反時計回りのあなたに祝福を

3章 物語が変わり出す

第32話 カナタさん

「カナタさん……？」

　カナタさんは南無三、と倒れた高山さんに手を合わせている。

　もちろん高山さんは死んでいない。すぐに立ちあがろうとした。

「女……ふざけたマネを……」

「なぁ、イツキを止めたいのは分かったよ。だけどさ……なんでアンタはイツキの言うことをもうちょっと聞いてやれないんだ……？」

「聞く必要なんてない。お前も見ただろう？　そいつはな、自分の目的のためならなんでもやろうとする危険因子だ」

「…………」

「だから話を聞く意味がない。筆を回収して上に報告し、処分する。これが最後のチャンスだったんだ。……私は色々な人間を見てきから分かるんだよ。こういう人間は更生できない。変われない。『自分のことは自分でなんとかする』と豪語しておきながら、結局は暴走して周囲に迷惑をかけ続ける。だから今この場で――」

「そうじゃッ！！　ないだろうがッッ！！！！」

　カナタさんの声が響くと、しんと、場が静まり返った。

　普段から口調が荒いカナタさんだ。それでもこんな大きな声を出す姿は――どちらの世界のカナタさんでも想像できないものだった。

　カナタさんの背中が見える。

　僕は彼女を傷つけたのに、それでも僕の前に立ち、守ろうとしてくれているように見えた。

「お前の経験なんて知らねぇよ……！　大体な、自分でなんでもやろうとする奴ってのは、理由があるんじゃないのか！？　向こうの世界でイツキがヤバかったっていうけど、お前ら偉いヤツらはイツキの相談にどれだけ乗ったんだ！？　ちゃんと本気で動いたのか！？」

「……言ったはずだ、我々は管理者だと。だからそんなもの……」

「なにが管理だ！　『今の行動で証明された』ってお前の言葉、そっくりそのまま返すよ！　どうせお前らは腕組みして今と同じように見下ろして、なんにも汗をかかないで、イツキにつっけんどんな正論をぶつけてたんだろ！？　ちゃんとイツキと向き合って、腹割って話聞こうとしたのか！？」

　高山さんは反論しかけて、しかし言葉をつまらせるように飲み込み、視線を地面に落とした。

「暴走暴走って言うけど、大人から見りゃそうかもしれない！　でもイツキにとっては本当に必死で、周りが誰も動いてくれなかったから、頼れなかったから、そうするしかなかったんじゃないのか！？　責任感が誰よりも強い奴ってのは、そうなったら全部自分でやるしかないって、そういう気持ちになっちゃうんだよ！！」

「……なにも知らないお前が一体なにを……」

「知ってるよ！！　少なくともイツキのことは知ってる！！　どこの世界のイツキかなんて関係ねぇ！　イツキはクソ真面目でガンコだけど、それがいいところなんだよ！！　だから誰よりもがんばれる！　なのにさっきからお前はそれを短所としてしか見てなくてさ……お前こそイツキのなにを知ってるんだよ……！？」

　カナタさんは息を切らしていた。

　いつもは余裕そうに振る舞って、孤高で、なにをやらせても凄いんだろうなって、そんなことを思っていたけど。

「だから、……だから……っ」

　彼女の声は少しだけ震えていて。

「……どうか、イツキの力になってあげてください……」

　カナタさんは膝をつき、額が地面に届くほど深々と頭を下げた。

　カナタさん。なんでそこまで、僕のために。

「……頭を上げろ」

「アンタは私たちの知らないこと、たくさん知ってるんだろ……？　だったら……お願いします……イツキの話をどうか、もっと真剣に聞いてやってください。なにか方法がないのか、もっと本気で、一緒に考えてあげてください……お願いします……」

「だから頭を上げろ……」

　それでもカナタさんは微動だにせず、頭を下げ続けた。

　高山さんはそれに押し負けたように息をつく。

「分かった、分かった……もういい」

　メガネをくいと押し上げ、高山さんは乱れた前髪を整える。

「場所に救われたな。ここは神の前だ。私も少し……大人気なかったと思う。その点は詫びよう」

　そう言ってほんのわずかに頭を下げ、すぐに視線を逸らした。

「一週間」

「え……」

「一週間後、鹿児島のあの部屋にまた来い。それまでに上に確認だけはとってやる」

　それだけ告げると、名刺に連絡先が書いてあると付け加え、高山さんは背を向けた。

　彼の姿が見えなくなると、さっきまでの緊張がウソのように消え、場は本来の神社の静けさを取り戻す。

　川の流れが静かに、ただ静かに流れ、時を刻んでいた。

「イツキ、戻ろうか」

　砂利に手をつき、地面に座り込んだままの僕に、カナタさんは優しく手を差し伸べた。

「……なんであそこまで、してくれたんですか」

「ん？」

「僕がカナタさんを突き放したように、カナタさんだって……イヤじゃなかったんですか。僕はカナタさんの知ってる僕じゃない。僕たちはお互いに……記憶とは違う別の人間なんですよ」

「変わらないだろ」

　そんなことかと、カナタさんは笑っていた。

「変わらない、なんにも変わらない。どの世界だって、がんばってるヤツは報われるべきだってワタシは思うんだよね。だからただ、個人的に、ワタシが背中を押したかっただけだ」

　気にすんなと言いながら、カナタさんは僕の背を優しく叩く。

「ま……でも、正しくがんばるのってムズいんだよな。斜め上を進んじゃったり、逆走しちゃったりする奴もいる。世の中はそんな奴に優しくなくて、それを『がんばってる』って認めてくれる人は少ないかもしれない。でも全力で走ってる奴は、誰かがちゃんと見てあげて、誰かがちゃんと手を差し伸べてあげなきゃならない」

　カナタさんは、さっき高山さんを吹き飛ばした際に擦りむいた膝の砂利をはたき落としながら、笑っていた。

　薄暗がりの中でも、血が滲んでいるのが見える。

「ワタシはただ、必死にがんばれる奴が好きなんだ」

　そんな言葉で救われる気持ちがある。

　なんにも変わらない。僕が知っていたカナタさんと、少しも変わっていないのに。

　もっと、カナタさんを頼るべきだったのに。

「……カナタさん」

「なんだよ」

「…………あんなこと言って……ごめん、なさい……」

　僕はこの日、最後にもう一度だけ涙をこぼした。