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第22話 思い出した

 最近の僕はやはりどこかおかしい。

 疲れているのだろうか。残りの夏休みはきっと家で静かに寝て過ごした方がいい。

 そう思いながら自宅へ向かっていた。


 結局、筆も絵も持ち帰ってきてしまった。

 せめて筆だけでも渡しておけばよかったと後悔しながら、僕は手元の絵を見つめる。

 どうしても手放せなかったこの不思議な絵。


「しかし、この絵は……一体なんなんだろうな」


 屋久島まで行って、なぜこんな絵を描いたのか。

 カナタさんの言っていた通り、屋久島を彷彿させる色なんて一切使われていない。


 背景で使われている色はたった二色。

 赤紫色のマゼンタと藍色のインディゴ。二つの色が単調な縞模様で繰り返されているだけだ。


 だが女性の絵だけは明らかに意識して描かれたものだ。

 自分でも驚くほど美しい仕上がり、一方で背景は明らかにやっつけ仕事。

 妙にアンバランスになっているのがこの絵なのだ。


 ……いや、待て。

 そもそもこの僕が絵を描くにあたって、やっつけ仕事なんてしたことがあったか?


 細部まで命を吹き込もうと、周囲が呆れるほどに描き込んできた僕だ。

 そう考えると、一つの可能性が浮かび上がる。

 これは単なる絵ではなく、なにかしらのメッセージが隠されているのではないか。


「僕があんまり使う色じゃないんだよな」


 なぜだか、その色を使うことには抵抗感があったのだ。その理由はまったく思い出せないのだが。


 縞模様を指でなぞりながら、ぶつくさとつぶやく。

 マゼンダ、インディゴ、マゼンダ、インディゴ、と。なにか意味があるのかもしれない。


 が、ダメだ。分からない。

 頭を抱えた僕は近くのベンチに腰を下ろし、今度はスケッチブックの余白にその単語を文字で書き出してみることにした。


 MAGENTA(マゼンタ)INDIGO(インディゴ)MAGENTA(マゼンタ)INDIGO(インディゴ)


 絵の具チューブに記載された綴りを正確に書き取る。

 縦読み暗号かな、なんて半ば冗談めかしてびっしりと書き進めていくと……。


 M、I、M、I。


 マゼンタのMとインディゴのI。

 浮かび上がったアルファベットの並びを、自然と口にした。


「ミ、ミ……」


 瞬間。

 頭の中を、鋭い電流のような衝撃が貫いた。


「ッ! 痛って……!」


 激痛が脳内を駆け抜ける。視界が一瞬で闇に沈んだ。


 脳裏にマゼンタとインディゴの色彩が波紋のように広がり、どんどん伸びていく。

 中心には絵が浮かび上がった。二色を中心に織りなす幻想的な絵。

 クジラの……絵……?


 なぜかその絵が僕に〝敗北〟を刻んでいたような気がした。

 コンテストで負けた記憶。僕の絵を圧倒的に上回った記憶。

 ありもしないはずの記憶なのに。


 そこから世界が進んでいく。


 クソ熱い夏の日差しを浴びながら、突然現れた巫女姿のコスプレ女子。

 彼女に連れられて入った、ほとんどクーラーの効かない古い家。絵の山々。

 長い階段の先にあった神社ではかけっこして、雷雨に打たれて。

 夜の街でカナタさんに救われ、そして向かうことになった屋久島。


 彼女とたくさんのことを話した。

 苦手なもの、好きなもの。互いのことを知り、同時に知ってもらった。


 そんな彼女は言った。

 僕が生きやすい世界を一緒に見つけていこうよ、と。

 そして、世界と逆行して生きているこんな僕のことを――。



 ――「私、イツキくんのこと、好きになっちゃったみたい」って。



「本当に……バカ、じゃないか……僕は……」


 あれだけ忘れるなと自分に言い聞かせていたのに、一体なんで、どうして。

 ぎゅうっと拳を握りしめる。

 今、ようやく思い出した。あの時、僕は確かに願いを抱いた。

 あの瞬間の彼女を永遠の記憶として残せるようにと。


 ならば今、それが思わぬ形で叶えられたことになる。

 蘇ったこの記憶は――【黒い筆】の力で生まれた「絵」によるもの。

 なんて皮肉な話だ。彼女を失う代償として得たこの絵が、彼女の記憶を呼び起こすなんて。


 ……ミミさんを探しにいかなきゃ。

 リュックを再び背負い、僕は再び歩き出す。

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