第9話 なんとかしなきゃ
「八咫烏のポーちゃんはね、無類の女好きなの。だから逃げ込んだのはこの辺で間違いない」
無類の女好きのカラスってなに。
とは思うが、とにかく先ほど捕まえた八咫烏のピーちゃんを手がかりに、次はポーちゃんを探して僕たちはある場所までたどり着いた。
「……まじで今からここに入るのか」
「うん、あの子は絶対ここにいる。ピーちゃんもそう言ってるんだ」
バスで駅まで戻った僕たちがたどり着いたのは、鹿児島県最大の歓楽街――天文館本通り。
妖しいネオンが輝く中、明らかに場違いな僕たちはある店の前で立ち尽くしていた。
「でも〝キャバクラ〟はさすがにやばくね……?」
中の様子がまるで想像できない煌びやかな外観。
だがロゴに記された店名をネット検索すれば、ここはキャバクラで間違いなさそうだ。
ついさっきまでは神社を巡っていたというのに、まさか夜の街に繰り出すことになるとは。
ミミさんは「よしっ」と気合を入れ、僕の方を向く。
「ということでイツキくん、ここまでで大丈夫。あとは私が捕まえてくるから、ね?」
「お、おい。女子一人でこんな場所、さすがにやばいって」
「イツキくんが付き合う必要ないない。今日はさすがにお疲れでしょ?」
八咫烏を探しに向かう途中、ミミさんは何度も僕を帰らせようとした。疲れている僕を気遣ってのことなのだろう。
それでも、はいそうですかと帰ったところで後味が悪くなるだけだ。
人混みに八咫烏が紛れ込むのが危険という話を聞けば、なおさら。
だから僕は僕のために、最後まで付き合ってやると決めている。
「……『どっちが先に捕まえるか。負けたら夕飯奢り』ってルール、忘れてないよな」
「でも……」
「負けるのが怖いなら帰ってやってもいいけど」
「……ずるいなぁ……」
口では覚悟を決めたつもりでも、正直、内心はまだ追いついていない。
この状況、幽霊スポットに逃げ込まれた方がマシだったかもしれない。
「なにしてんの、キミたち」
案の定、店の前でたむろする未成年を大人が見過ごしてくれるはずもなかった。
声をかけてきたのは、眉をハの字に曲げた黒服の男性だ。
「あの、私たち探し物をしていまして!」
「探し物? なにを?」
ひょうひょうと肩を揺らし、僕より一回り背の高い男。
ピカピカと黒光りする革靴が僕のまだ濡れたスニーカーの横に並んだ。
「それはちょっと言えないんですが……ほんの一瞬だけ、一瞬でいいんです。中を見せていただけませんか!?」
ミミさんが懸命に訴えかける。
しかし男の反応は、概ね予想通りのものだった。
「まず身分証明できるもの、ある?」
「え……なんで」
「なんでって、キミたちどう見ても未成年だよね。ここがどういう店か知ってるでしょ? はいどうぞってそんな子を入れたら、うちが営業停止になっちゃうからさぁ」
店を利用する気がなくても、十八歳未満の僕たちを店内に入れる行為自体が法律違反になりかねない。だからこそ黒服の男は僕たちを中に入れるつもりがないのだろう。
「探し物があるならおじさん探してこよっか? どんなもの?」
「えっと……すみません、それがどうしても言えなくって……」
普通の人間には見えない八咫烏は、僕たちが捕まえなければならない。
だからといって――。
「なんで言えないのさ。よく分かんないなぁ」
「す、すみません。でも本当にちょっと入るだけなんです。だから信じて……」
「んー……」
男はしばし黙り込み、ミミさんをじっと見つめる。
そして、にやりと笑った。
「キミ、今何歳? 二十歳になったらうちで働いてくれるって約束できる?」
「えっ」
「なら特別に見逃してあげてもいいけど。ここ、この辺りで一番稼げるよ。家近い? まあ、遠くても引っ越してきてくれればいいか」
「ちょ……あ、いや、私は……」
男はミミさんの細い腕をつかみ、品定めするように彼女の姿を隅々まで見ていた。
瞬間、心臓が激しく鼓動した。
ドンドンと、胸を痛いほど叩いてくる。
……なんとか、しないと。
男の指先が、彼女の肌に食い込んでいるのが見えた。
身体が熱い。喉の奥にぐつぐつとしたものが込み上げる。
急に血が沸騰させられたように、頭の中にまで熱が走る。
この感覚は、よく知ってる。
なんとかしないといけない。なんとか、なんとか。早く、なんとかしないと。
僕がなんとかする。絶対になんとかする。
だから、だから、だから。
「ど、どう……が」
「は?」
「動画、撮ってるから……な。やめ、やめろ……よ、おい」
声は震えていた。
スマホを取り出した手だって震えている。
身体中から脂汗なようなものが吹き出している気がした。
黒服の男には、こんな滑稽な姿がどう映っていたのだろう。どこか同情めいた苦笑いを浮かべられた。
「あー……悪い。冗談だって。そっか、最近の若い子はそんな感じか」
他の黒服たちも数人集まってきた。どうしたどうした、なんて。
「キミ、スマホ貸してくれる? 動画、SNSに上げられちゃうとマズいから。ここで一緒に消そっか」
真っ白になりそうな頭の中を、必死にかき混ぜる。大丈夫。大丈夫だ。
ミミさんに小声で耳打ちした。
(ミミさん、僕がなんとかするから……)
だが男は、僕たちの会話を遮るようにぐっと距離を詰めてきた。
「ほら、スマホ。女の前で調子乗っちゃった? 早く渡せ? な? ガキィ?」
笑いながら、男は僕の胸ぐらを掴んできた。
――これから声を上げる。
そうすれば、男は僕を力づくで押さえつけようとするはずだ。
その時、殴られたふりでもしてやれ。そうすれば他の黒服も集まって、店の入り口が少しは空くかもしれない。
その隙にミミさんが店の中へ――いや、それは危険すぎる。なら僕が入るべきだ。
計画性なんてない。けれど僕が絶対になんとかする。今までだってなんとかしてきた。
緊張で呼吸が浅い。胃がぎゅっと縮こまり、震えで歯がカチカチと鳴っている。
信じられないほど自分の身体が脆弱だ。ああ、さっきみたいに雨や雷ならまだよかったんだけどな。
そんな僕の様子を見て、ミミさんは察したらしい。
(待って、一旦冷静になって! イツキくん、ちょっと変だ――)
その時だった。
店の中から、一人の男が勢いよく吹き飛んできた。
「……ガハ……ッ!?」
黒服の男ではない。スーツを着た中年のおじさんが、まるでアクション映画のワンシーンのように、垂直に僕たちの横を飛び抜けていった。
「だから言ってんだろうが! ワタシは! ンなことしねぇって!」
綺麗な女性が、細くて長い中指を突き立てていた。
胸元が開いた華やかなドレス。背が高く、ウェーブがかかった長い茶髪を怒りのままに振り乱している。その表情は鬼神の如し。
僕はとんでもないものを目にしてしまったと、それまで抱えていた思考や感情が一瞬で吹き飛んだ瞬間でもあった。
「カ……カナタちゃん。ぼ、ぼくみたいな太客にこんなことして、お、お前……」
「あ? お前が先にルール破ったんだろが。そういうサービスが欲しけりゃそーいう店に行け。しかもそのあとは『女のクセに』なんて時代錯誤なことほざいて殴りかかってきやがって……ウンコ野郎がっ」
誰もが彼女の剣幕に言葉を失っていた。
僕もミミさんも、さらには僕の胸ぐらを掴んでいた黒服の男も。
今までの人生で見てきたことのない女性。
しかし不思議なことに、彼女からは力強い光が放たれているような。
そんな彼女は、僕とミミさんに気づくと首を傾げた。
「あれ? 子ども? ……ん? なにしてんの??」
そして彼女の背後には、僕たちが探していた八咫烏がいた。
そいつはまるでペットのように、彼女の後ろをしれっとついてきていたのだった。