第26話 矛盾
エプロンを外したミミさんは縁側の隅で、ビニール袋を手に持っていた。
「これ、まだ開けてなくて」
中には線香花火が入っていた。
「お姉さんはいいの?」
「今、推しの生放送中。声かけたら怒られちゃう」
「ああ、なるほど。そりゃダメだ」
ぷっと小さく笑い合うが、なんと女子と二人きりで花火とは。
助けを求めるようにカナタさんへ視線を送ると、彼女は手をひらひらと払って参加を拒否した。
「ということで、遠矢くんとはサシで勝負になりましたな」
「勝負?」
「線香花火、長く残してた方が勝ち」
ワクワクと目を輝かせるミミさん。
それから僕たちは「せーの」の掛け声と共に火を灯した。
ぱちぱちと小さな火花を散らす線香花火。
弱々しくも懸命に光り続ける火を見つめ、ミミさんがつぶやいた。
「さっきはごめんね」
「え」
「遠矢くんは、きっとミミさんって人のこと、本当に一生懸命探してたんだよね」
「……ああ。それはもういいんだ、見つかったんだと思う」
「どういうこと?」
――大丈夫。もうミミさんがここにいるんだから。
小さく頷くと、ミミさんはよく分からないような表情を浮かべながらも、とりあえず一緒に頷き、にへっと笑ってくれた。
それからはただ、二人の視線が静かに花火に注がれていた。
甘く湿った土の匂い。微かな硫黄の香り。
やがて僕の方の火が先に地面へと落ちた。その数秒後、ミミさんの花火も消える。
「やった、私の勝ち!」
「まじかぁ」
「へへ。じゃあさ、私もカナタさんみたいに下の名前で呼んでもいい? 『イツキくん』って」
その瞳に僕が映っている。そこに僕がちゃんといる。
……しょうがない、敗者にはそれを拒む権利なんてなさそうだ。
「分かったよ」
「じゃあ私のことは『美憂』……とか、そ、そういうの平気?」
遠慮がちにミミさんが言うが、そういえばその呼び方はお預けにされていたことを思い出した。屋久島で一緒に下山していた時のことだ。しかも誕生日が一ヶ月早いから「さん」をつけて、なんて言われたな。
「……そういえば何月生まれなんだっけ」
「私? 十月だよ?」
「負けた。僕は九月。だから『美憂さん』、だ」
「え、なにそれ、一ヶ月違いじゃん。ふふ、でもそれでいいや♪」
いつかまた彼女を「ミミさん」と呼べる日が来るのだろうか。
「そういえばイツキくんって絵、描くんだよね? カナタさんが話してたけど」
「水彩画を少しだけ」
「! 私も水彩が好き! どんなの描くの?」
知っている。彼女は僕よりずっと絵が上手だったんだ。
そう思い出しながらも、ふと気になったことがあった。
そういえば記憶を取り戻す前の僕は、自分が九州水彩展の高校生部門で『最優秀賞』を取ったと思い込んでいた。
しかし記憶を取り戻したことでそれが誤りだと知った。僕はミミさんに敗れて『優秀賞』だったのだ。
なのにメールの受信履歴を確認すると、今の僕は間違いなく『最優秀賞』を受賞している。
これは明らかに歴史の改変だ。関係者の記憶が書き換えられるだけならまだしも、実際の事実関係にまで影響が及んでいるとは……一体どういうことなのか。
「イツキくん?」
「あ、ごめん。僕は風景メインだよ。住んでる場所から桜島が見えてさ。たまに雲が変な形になって」
「それ、すっごく見てみたい!」
そんなことを話すと、彼女は目を輝かせていた。
「ねえ、私、実は絵があまり上手じゃなくて……教えてくれないかな?」
僕よりずっと才能があった彼女がなにを言ってるんだ。
……いや、違う。彼女は僕の右腕を救った代償で〝才能〟を失っている。
じゃあ今のミミさんは、一体……?
今のこの状況を知るヒントになるかもしれない。
僕たちは花火を片付け、静かに場所を移すことにした。




