第16話 真相 (2)
同時に、それを案内するための〈神の使い〉が現れた。
ミミさんは〈使い〉から筆の説明を受けたが、決断は一瞬だった。
願いはもう決まっている。「彼の右手を治して」。その渇望が筆を発動させた。
「ま、待てよ。筆を使うと大切なものが奪われるんだよな? だったらミミさんは……」
「……その前に、この筆についてもう少しだけ説明するね」
【黒い筆】は、使用者から代償を奪う。
渇望と代償が釣り合わなければ願いは成立しないが、基本はこのルールだ。
しかしその力を〝他人〟のために振るった場合、さらに厳しい条件が課される。
それは、筆の使用者だけでなく――恩恵を受けた者からも代償が支払われるということ。
つまり、代償は二人分。
他者の運命にまで波及するということは、それほどまでに重い責任を伴うのだ。
「ごめん……ごめんね、本当にごめん……私、バカすぎる……そんなルール、知らされる前に使っちゃったら……イツキくんに取り返しのつかないことを……」
「……じゃあ、その時に僕から奪われた〝最も大切なもの〟って……」
――熱量。
それは、絵を描くことへの熱量。情熱。
だから僕は右手が完治したにもかかわらず、一向に絵を描けなかった。
描こうとしても、ピタリと手が止まってしまっていた。
熱量こそが僕を動かしていたというのに、それが根こそぎ奪われてしまっていたのだ。
「そういう……ことだったのか」
自分から熱量が奪われていたなんて、にわかには信じ難い。
けれど振り返れば、確かに僕の絵に対する情熱は、潮が引くように冷めていったように思う。
なんとか抗おうとはしていたものの、僕はただリハビリに躍起になっていただけで、あんな絵を描きたい、こんな絵を描きたいという執念は確かに薄れていた。
それが単なる自分の気持ちの変化なのか、【黒い筆】の力によるものなのか、確信は持てない。
それでも今は、ミミさんを責める気にはなれなかった。
「だから……だから私は、イツキくんにもう一度熱量を取り戻してほしくて、〈使い〉になった。〈使い〉は一度だけ代償を自分が肩代わりすることができる。だからイツキくんが筆を使ってくれれば……全部、丸く収まるんだ」
ミミさんが僕にどうしても筆を使わせたかった理由。それがようやく分かった。
確かに肩代わりなんて便利な仕組みがあるのなら、僕にとってのリスクはない。
でもそれは、ミミさんが代わりに代償を引き受けるというものだ。
「肩代わりって……じゃあ、ミミさんがまた代償として大切なものを失うのか? そんなの……」
「大丈夫。イツキくんから勝手に奪っちゃったものを取り返すだけなんだよ。それに、当時の〈使い〉の説明不足があったのは事実。肩代わりの負担は軽くなってるし、そりゃ一年や二年はその対応で大変になるかもしれないけど……そんなの、全然へっちゃらだ」
「それでミミさんは本当にいいのかよ……」
「いいに決まってる。私はそのために今日までがんばってきたんだから」
簡単には納得できなかったが、ミミさんの表情には固い決意が浮かんでいた。
「だから、イツキくんは安心して筆を使って。この問題の原因は私。本当になにも気にしないで使ってほしくて黙ってたんだ。……ごめんね」
「…………」
そう言われても、やはりミミさんになにかしらの影響が及ぶならどうしても躊躇ってしまう。ミミさんがそれを隠していたのは、僕に余計な迷いを与えたくなかったからだろう。
だけど今は知ってしまった。
考え込んでいた僕は、ふと、さっきの質問の答えを聞き忘れていたことに気付く。
「そ、そうだ。結局、ミミさんの代償はなんだったんだ? それを取り返す方法は……」
「〝才能〟」
「え」
「私が奪われたものは、〝才能〟だったみたい」
ミミさんは、消えそうになる笑みをなんとか繋ぎ止めているようだった。
才能。それはなんの才能だろうか。
ミミさんは続ける。
「私の名前は、志羽波美憂。覚えてるかな? ――〝遠矢樹〟くん」




