第4話 アイスだアイス!
――「絵、描けるようになったよ。わはは」
――「う、うそ……? 本当に? イツキくん……」
――「それじゃ、お別れだミミさん。このまま新幹線でお帰り」
――「うわあん! 悔しいよお!」
新幹線の窓に顔を押しつけ、恨めしげな表情で僕を睨むミミさん。
しかし無慈悲にも彼女はドナドナと運ばれていき、僕は勝利の笑い声を響かせ――。
「はっ、夢か」
昼下がりの鹿児島中央駅。
構内へ上がるエスカレーター脇の柱の前で立ったまま半分眠っていた僕は、通りかかったカップルにぎょっとされた。
あれから帰宅後、一睡もせずにキャンバスと向き合っていた。
しかし結局――一枚も絵を描くことはできなかった。
ミミさんにあれだけ大口を叩いたというのになんてみっともない。
それでも約束は約束だ。今日は彼女の誘いに応じて駅の方まで足を運んでいる。
ミミさんとの待ち合わせ時刻までは、あと二十分。
ああ、眠い、暑い、気持ち悪い。
気温は当然のように三十七度を超え、今の僕にとって死が近い。
屋根の下にいたところでなんの意味もなく、人間の群れに突っ込んでいくゾンビのように、ふらふらと一番涼しそうな場所へ乗り込んでいった。
辿り着いた先は、駅直結の商業プラザ地下に広がる食品売り場。
涼しい。なんていい匂いだ。ここは天国か。
清潔で広々とした空間に包まれ、この辺りも本当によくなったものだとしみじみ実感する。
鹿児島県という場所を聞いて無条件に田舎とカテゴライズする連中を、僕はこの鹿児島中央に引きずり出してやりたい。
もともと便利な場所ではあったが、近年の再開発によってさらに進化を遂げ、今では大都市の様相を呈している。
駅前には高層ビルが立ち並び、衣食はもちろん、映画館やゲーセンまで揃っている。自然と隣り合いながら、これほど利便性の高い場所が他にあるだろうか。
なんてことを考えているうちに、いつの間にか僕はアイスクリームのお店の前まで来てしまったらしい。
色とりどりのアイスがバケツにすくわれ、ずらりと並んでいた。
ああ、美味そうだ。いや今食べてはまずいだろう。ミミさんとの約束に遅れたらどんなマウントを取られるか分かったもんじゃない。
いいか、あれは絵の具の塊、あれは絵の具の塊。
けれど身体は正直だ。まずい、このままでは勝手に注文してしまう。
くっ。鬼になれ、遠矢樹。僕はアイスを――。
「スモールダブルで、キャラメルリボンと、ポッピングシャワーお願いしますっ」
――知った声がやってきた。
「次、イツキくんね?」
僕はただ硬直する。
「ミ……ミ……?」
「さん、な?」
「……さん」
「よし♡」
……いや、なんだ。今日はどうせ巫女姿の女子がやって来て悪目立ちするだろうなと覚悟していたのだ。
だけど違う。
襟のついたノースリーブの白いブラウス。腰高のさらりとしたスカート。
……超、女子じゃん。
そんな頭の悪い感想しか出てこない僕をよそに、彼女は手際よく僕の分まで注文を済ませていた。
気付けば僕は爺さんのように、ぼけっとしたまま椅子へと座らされている。
「キミのことだから、今日は絶対寝不足だと思った。顔色悪いけど何時間寝たの?」
「……さぁ」
「ちょ、まさか徹夜とかしてないよね?」
「……問題ない」
「なわけないでしょ! あー、やっぱキミはそうなんだね、はいはい。で、肝心の絵は……」
ダメだった。そう心の中でつぶやくと、彼女は心を読んだように頷いた。
ああ、今日は散々ネタにされるな。とりあえずは借りだけでも先に返しておこうと、さっき支払ってもらったアイス代をテーブルの上に置いた。
「いらない」
「いや、なんでだよ。意味分からん」
「いいじゃん、私がアイス食べたかったの。奢られたくないの?」
「自分の分は自分で払わないと気が済まない」
「えー! じゃあ次どっか入ったとき、その分出してくれればいいから」
小銭は僕の元へと返ってきてしまった。なんともむず痒い。
それから僕たちはただ静かにアイスを食べていた。
正面の席でミミさんは背筋を伸ばし、丁寧にアイスを口に運ぶ。
ひとくち、ふたくち、みくち。
一定間隔で、糸車がゆっくりと回るように。不思議と品がある。
……いや、気のせいか。
ただ昨日の煎餅を食べていた姿と対比しているだけだ。
それでも小さな口はどこまでも遠慮していて、つい彼女のことをよく見てしまう。
唇を端正に結び直し、視線は僕の知らないどこかをなぞっていて。
服装のせいもあってか、今日の彼女はクラスの女子をみんな子どもにしてしまいそうな。
「イツキくん? なんか変なとこ見ちょらん?」
「え? ……あ、いや! 違……」
「ウソ? ホントに見てたんだ? へぇ、じゃあ感想とかないの?」
「あるわけないっつの……」
「んー。惜しいなぁ、女子は一言あるだけで違うんだけど」
「……たとえば?」
「『いい感じじゃん』、とか」
「……いい感じじゃん」
「こっち見て言ってくれないの?」
「…………」
おかしい、昨日までは確かに対等だったはずだ。なのに今はうまく言葉が出てこない。ああ、そうか、徹夜したせいで頭が回っていないんだ。そうに違いない。
そんなことを考えているうちに、ミミさんはもうアイスを食べ終えていた。
「ではこの勝負、私の勝ちですなぁ」
満面の笑みを浮かべるミミさん。
一体なんの勝負のことを言っているのやら。
でも、アイスのかけらをちょっとだけ頬に残したミミさんを見て――。
昨日と違って見えたのは気のせいだったなと、少し安心した。