第24話 宮崎へ
事故った。
あの時、カナタさんを頼れる大人だと一瞬でも思った矢先にこれだ。
――『血湧き肉躍る! バチバチの追いかけっこ、滾る、滾る!!』
そんなスピードジャンキーのように変貌した彼女に運転を任せていたところ、森の中で鹿と鉢合わせし、急ハンドルが切られた。
結果、車の前輪がガコンと溝にはまり、今に至る。
自力での脱出は無理だと悟ったカナタさんは、その場に座り込んで呆然。
限界田舎の山道で、僕たちは夏に灼かれていた。
「冗談だろ……おぉい、うおぉぉぉい…… 」
「脱輪っていうんですよね、これ。戻せるんでしょうか……」
「初めてだから分っかんないな。くっそ、なんか呼ばなきゃダメかねぇ……」
幸いお互いに怪我はなく、ミミさんから授かったも同然のこの右手も無事だ。
とはいえこの状況……どうしたものか。
目的地まではまだ遠く、街からも隔たれている。周囲には田んぼと青々とした山々が広がるばかり。このままではカエルのように干上がってしまいそうだが、さっきまで涼しい車内で平成ソングを聴かされていた時間がもう懐かしい。
そんな中でカナタさんはといえば、なにやら手を合わせ、合掌しているようだった。
「なにやってるんですか」
「神頼みだ。通りがかりの神が偶然助けにこないかって」
「なんて原始的な……」
「イツキも頼むよ。脱輪の救援なんていつ来るか分かんないし、そもそも金掛かる」
金はあるとカッコつけていたが、やはり無職は厳しかったか……。
それにしたって神頼みだなんてバカげている。
……特に、僕があの筆に余計な願いをしてしまった顛末を思えば、なおさらだ。
「……祈ったってロクなことにならない」
「ん? そうか?」
「ネットで方法探しましょう。神頼みなんて無駄ですし、……僕は苦手です」
それきりカナタさんはなにも言わず、冗談も口にすることはなかった。
僕たちはただ虫の鳴き声を背に、淡々とスマートフォンと見つめ合う。
その時だった。
「あの、大丈夫ですか」
僕たちのすぐ傍に停まった車から、一人の女性が降りてきた。
こちらに向かって歩き出すと、さらりとした長い黒髪が揺れる。
綺麗な人だった。ひまわり畑の絵画から抜け出してきたように、辺りの空気をぱっと変えてしまうほどの華やかさをまとっている。
そんな彼女はしゃがみ込み、溝にはまったカナタさんの車を覗き込んだ。
「お手伝いしましょうか? 軽なら私たちでも持ち上げられるかもしれませんね」
「か、神……」
「へ?」
「あざっす! よろしくお願いします!」
興奮するカナタさんにも気圧されず、彼女はニコニコと微笑んでいる。
今回ばかりは……本当に運がよかったのかもしれないな。
「えっと、運転手はお姉さんですか? ハンドルを真っ直ぐにしておいてほしく……あ、キミは力仕事、お願いできる?」
落ち着いた口調で的確に指示され、僕とカナタさんは動き出す。
黒髪の彼女は自分が乗ってきた車の方へ向かって声をかける。
「美憂ー。ちょっと手伝ってー」
「はいはい分かってますよー、お姉ちゃん」
美憂。
そう呼ばれ、車から降りてきた少女を見た瞬間――。
息が止まりそうになった。
「え? ……は? ……ウソ……だろ……?」
ちょっとだけ垂れた目に、つんと上を向いた小さな鼻。
みずみずしく桜のような唇に、ほんのりと暖かそうな頬。
白いブラウスとスカートから伸びた手足は、夏を透かすようで。
そこにミミさんが現れたから。
なぜ、どうしてこんな場所に。
考えるよりも先に、僕は彼女に向かって駆け出していた。
「ミミさん……ミミさん! 無事だったんですね!? よかった……本当によかっ……」
しかし、すぐに違和感に気付いた。
違う。目の前の彼女はミミさんと……どこか違う。
鎖骨まで伸びた髪は……僕の知るミミさんより、少しだけ長い。
前髪だってそうだ。今の彼女はほんの少し厚めで、どちらかといえば、避難小屋で見せてもらった写真の中のミミさんに似ていた。
彼女は突然やってきた僕を見て、一歩後ずさる。
「えっと……? どこかでお会いしましたっけ……?」
それから僕は、ただ言葉を失った。
「あれ? もしかして二人、知り合いー?」
お姉ちゃんと呼ばれる彼女がそう訊ね、困惑を浮かべるミミさんだったが、僕に気を遣ってくれたらしい。
「ご、ごめんなさい! 私が覚えてないだけかもですね! でも私は美憂といいます。ミミではなくって……」
シバナミ・ミユウだから、間の文字を取って「ミミ」さん。
そう説明すべきだったのに、この瞬間、僕はなにかを諦めたように言葉を飲み込んだ。
記憶喪失なのか、あるいはまったく別の事情なのか分からない。
けれど彼女を驚かせてしまったのは確かで、僕は頭を下げ、引き下がることにした。
「すみません、やっぱり人違いだったみたいです。急に声をかけて驚かせてしまって……」
「あ、いえいえ! それより車、みんなで持ち上げましょう! お姉ちゃん、この人数でいけるんだっけ?」
「軽ならなんとかなるんじゃないかなー。まあ、美憂は非力だからノーカンか」
「いやお姉ちゃんに言われたくなかっちゃっ」
それは、あまり見たことのない彼女の表情だった。
それから彼女たちの協力で、車は無事に脱出。
一体なにが起きているのかと、妙な汗が身体が残っていた。




