火船の誘い
――夜中、
どぷんっ
係船場に波がぶつかり、ひと際大きな音が鳴る。それと同時に濃厚な磯の香りを強く感じた。微生物、小魚などの死体、それらが混ざり合って波で揉まれて生じた白い泡の塊が恐らくは爆ぜたのだろう。あまり気持ちの良い臭いではない。
「本当に行くのか?」
俺は遠くの火の灯りを見つめながらそう言った。
「ああ、」
と、圭太は応える。
「あんなに懸命に火で呼んどるんじゃ。きっと大群に違いない。期待に応えな悪いじゃろうが」
「しかしな。さっき俺らは風呂に入ったばかりじゃぞ?」
「そんなもんまた入れば良い」
何故か圭太は頑なに漁に出たがっている。だが俺はあまり気乗りしなかった。風呂に入ってゆっくりしていた…… からではない。
「期待に応えなって、そもそも、あの火船は誰が出しとるんじゃ?」
既に今日の漁は終わっている。少なくとも俺の知っている漁師仲間は既に漁を終えているはずだった。
「誰かは知らん。だが、誰かが出さんかったら光っとるはずがないじゃろうが」
「それはそうじゃが……」
俺は少し考えると、「ひょっとしたら、隣村の連中かもしれんぞ?」とそう言う。
あそこはこの村の縄張りだが、暗い所為で間違えているのかもしれない。
「それならそれで構わんだろう。あっちが間違えているだけじゃ。少しばかり魚を分けてやれば文句は言われんわい」
それはそうなのだが。
火船は夜の網漁で魚を集める為に出す。しかし、今晩出ている火船はそれだけではなく、明らかに村に向かって呼びかけていた。火の明滅と、方向でそれと分かる。漁師仲間の間で漠然と決まっている合図のようなものだ。
「どうしても出たくないと言うのなら、俺一人でもいく」
圭太は中々船を出そうとしない俺に苛立ってそう言った。「待て」と俺は言う。「一人は危険じゃ俺も行く」
そして、嫌な想いを抱えながらも圭太と一緒に船を出した。
圭太は時々、こんな事がある。
普段は穏やかなのに、妙に拘りが強くなって頑固になる。俺はそういう時、圭太が海に惹かれているのではないかと不安を覚えるのだ。
火船がいる場所にまではまだかなり距離があった。しかし、明らかな魚の群の気配があり、俺と圭太は喜び勇んで網を投げた。“村の連中が喜ぶに違いない、こりゃ圭太が正しかったわ”と、俺は思う。期待した通り、魚がたくさん獲れた。俺と圭太は必死に網を上げる。
が、突然、圭太が手を止めてしまった。
「なんじゃありゃ?」
と呟くように言った。俺もつられて見てみる。すると、明らかに魚ではない影が網にかかっていた。
人型の何か。
いや、“人型の何か”ではない。それは人そのもの…… 水死体だった。
村に戻ってから尋ねてみたが、結局、火船を出した者は見つからなかった。