から見るのと、鏡の中の自分を見るのでは感じ方が違うのでしょう。
ですがわたくしは今すぐ扉を開けてフェリシアを抱きしめたくなりました。
貴女は世界で一番美しくて可愛らしい自慢の娘なのよと言いたかったのですが、我慢します。
フェリシアは出来すぎた子ですから、きっと親の前では弱音を飲み込んでしまうでしょう。素直に吐き出している今、邪魔することはできません。
「次の夜会、どうしましょう……。僕の色をまとっておいでと仰られたけれど……ああああああ! 暑い! 暑すぎますわ! エドワード様の瞳の色を思い出すだけでも口元が緩む……! デザインも驚くほど洗練されていたし、あれってわたくしのドレスに合わせてくださってましたわよね? え? 侍女たちとも連携済みということ? ああああやることがスマートすぎてどうしましょう、本当に……格好良すぎる……」
メロメロです。王家との結びつきを強めるための政略結婚なのですが、誰よりも熱い恋愛結婚になるのではないでしょうか。確かに最近のフェリシアは殿下の前だと表情が固く、少し気になってはいました。ですがこんな愛らしい理由なら安心です。
その後もしばらく様子を伺っていましたが、殿下のどこが素敵かを延々と書き留めはじめたようなので、部屋を後にしました。
当初の目的以上に重大な相談事のため、執務室へと向かいます。
「あなた、ご相談があります」
わたくしの真剣すぎる表情を見てか、夫が姿勢を正します。
「フェリシアが、思った以上にわたくしに似ていたのです」
「…………えーと、何の話だろうか」
「絵姿と人形が必要になりました」
絵姿と人形。そう聞いて夫が唸ります。わたくしに似ているという言葉の意味が理解できたのでしょう。
「一度、制作に問題がないか確認するから待ちなさい」
「分かりましたわ。わたくしは今一番腕のいい画家と職人を探しますわね」
「そうか……フェリシアは私に似て度胸があると思っていたのだが……」
「エドワード様が格好良すぎるそうですわ」
「ああ、君に似たな」
「ええ、でもわたくしに似ているならきっと乗り越えられますわ。だってわたくし、自分の感情を完全に調整できますもの」
よそ行きの顔でにっこりと微笑み、その瞳にだけ熱を込めて夫を見つめます。全て解っている夫がゴホンとひとつ咳払いをし、下がるように言いました。
「マルクス様、お部屋で待っておりますわね?」
「可能な限り早く行くよ」
フェリシアもきっと、わたくしたちのように仲睦まじい夫婦になれるでしょう。
早く準備を整えてあげなくては。わたくしは気合いを入れました。
王家からの許可はすぐに下りました。わたくしは待ってましたと言わんばかりに制作を指示します。どうやら王妃様も殿下の精巧な絵姿を飾りたいご様子で、依頼を受けた画家は緊張で震えていました。
けれど、さすがは当代随一の肖像画家です。仕上がった絵姿はまるでそこに殿下がお立ちになっているかのような出来でした。
一枚を王妃様に献上し、もう一枚を職人たちの仕事場へと運びます。
その絵姿を布に転写し、それを加工して等身大の人形を作るのです。
わたくしの私室には、若かりし頃の夫がいます。正確には、夫の絵姿と等身大の人形が。
私室を初めて掃除する使用人はたいてい飛び上がって驚くそうです。
若い頃の夫は今の息子とよく似ているので、次期当主がいるところに勝手に入ってしまったのかと肝を冷やすそうです。
前もって説明しておいてあげればいいのに、みな新人が驚くのを見て楽しんでいるようです。あまり褒められたことではないけれど、禁止するほどのことではないかと放っています。
わたくしは殿下の人形の仕上がりを待ちつつ、仕事を終えたと胸を撫で下ろす画家に追加の発注をしました。
せっかくですもの、今の夫の絵姿も描いていただきたいわ。本当に、素晴らしい画家に出会えたものです。
数週間が経ち、ついに人形も完成しました。
その間、夜会での反省会や他のご令嬢への対抗心なんかを漏れ聞いてきましたけれど、これでフェリシアも具体的な対策が取れるようになるのです。
「お母様、フェリシアです」
「どうぞ、お入りなさい」
わたくしは応接室にフェリシアを呼び出しました。
扉を開けて入ってきたフェリシアが、ソファの方に視線を向けて固まります。
「えっ、えええ、エドワード様……ッ?」
混乱しつつも、全く動かずに正面を見続ける殿下に違和感を覚えたのでしょう、すぐにわたくしの方へ訝しげな視線を送ります。
「貴女の悩みは知っていてよ。これはわたくしが、貴女のお父様と恥ずかしがらずに会話するための修行に使った人形を元に貴女仕様にしたもの! それとこのまるで本人かと見まごうばかりの絵姿を貴女にあげるわ。これらを使って、殿下への感情を完全に自分のものにするのよ」
「お、お母様……? え、お母様も恥ずかしかったのですか?」
「えぇ、今でこそ完璧な淑女として過ごしているけれど、マルクス様と出会った頃はそれはもう酷い有様でね……。顔は真っ赤になるわ、会話は噛むわ、挙げ句の果てにマルクスの前で躓いて転んだのよ!」
わたくしの言葉にフェリシアが目を丸くします。信じられないと小さく呟いたのが聞こえましたが、本当の話です。あまりの恥ずかしさに数日寝込んだのち、この絵姿と人形作戦を思いついたのです。
「王家の許可はもらっているけれど、貴女が部屋を空ける時には必ず箱にしまって鍵をかけること」
「分かりましたわ」
「頑張って慣れなさい。あ、何をしてもいいけれど、ベッドに入れるのだけはやめておきなさいね」
「し、しませんわ!!!!」
そうしてフェリシアは暇を見つけては殿下の絵姿を前に会話の練習をし、人形相手にエスコートで緊張しないよう特訓しました。
わたくしはたまに様子を伺いに行き、自分が夫の時にやっていたこと、コツを教えたりしました。
その甲斐あって、フェリシアの表情や立ち振る舞いはどんどん花開いて行きました。
今ではもう、殿下の隣で幸せそうに微笑んでいます。その手に扇はなく、ただ殿下の腕に回されていました。
社交界の誰もが、この二人の間には誰も入れないと納得するような、そんな光景を目にしているのです。
微笑ましいと見つめる瞳ばかりが並ぶ中、唯一夫だけが複雑そうな表情で立っていました。
「もう少し慎みを……」
「今時のご令嬢たちはわたくしたちの頃よりも感情を表に出すのが主流なのですって。せっかくですから、わたくしも倣おうかしら。ねぇ、あなた?」
わたくしの腰に回された腕に力が篭ります。
今シーズンの社交界は、今までで一番楽しいものになる。
そんな予感で胸がいっぱいになるのでした。




