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第25話 志羽波姉妹

 志羽波姉妹。妹の美憂と、二十歳を迎えたばかりという大学生の姉の美緒(みお)さん。


 姉妹は夏休み最後の帰省にあわせ、空港で待ち合わせたあと、美緒さんの運転で実家へ向かっていたらしい。

 脱輪した車を戻したあとの立ち話で、僕はそれだけを聞いた。けれど、それ以上はなにも聞けなかった。勇気が出ず、早々にカナタさんの車へ戻って黙り込んでしまった。


 本来なら消えてしまったミミさんについて知ることが目的だったのに、いざ彼女に再会した途端、どうしたらいいのか分からなくなってしまったらしい。


 今の彼女は僕の知っているミミさんとはどこか違っていて……。

 そんな僕の様子を察したように、カナタさんは機転を利かせてくれた。


「この辺で美味しいご飯が食べられるところ、ご存知ですか」


 カナタさんがふらっと尋ねると、女性たちに談笑が広がった。

 僕が黙りこくっている間、カナタさんは志羽波姉妹とあっという間に打ち解けていったのだ。


 カナタさんの人を惹きつける会話術には相変わらず驚かされ、特に姉の美緒さんとの相性は抜群だったようだ。二人の距離はぐっと縮まり、いつの間にか僕たちは「泊まる宿がない」という設定で志羽波家に招かれることになっていた。


「いやぁ、すみません、突然お邪魔しちゃって。しかもこんな素晴らしいおもてなしまでいただけるなんて、鹿児島から観光に来た甲斐がありました」


 日がすっかり落ち、カナタさんの声が夜風に溶ける。

 チリチリと鳴く虫の合唱を聴きながら、広々とした縁側で正座する彼女のグラスには、お酒が静かに注がれていた。


「お隣の県でも遠いものですよね。長旅お疲れさまでした。でも宿の予約が急にキャンセルだなんて、お気の毒にねぇ……」


 背筋のしゃんと伸びた綺麗な女性。

 見た目は三十代に見えるが、実際はずっと年上らしいミミさんの母親だった。


「代わりの宿が見つからなくて途方に暮れていたところです。そんな時に車のトラブルで、こんなに聡明でしっかりされた姉妹に助けていただけたなんて運命を感じます」

「ふふ。お上手すぎますよ、先生?」


 ミミさんの母親は目を細めて微笑み、カナタさんはまるで昔からの知り合いのように自然に会話を重ねていく。

 宿の予約なんて最初からなかったし、「先生」の肩書きも〝元〟だ。


 それでも、志羽波家に訪ねると決まった瞬間からカナタさんはカーディガンを羽織り、メイクを整え、どこの名家の令嬢かと思わせるような佇まいに変身していた。

 さすがというべきか、異常に場慣れしているような……。


 そうしてカナタさんは、この土地の魅力や志羽波家について上手に褒め、会話を回すと、ミミさんの母親は満足げに台所へと戻っていった。


「カナタさん、息を吐くようにウソを……」

「これが大人だ。どうだまいったか、わはは」


 それでもカナタさんの話術がなければ、僕たちが志羽波家の敷居をまたぐことはできなかったかもしれない。


 初めて僕たちを見た時のミミさんの母親の表情は忘れられない。

 その瞳にははっきりとした警戒心が宿っていた。


 彼女はまず、カナタさんに「普段はどんなことをされているんですか?」と何気なく問いを投げかけた。


 そして、その瞬間から始まったのは明らかな身辺調査。察したカナタさんはひとまず「教師」であることを名乗り、会話の流れに乗せて、出身大学や両親の職業までをいかにもさりげなく――しかし驚くほどのスペックとともに語ってみせた。


 すると母親の表情は氷が解けていくように和らいでいったが、騙されてはいけない。

 カナタさんのことだ。今の話の半分以上がウソに違いない。


「しかし裕福な家庭ののんびりとした田舎暮らし、って感じじゃなさそうだな」

「ここ……すごいですよね。街に出ても食事処すら数軒あるかどうかで……」

「どこへ行くにしたって車が必須なこの村じゃ、両親にとって『いい子』じゃないとやってけないわ」


 バスだってほとんど走っていない。あるのは田んぼと川、そして点在する祠ばかり。

 一見すると家族仲のよさそうな志羽波家だけれど、うまくやっていけているのだろうか。


 ミミさんが言っていた〝寂しい〟という言葉が、しんしんと僕の中に降り積もる。


「で、それよりイツキは不服か? ミミって子の記憶がなくなっちゃってさ」

「【黒い筆】の代償を肩代わりしたミミさんは〝記憶を失った〟……ってことなんでしょうか」

「ワタシに聞かれてもね。でもさ、消えたと思ってた存在が実はそうじゃなかった。イツキにとってそれってどうなんだ?」

「……ミミさんがいてくれて……よかった、って」

「だよな。記憶がないのはそりゃきつい。でもイツキもミミもこれからがある。またお互いのことを知っていくって考え方もできるんじゃないのか」


 カナタさんは僕の様子を窺いながら言葉を選んでくれ、僕は頷いた。


 確かに最初はショックを受けた。けれどミミさんは生きていて、今は「志羽波美憂」として幸せそうに暮らしている。だとしたら、僕が無理に介入して記憶を戻そうとする必要はあるのだろうか。


 ただ……それでもやっぱり分からないことが多い。


 僕たちの関係がリセットされているのだとしたら、ミミさんの記憶はいつの時点から失われているのか。

 たとえば、〈神の使い〉になった記憶は? その期間は別の記憶にすり替えられているのか? もしそうだとしたら、どんな影響があるのか。そこまで全く紐解けていなかった。


 今日一日で色々なことがありすぎて、そろそろ脳がまともに機能しそうにない。ここらでギブアップだ。


 そんな中、ふと視線を変えると、ちょうどミミさんと目が合った。

 家事を手伝っていた彼女はエプロン姿で、……初めて見たような。

 彼女は小さく手を振って、少し恥ずかしそうに、けれど柔らかく微笑み返してくれた。


「ほら、言ってこい」

「う……とはいえ……」

「なにビビってんだよ。イツキが地蔵みたいに固まってる間、めっちゃお前のこと見てたぞ」

「挙動不審の変な奴だと思ってただけでは」

「いや、脈ありだ」


 おじさんみたいにニヤニヤと笑みを浮かべながら、カナタさんは僕の背中を押した。

 そういえば僕はここ数時間、今のミミさんについてなにひとつ訊けていない。

 もしかしたら、今こそ彼女のことを知るチャンスかもしれない。


「イツキ」

「はい?」

「それでもしんどくなったら、戻ってこい」


 そう言ってカナタさんは、夜を眺めてグラスのお酒を静かに傾けた。

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